天照大神男神説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:35 UTC 版)
神道において、陰陽二元論が日本書紀の国産みにも語られており、伊弉諾尊を陽神(をかみ)、伊弉冉尊を陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰となされている。太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる説である。この組み合わせはギリシャ神話でも同じで、太陽神のアポロと月神のアルテミスは兄妹神の組合せで生まれている。 平安時代、『寛治四年十一月四日伊勢奉幣使記』で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式がほとんど男性用の衣装であって、江戸時代の伊勢外宮の神官度会延経はこれを典拠にして、『左経記』の宇佐への女子用装束と比較して、「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)。また、『山槐記』永暦二年(1161)四月廿二日条、『兵範記』仁安四年(1169)正月廿六日条にも内宮に男子装束が奉納された記事がある。 京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性の姿である。天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿である。江戸時代、円空は男神として天照大神の塑像を制作している。江戸時代に流行した鯰絵には天照大神が男神として描かれているものがある。京丹後市久美浜町布袋野(ほたいの)の三番叟(さんばそう)に登場する翁は天照大神を表すとされ、振袖を着てカツラを装着し、かんざしを挿して金色の烏帽子を被る姿である。また、藤原不比等が女性が天皇に即位できるように記紀を作り替えたとも言われる。 江戸時代には荻生徂徠、山片蟠桃などを筆頭に天照大御神の男神説が数多く主張されており、明治以降も津田左右吉や松前健、楠戸義昭、武光誠、筑紫申真、溝口睦子、宝賀寿男などに男神説が見られる。 ただし前述のように現在では国学時代に主流となった女神説が一般的であり、伊勢神宮を始め各神社でも女神としている。また、現代語訳本や漫画においても女神として描かれることが主流である。 なお、日本国内の諸説から離れて比較神話学の立場から見た場合、世界的に太陽神は男神よりも女神とされることが多かったという指摘もある。詳細は「太陽神」の項目を参照のこと。太陽女神(あるいは、女神とされることもある太陽神)の例としては、ソール、サウレ、シャマシュ、シャプシュ、マリナ、羲和、トカプチュプカムイなどがある。 一方日本神話をギリシャ神話やローマ神話と同じ性格の「神話」・「虚構」と位置づけることに反対し、上古東アジアの神話、習俗、祭祀の事情から男神であったとする説もある。「地域移動」を高所・天からの降下(天降り・天孫降臨)と受けとめる考え方があったからとされる。日本の上古支配氏族である天孫族(天皇家や高天原起源の諸豪族)高句麗王家では、始祖の朱蒙が日光に感精した河伯の娘から卵で産まれたという伝承をもつ。日本と高句麗(扶余)との間には、王者の収穫祭が即位式に結びつく点、穀物起源神話や王者の狩猟の習俗などで、両者の王権文化は多くの共通点をもっており、この他、朝鮮半島では例として天日槍命関係の伝承に見るように、朝鮮半島では日光により感精し卵から始祖が誕生する卵生神話が存在し、始祖の卵生伝承も朝鮮半島に多く、日本にも僅かであるが伝わっていたとされる。『姓氏録』などの記録において、女性を始祖とする氏族が一つも記載されていないことも、天照大御神が女神たりえなかった根拠とする見方がある。 一方、これは朝鮮半島民族の影響下にあったためであり、卵生伝承は日本ではシベリア系北方民族と関わりがあったアイヌの神話の中に見られるが日本神話においては見あたらないとする説もある。
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