縁起本
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龍谷大学図書館の蔵書に『玄奘三蔵渡天由来縁起』(以下『縁起』)と題する写本一冊がある。これは西遊記物語を日本語に翻訳(梗概訳)したもので、浄土真宗の説教に用いられたものである。上巻のみが残っており、世徳堂本第46回相当の部分で上巻が終っている(下巻は元々無く未完だった可能性もある)。いつ書写されたのかは全く不明であるが、太田辰夫はその内容から、この写本が翻訳元とした『西遊記』は世徳堂本より以前に成立した原本であった可能性があると指摘し、中野美代子もそれを支持している(本項では想定される翻訳元を「縁起本」と称する)。 『縁起』の最大の特徴は、元本西遊記の時代から冒頭に置かれていたとおぼしき孫悟空の大鬧天宮の話がなく、いきなり玄奘三蔵の生い立ちから始まる点である。すなわち主人公を悟空ではなく、三蔵と見なしていることになる。その後の太宗入冥や悟空・八戒・悟浄収服などの流れは概ね『西遊記』と同じであり、車遅国の段で上巻が終了する。ただし烏巣禅師から心経を授かる話(世徳堂本では第19回)が観音から金箍呪を授かった話(同第14回)とセットとなり、八戒収服より前に来ている。これは似た話が未分化のままであった原本の内容を反映している可能性があるという(類似の話を離れた別々の回に分けて水増しすることは、通俗小説ではしばしば行われる。後述)。また『縁起』では人参果(世徳堂本第24-26回)の話の後に、世徳堂本に見えない逸話(三蔵一行が蛇蝎に焼かれる)があり、これは世徳堂本第16回の老和尚放火と類似するが、話が稚拙である。烏鶏国の段(獅子怪が国王を殺し、偽の王になりすましていたのを悟空らに退治される)では世徳堂本が井戸の中から国王の屍体を発掘して蘇生させ、偽王と対面させるという巧妙な筋となっているのに対し、『縁起』では獅子怪を討ったのち国王は甦らず、単純な筋で終了するなど、話の運びがこなれていない。太田は、これらの内容は世徳堂本より古く、文学的技巧が施されていなかった縁起本によったためとしている。
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