礼節伝簿隊舞戯
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『迎神賽社礼節伝簿四十曲宮調』は、1985年に山西省南東部の長治市潞城県で発見された新資料である。隆慶年間以前の収穫感謝祭の式次第を筆録した24ページほどの資料で、その中に小説に素材を求めたと思われる隊舞戯についても収められている。この資料が書かれたのは万暦2年(1574年)と世徳堂本(1592年)成立直前の時期であり、中に収められた「涇河龍王難神課先生一単」「唐僧西天取経一単」「雄(熊)精到(盗)宝」「文殊菩薩降獅子一単」などの西遊記関連の隊舞戯は、完成間近であったこの時期の西遊記物語を知ることのできるきわめて重要な史料といえる。 隊舞戯での演出順序は世徳堂本とかなり異なり、師陀国や烏鶏国の話の位置が大きくずれている(次節の縁起本とも異なる)。また猪八戒の名を「朱悟能」に作る。しかし『朴通事諺解』『真空宝巻』に含まれていた要素はほぼすべて演目に含まれ、世徳堂本の内容とも六割以上適合しているなど、まさに過渡期的な構成となっている。
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