太宗入冥
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太宗入冥とは、世徳堂本第9回から12回(『西遊真詮』では10回から12回)にかけて語られる、以下のような話である。 降雨を司る涇河の龍王が書生に化け、長安で百発百中と評判の占い師袁守誠に明日の天気を占わせると、玉帝から命令されている時間・雨量と完全に一致していた。不快に感じた龍王は占いを外してやろうと、命令に逆らって翌日の天候を変更してしまう。龍王は玉帝に逆らった罪で、処刑される羽目になる。処刑人は太宗の重臣で、陰間と陽間を往来できる魏徴である。そこで龍王は太宗の夢枕に立って助けを乞い、太宗は承諾する。翌日、太宗は魏徴に碁の相手を命じて行動を監視する。しかし魏徴は対局中についうたた寝をしてしまい、その間に夢の中で龍王を処刑してしまっていた。 その夜、太宗は夢枕に龍王の恨み節を聞かされ、不予(体調が悪化)となり、数日後に崩御する。地獄に至った太宗は兄の建成や弟の元吉の亡霊に捕まりそうになるも、崔判官の計らいで「貞観一十三年」に線を2本追加してもらい、閻羅王に「三十三年」まで寿命を延長されて生き返る。この冥府めぐりから太宗は仏道の重要性を再認識し、施餓鬼法要を開催。その檀主として玄奘が選ばれる。 魏徴は、太宗を補佐した実在の政治家で鄭国公に封じられ、直諫の士として知られた硬骨漢である。この話も前半の「魏徴斬龍」と後半の「太宗入冥」に二分される。 魏徴斬龍は、唐の張文成の『朝野僉載』に似たような話がある(『太平広記』巻125にも引用)。梁の武帝が碁を打っている時、信任する榼頭師という和尚が伺候したが、武帝が碁に夢中で相手の石を「殺してしまおう」とつぶやいたところ、それを聞いた家臣が勘違いして和尚を斬ってしまったという。この話は馮夢龍『古今小説』(『喩世明言』とも)巻37にも「梁武帝累修成仏」として収められており、その後には武帝の皇太子で早世した昭明太子が死んで天上に遊び、数日後に蘇生したとの逸話が載る。これは魏徴斬龍の次に太宗入冥の段が来る『西遊記』と同じ構造であり、同系統の話から発展したと思われる。元代前期の馬致遠の雑劇『薦福碑』第3折「満庭芳」に「我若得那魏徴剣来、我可也敢駆上斬龍台」とあり、演劇では元初に魏徴の話として成立していたらしいが、『朴通事諺解』『真空宝巻』に引用されている元本西遊記には見られない。西遊記に採り入れられたのは明に入ってからと思われ、永楽大典本では「夢」をテーマとした作品として、逆にこの部分のみ抜萃して記載されている。 一方、太宗入冥も『朴通事諺解』には直接見えないが、『捜神大全』巻7「門神二将軍」に「西遊記」を引く記載があり、元本西遊記に存在していた可能性が高い。『朴通事諺解』の注釈には、観音が長安へ来た時に太宗が無遮大会を設け、その檀師だった玄奘法師を西天へ遣わすという内容が書かれており、この無遮大会は太宗が不予となったための法要だったことが考えられる。つまり元本西遊記の段階では後半の太宗入冥の方はあったが、前半の魏徴斬龍はまだ採り入れられておらず、太宗が入冥する(=不予となった)原因は、魏徴とは無関係だったと思われる。 同じ元代の呉昌齢「唐三蔵西天取経」劇では、西天へ出立する三蔵を太宗らが見送る箇所で、太宗の功臣尉遅敬徳の、玄武門の変における功績が異常なほど詳細に語られている。玄武門の変(626年)とは、父の高祖を助けて唐建国に最も功績があった太宗(=秦王李世民)の威勢を恐れた兄の皇太子李建成や弟の斉王李元吉が、太宗を追い落とそうとして逆に殺害された事件である。世徳堂本の太宗入冥の段にも建成・元吉の亡霊が登場している。ここから考えられるのは、元本西遊記の段階では太宗が不予となった原因は、玄武門の変の結果としての兄弟の祟りだったのではないかということである。敦煌から出土した唐代変文「唐太宗入冥記」でも、太宗は兄弟の訴えにより、冥府に召還された設定となっており、古い話では玄武門の変が原因で太宗が冥府巡りをする筋だったらしい。 そんな太宗入冥の発端が、明の永楽大典本において、玄武門の変から魏徴斬龍に置換されたのは、永楽期における出版事情が関連している。永楽帝(朱棣)は唐太宗と同様に、本来皇嗣ではない燕王という立場であったが、靖難の変(1399年 - 1402年)で甥の建文帝(朱允炆)を実力で排除して即位した皇帝である。皇帝や神仏への揶揄を厳禁した明代で、靖難の変を連想させる玄武門の変の描写を残すことは、筆禍事件につながる恐れがあった。このため出版元は太宗不予の原因を変える必要があった。そこで太宗側近に関連する類似の話題だった魏徴斬龍で置き換えたという訳である。 また「斬龍」とは中国気功の内丹術において特別な意味を持つ語である。女丹では月経のことを赤龍といい、斬龍とは女性が仙人となるため、気の流れを内身に錬成し、月経を絶つことを言う(金代の全真教の道士孫不二は斬龍を実践して女仙になったという)。魏徴と未徴は同音(wèi zhēng)であり「魏徴斬龍」は「未徴斬龍(いまだ斬龍をもとめず)」すなわち、まだ月経がある状態=出産できる状態を暗示する。西天取経と本来関連のない魏徴の話が入れられたのは、高僧ゆえに女犯と無縁で物語上しばしば「嬰児」にたとえられる三蔵法師が、物語に登場する段を赤児の誕生になぞらえ、その前に「魏徴斬龍」を配置したという深読みもできる。
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