太宗入冥とは? わかりやすく解説

太宗入冥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)

西遊記の成立史」の記事における「太宗入冥」の解説

太宗入冥とは、世徳堂本第9回から12回(『西遊真詮』では10回から12回)にかけて語られる、以下のような話である。 降雨司る涇河の龍王書生化け長安百発百中評判占い師袁守誠明日天気を占わせると、玉帝から命令されている時間・雨量完全に一致していた。不快に感じた龍王占い外してやろうと、命令逆らって翌日天候変更してしまう。龍王玉帝逆らった罪で、処刑される羽目になる。処刑人太宗重臣で、陰間と陽間を往来できる魏徴である。そこで龍王太宗夢枕に立って助け乞い太宗承諾する翌日太宗魏徴に碁の相手命じて行動監視する。しかし魏徴対局中についうたた寝してしまいその間夢の中で龍王処刑ししまっていた。 その夜太宗夢枕龍王恨み節聞かされ不予体調悪化)となり、数日後崩御する地獄至った太宗は兄の建成や弟の元吉亡霊捕まりそうになるも、崔判官計らいで「貞観十三年」に線を2本追加してもらい、閻羅王に「三十三年」まで寿命延長され生き返る。この冥府めぐりから太宗仏道重要性再認識し施餓鬼法要開催。その檀主として玄奘選ばれる魏徴は、太宗補佐した実在政治家鄭国公に封じられ直諫の士として知られ硬骨漢である。この話も前半の「魏徴斬龍」と後半の「太宗入冥」に二分される。 魏徴斬龍は、唐の張文成の『朝野僉載』に似たような話がある(『太平広記』125にも引用)。武帝が碁を打っている時、信任する頭師という和尚伺候したが、武帝が碁に夢中で相手の石を「殺してしまおう」とつぶやいたところ、それを聞いた家臣勘違いして和尚を斬ってしまったという。この話は馮夢龍古今小説』(『喩世明言』とも)巻37にも「梁武帝修成仏」として収められており、その後には武帝皇太子早世した昭明太子死んで天上遊び数日後蘇生したとの逸話載る。これは魏徴斬龍の次に太宗入冥の段が来る『西遊記』と同じ構造であり、同系統の話から発展した思われる元代前期馬致遠雑劇福碑』第3折「満庭芳」に「我若得那魏徴剣来、我可也敢駆上斬龍台」とあり、演劇では元初魏徴の話として成立してたらしいが、『通事諺解』『真空宝巻』に引用されている元本西遊記には見られない西遊記に採り入れられたのは明に入ってからと思われ永楽大典本では「夢」テーマとした作品として、逆にこの部分のみ抜萃して記載されている。 一方、太宗入冥も『通事諺解』には直接見えないが、『捜神大全』巻7「門神将軍」に「西遊記」を引く記載があり、元本西遊記存在していた可能性が高い。『通事諺解』の注釈には、観音長安へ来た時に太宗無遮大会設け、その師だった玄奘法師西天遣わすという内容書かれており、この無遮大会太宗不予となったための法要だったことが考えられる。つまり元本西遊記段階では後半の太宗入冥の方はあったが、前半魏徴斬龍はまだ採り入れられておらず、太宗が入冥する(=不予となった原因は、魏徴とは無関係だった思われる。 同じ元代の呉昌齢「唐三蔵西天取経」劇では、西天出立する三蔵太宗らが見送る箇所で、太宗功臣尉遅敬徳の、玄武門の変における功績異常なほど詳細に語られている。玄武門の変626年)とは、父の高祖助けて建国に最も功績があった太宗(=秦王李世民)の威勢恐れた兄の皇太子李建成や弟の斉王李元吉が、太宗追い落とそうとして逆に殺害され事件である。世徳堂本の太宗入冥の段にも建成・元吉亡霊登場している。ここから考えられるのは、元本西遊記段階では太宗不予となった原因は、玄武門の変結果として兄弟祟りだったのではないかということである。敦煌から出土した唐代変文唐太宗入冥記」でも、太宗兄弟訴えにより、冥府召還され設定となっており、古い話では玄武門の変原因太宗冥府巡りをする筋だったらしい。 そんな太宗入冥の発端が、明の永楽大典本において、玄武門の変から魏徴斬龍に置換されたのは、永楽期における出版事情関連している。永楽帝朱棣)は唐太宗同様に、本来皇嗣ではない燕王という立場であったが、靖難の変1399年 - 1402年)で甥の建文帝允炆)を実力排除して即位した皇帝である。皇帝神仏への揶揄厳禁した明代で、靖難の変連想させる玄武門の変描写を残すことは、筆禍事件につながる恐れがあった。このため出版元太宗不予原因変える必要があった。そこで太宗側近関連する類似の話題だった魏徴斬龍で置き換えたという訳である。 また「斬龍」とは中国気功内丹術において特別な意味を持つ語である。女丹では月経のことを赤龍といい、斬龍とは女性仙人となるため、気の流れを内身に錬成し、月経絶つことを言う(金代全真教道士不二は斬龍を実践して女仙になったという)。魏徴と未徴は同音(wèi zhēng)であり「魏徴斬龍」は「未徴斬龍(いまだ斬龍をもとめず)」すなわち、まだ月経がある状態=出産できる状態を暗示する西天取経と本来関連のない魏徴の話が入れられたのは、高僧ゆえに女犯無縁物語上しばしば「嬰児」にたとえられる三蔵法師が、物語登場する段を赤児誕生なぞらえ、その前に魏徴斬龍」を配置したという深読みもできる。

※この「太宗入冥」の解説は、「西遊記の成立史」の解説の一部です。
「太宗入冥」を含む「西遊記の成立史」の記事については、「西遊記の成立史」の概要を参照ください。

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