大暴れ孫悟空
(大鬧天宮 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/13 14:33 UTC 版)
『大暴れ孫悟空』(おおあばれそんごくう、原題:大鬧天宮、だいどうてんぐう、拼音: )は、1961年に上海美術映画製作所より製作された京劇仕立ての劇場用カラー長編アニメーション映画。上巻(1961年)・下巻(1964年)を分けて公開された。中国の白話小説『西遊記』第十三回「大鬧天宮」を題材にした作品。チェコで行われた第13回カルロヴィ・ヴァリ映画祭の短編映画特別賞、第22回ロンドン国際映画祭の最優秀映画賞、中国映画百花賞などを受賞した。監督はアジア初の長編アニメ映画『西遊記 鉄扇公主の巻』で有名な万籟鳴(ウォン・ライミン)。
- ^ Jonathan Clement homepage. "Jonathan Clement author Archived 2007-01-06 at the Wayback Machine.." Chinese Animations. Retrieved on 2006-12-24.
- ^ キネマ旬報1963年5月上旬号 p98
- ^ “日中国交回復40周年記念企画 - 甦る!新中国草創期の中国映画連続上映会”. 日本中国友好協会福岡県連合会 (2012年8月25日). 2012年8月28日12:35閲覧。
- 1 大暴れ孫悟空とは
- 2 大暴れ孫悟空の概要
- 3 外部リンク
大鬧天宮 (だいどうてんぐう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:55 UTC 版)
「西遊記」の記事における「大鬧天宮 (だいどうてんぐう)」の解説
東勝神州(とうしょうしんしゅう)傲来国(ごうらいこく)花果山(かかざん)の仙石から天地の霊気をまとった石猿が誕生する。猿はとてつもない度胸の持ち主で、山奥の滝壺にて洞天福地の水簾洞(すいれんどう)を発見した功により、花果山の周辺の猿を従えて王となり、美猴王と名乗る。ある時、美猴王はこの世の森羅万象について考えていくうち、生きとし生ける物の生死に悲観し、不老不死を願うようになり、西牛賀州霊台方寸山まで仙術を身につけに行く。師匠須菩提祖師から孫悟空という法名を授かり、七十二般の術と觔斗雲の術を身につけるがまだ満たされず、とうとう四海竜王の竜宮ひいては天界にまで殴り込みに行き、天界を統べる玉帝より弼馬温(ひつばおん)の位を授かる。当初悟空は弼馬温の実態も知らず喜んでいたが、後に弼馬温が只の馬飼いと知るや否やたちまち激怒し、自ら斉天大聖と名乗り、哪吒太子や顕聖二郎真君相手に天界で大暴れする。西王母の蟠桃を食らい、太上老君の金丹を平らげ、罰として八卦炉に入れられるも、悟空は「銅筋鐵骨 火眼金睛」の不死身の体となって生きのび飛び出した。ついには釈迦如来と「俺は地の果てまでも飛んでいってみせる」と賭けをする。地の果てらしき場所に立っていた5本の柱に到達したしるしとして悟空は一筆書き、柱に小便を引っかけて得意となって戻ってくるものの、実は釈迦の両手のなかをぐるりと周回しただけであった。釈迦が示した手に自分の署名を見て呆然とした悟空はその場を逃げようとしたものの、あっという間に五行山の下敷きにされてしまった。
※この「大鬧天宮 (だいどうてんぐう)」の解説は、「西遊記」の解説の一部です。
「大鬧天宮 (だいどうてんぐう)」を含む「西遊記」の記事については、「西遊記」の概要を参照ください。
大鬧天宮(だいどうてんぐう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:54 UTC 版)
「孫悟空」の記事における「大鬧天宮(だいどうてんぐう)」の解説
こうして死籍を消すに至ったことから、天界からも危険視される存在になった。天上界の主宰者、天帝は石猿を討伐しようとするが、太白の意見で思い直し、官吏として天界に召すことで懐柔することにした。悟空は、天界の使者に喜び、弼馬温の官職に任命されたが、半月後にその身分が低いと知ってへそを曲げ、不意に脱走してしまう。地上ではすでに十数年経っていたが、帰還した美猴王を神としてかしずく猿たちに囲まれて気分がいいところに、独角鬼王という妖怪が訪ねてきて臣下となり、さらに褒めそやして煽てたので、有頂天になった悟空は斉天大聖と自ら号するようになった。これを聞いた天帝は身の程知らずの石猿だと怒り、托塔李天王を大将にする討伐軍に派遣したが、先鋒の巨霊神と哪吒太子(なたたいし)が敗れて歯が立たないと、悟空の神通力に恐れをなして退却した。 力で抑えるのが難しいとわかると、再び太白の意見で懐柔策をとることになり、二度目は悟空の希望通りの待遇とすることにして、新官職「斉天大聖」が創設され、正式に任命された。これは職務のない名目だけの官職であった。これでしばらくは悟空も満足していたが、天界では暇をもてあましていたので、新たに蟠桃園(ばんとうえん)の管理を任されることになる。ところが、不老は悟空の最も好むところであり、栽培されている仙桃が熟れるのを待って食べ尽くした。そこに美しい仙女たちが桃を摘みに来て宴会が催されるというので、悟空は仙女たちが歓談する宴席に忍び込んで酒番を眠らせ、仙酒仙肴を食べ荒らし、さらに酔ったはずみで兜率天宮に迷い込んだので、ついでに太上老君の金丹の全部を頬張って、再び天界を逃げ出した。 悟空が戻ると地上では百年経過していた。天帝は烈火のごとく怒り、天兵10万を派遣して包囲し、諸将を総動員して攻めかからせた。悟空の側は、七十二洞の妖怪たちと独角鬼王は生け捕られたが、猿たちはすべて逃げ延び、悟空は哪.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}吒太子と四大天王、恵岸を打ち負かした。ところが恵岸がその師である観音菩薩に苦戦を報告したところ、菩薩は天帝に顕聖二郎真君を推薦する。二郎真君は梅山の六兄弟と共に悟空を遂に追い詰め、太上老君の投げた金剛琢で悟空が脳天を打たれてふらふらのところを捕まえた。 天帝は、悟空を斬妖台に引きだして八つ裂きの刑にするが、悟空は仙丹の力で無敵の体となっていたので刀も斧も歯が立たず、火すら効果がなかった。最終手段として太上老君の秘法八卦炉の前に差し出し押し込めて熔かそうとするも、火の回らない巽の隅に退避して無事を得る(代わりにいぶされて目が真っ赤「火眼金睛(あかめ)」となった)。もう焼き尽くされたかと炉を開けると、勢い八卦炉から飛び出し、大暴れしてもう手が付けられない状態になった。悟空が怖ろしくなった天帝は、雷音寺の釈迦如来に助けを求めることになる。如来は悟空に身の程をわきまえさせるために賭けを持ちかけ、如来の手のひらから飛び出せなかった悟空を取り押さえて、五行山に五百年間封印してしまった。
※この「大鬧天宮(だいどうてんぐう)」の解説は、「孫悟空」の解説の一部です。
「大鬧天宮(だいどうてんぐう)」を含む「孫悟空」の記事については、「孫悟空」の概要を参照ください。
- 大鬧天宮のページへのリンク