天照大神説とは? わかりやすく解説

天照大神説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:52 UTC 版)

卑弥呼」の記事における「天照大神説」の解説

中華史書に残るほどの人物であれば日本でも別の存在として記憶に残るはずで、日本史書でこれに匹敵する人物天照大神アマテラスオオミカミしかないとする説。白鳥庫吉和辻哲郎らに始まる。卑弥呼倭迹迹日百襲媛命天照大神の説もある。しかし『日本書紀』の「神功皇后紀」においては、「魏志倭人伝」の中の卑弥呼に関する記事引用しており、卑弥呼神功皇后同時代の人物記述している(実際誤り)。また百済の王は古尓王234 - 286)、その子責稽王生年未詳 - 298年)などの部分ほぼ日本書紀の記述どおりである。また卑弥呼が魏の国に対して軍の派遣要請した行為国家反逆罪問われるものであり、そのために日本書紀では詳細記述されなかったと考える説も存在するアマテラスの別名は「大日孁貴」(オオヒルメノムチ)であり、この「ヒルメ」の「ル」は助詞の「ノ」の古語で、「日の女」となる。意味は太陽仕え巫女のことであり、卑弥呼(陽巫女)と符合するとする。 卑弥呼没したとされる近辺に、247年3月24日248年9月5日の2回、北部九州皆既日食がおきた可能性があることが天文学上の計算より明らかになっており(大和でも日食観測されたが北九州ほどはっきりとは見られなかったとされる)、記紀神話に見る天岩戸アマテラス隠れたという記事岩戸隠れ)に相当するではないかという見解もある。ただし、過去日食算定した従来天文学的計算正し答え導いていたかについては近年異論提出されている。 安本美典は、天皇平均在位年数などから推定すると、卑弥呼生きていた時代アマテラス生きていた時代重なるという。また卑弥呼には弟がおり人々託宣伝える役を担っていたが、アマテラスにも弟スサノオがおり共通点見出せるとしている(一方スサノオアマテラスとの確執から、邪馬台国敵対していた狗奴国王に比定する説もある)。ただし安本計算する平均在位年数は生物学的に無理があるほど短く計算にあたって引用した数値選択にも疑問があり、また多く古代氏族に伝わる系図世代数を無視したものとの指摘がある。 魏志倭人伝には卑弥呼死去した後、男王が立ったが治まらず、壹與女王になってようやく治まったとある。この卑弥呼後継者である壹與臺與)はアマテラス息子アメノオシホミミの妃となったヨロヅハタトヨアキツシヒメ豊秋津師比売)に比定できるとする。つまり卑弥呼の死男子の王(息子か?)が即位したが治まらず、その妃が中継ぎとして即位した考えられる。これは後のヤマト王権女性即位する時と同じ状況である。ちなみにヨロヅハタトヨアキツシヒメ伊勢神宮内宮三神一柱であり(もう一柱アマテラス)、単なる息子の妃では考えられない程の高位の神である。 安本美典は、卑弥呼アマテラスだとすれば邪馬台国は天(『日本書紀』)または高天原『古事記』ということになり、九州にあった邪馬台国が後に畿内移動してヤマト王権になったとする(邪馬台国東遷説)。それを伝えたのが記紀神武東征であるとしている。 また、卑弥呼天照大御神登場境遇類似しているという説もある。卑弥呼倭国大乱という激し争いの後、共立されて女王となったが、一方で天照大御神国産みをしたイザナギ・イザナミの激し争いの後、イザナギの「禊払え」により、高天原支配者として登場する『日本書紀』本文ではイザナギ・イザナミの協力によって、日の神大日孁貴」が誕生している。魏志では、邪馬台国支配地域は、『女王以北』・『周旋五千餘里』と記述されており、短里説換算した場合概ね九州北部地域支配地域考えられる。そのため、「熊襲出雲国」は支配地域外と考えられ卑弥呼時代背景としては天岩戸以前時代背景となり、卑弥呼天照大御神人間関係類似する(弟がおり、嫁がず)。新唐書宋史においても、天照大御神筑紫城(九州)に居ると記述されている。 現代の神話学によると、天岩戸神話中国西南部少数民族東南アジア日食神話太陽と月と悪い弟が3兄弟だとする)と同系のバリエーションである。 問題点 この説には以下のような難点がある。 第一に天照大神神話歴史とみる以上、天照大神大和朝廷をつなぐ神話をも歴史とみざるをえなくなるため、神武東征伝承邪馬台国九州から大和への東遷伝えたものだとする論者必然的に多くなる。しかし九州にあった邪馬台国東遷して畿内到着したとは限定できず、また国家規模での東遷果たして可能であったのか、何故東遷する必要があったのかという疑問もある。加えて記紀』の系譜信じ限り一世代を2530年として計算する神武天皇卑弥呼よりも遥かに古代の人物となり、系譜として繋がらない第二に「皇祖神たる太陽女神」なる観念そのものがさして古いとはいえいとする説がある。事実『隋書』にあり『日本書紀』記述がない第一回目の遣隋使(名前の記述なし)の記事には、倭国の王 多利思比孤が天を(倭王の)兄、日を(倭王の)弟としており(「俀王以天爲兄 以日爲弟」)倭王日の出前政治をして日の出になると「弟に委ねる」として退出していたとある。もしこれが事実なら太陽神天皇祖先とする記紀の伝承とまった噛み合わないことになる。天照大神という神格天武天皇時代に始まるとする説もある。 第三に、天照大神は本来は男性の神とする説が鎌倉時代からあり、近代になって複数神話学者歴史学者らが男神説を唱えたまた、ヒルメ」を「日の女」であるから巫女である、とする説は他に「〜ノメ」を巫女とする用例がなく、根拠乏しい(津田左右吉によればヒルメのメはツキヨミの「ミ」やワタツミの「ミ」と同じく神霊をあらわす言葉であって女性の意味ではない。ミヅハノメやイワツツノメなどは巫女とされた例もない)。「大日孁貴」の孁字が説文解字において巫女、妻の意があるとする説は説文解字に「女字也」とのみあることから、これも誤りである。

※この「天照大神説」の解説は、「卑弥呼」の解説の一部です。
「天照大神説」を含む「卑弥呼」の記事については、「卑弥呼」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「天照大神説」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から天照大神説を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から天照大神説を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から天照大神説 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「天照大神説」の関連用語

天照大神説のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



天照大神説のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの卑弥呼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS