縁起物としての撫牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:07 UTC 版)
撫牛は、熊手、だるま、招き猫、お多福面、張り子の虎などとともに縁起物のひとつとなっている。 加藤元悦『我衣』には、福助人形について「…春の頃より叶福助といふ人形を張抜にせし物大に流行して、一枚絵そのほか種々の物に准へて持運び、後には撫牛の如く蒲団を幾枚も重ね、これを祭れば福祐を増すとて、小き宮に入れて売るものあり」と記載されており、ここでいう「春」とは、文化元年(1804年)の春であり、その当時、撫牛の像はふとんの上に置かれることが常識となっていたことが伺われる。 撫牛はまた、特に、当時の吉原遊廓や祇園の花街では遊女たちの信仰を集め、遊廓には通常の神棚とはまた別に縁起棚が設けられ、えびすや大黒天などの福の神のほか、小判をかたどった紙張小判百両包や男性のペニスをかたどった紙張男根形とともに撫牛の像が置かれ、小豆餅ばかりではなく酒餅なども供えられたという。 臥牛の像はまた、江戸時代にあって根付としてもつくられた。木製ないし象牙製の根付は、いわば携帯用の撫牛として製作された可能性も考えられる。
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