大飢餓と深刻な経済難
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「朝鮮民主主義人民共和国の経済史」の記事における「大飢餓と深刻な経済難」の解説
詳細は「苦難の行軍」を参照 1994年7月の金日成死亡後、北朝鮮は極度の経済難に襲われる。経済難の中でも最大の問題は大飢饉であった。大飢饉は実質的には1994年に始まっていたと考えられている。大飢饉が発生した理由は複合的であると考えられている。まず北朝鮮当局が主張しているように、1995年の大水害以降、気象災害が相次いで北朝鮮を襲ったことが食糧不足の一因となったことは確かである。しかしより根本的な原因は化学肥料や農薬を大量に使用し、耕地面積を広げるために無理な段々畑を作るなど、主体農法に代表される北朝鮮の農業政策そのものの欠陥にあった。社会主義圏の崩壊にともなう北朝鮮経済の悪化は、化学肥料や農薬の調達可能量の激減を招いた。更に永年にわたる化学肥料の大量使用は地力の低下を招き、段々畑の拡大など無理な耕地の拡大とともに、水害に著しく脆弱な農業環境を作り出してしまっていた。また、増産運動など精神的刺激ばかり与えられ、物質的な刺激に乏しい北朝鮮集団農業の非効率性も農業生産の大きな低迷原因であった。北朝鮮の穀物生産高は1990年代に入って低下していたものと考えられ、食糧の配給が滞るようになり、1996年には食糧配給がほぼ止まり、北朝鮮の多くの人々の生活を支えていた配給制度が崩壊し、少ない食料を分配する能力を失った北朝鮮当局の無策によって飢餓は拡大していった。 大飢餓を招いたのは北朝鮮当局の責任とする批判があり、経済史学者の李栄薫は「金日成主席の死亡(1994年)から1997年までに金日成の墓のために使われた資金は9億ドル(約970億円)にのぼる。その金があれば、1995年から1998年にかけ300万人が死んだとされる大飢餓の人々を救えたはずだ」と述べている。また、韓国から北朝鮮に向けて風船で散布している北朝鮮向けビラには、「300万人が飢えて死んだ『苦難の行軍』の時、3年間も北朝鮮人民らを養うことのできる8億9千万ドルを投じて自分の父の金日成の死体を飾るのに費やしました。このお金で食糧を買い、飢える人民に食べさせたら、数百万人が餓死はしなかったはずです。これがまさに人民の父母、人民の指導者と騒ぎ立てる金正日の正体です」と書かれている。1999年4月30日『朝鮮日報』によると、テポドン1号発射には最低3億ドルかかり、3億ドルで国際市場のトウモロコシを買えば約350万トンになり、それだけで北朝鮮全国民の1年分の食糧となる。1999年4月22日『労働新聞』は、金正日の「(1998年8月のテポドン1号発射について)敵は何億ドルもかかっただろうと言っているが、それは事実だ」「私は、わが人民がまともに食べることができず、他人のようによい生活ができないということを知りつつも、国と民族の尊厳と運命を守り抜いて明日の富強祖国を建設するため、資金をその部門に振り向けることを承諾した」という発言を報じている。安明進によると、1990年代後半に金正日は「反乱が起きたら全部殺せ。餓死者は死なせておけばいい。私には2千百万全部の朝鮮人民が必要なのではなく、百万の党員がいればいいんだ」と発言した。 大飢餓によって死亡した人数については、北朝鮮当局が発表した約22万人から、350万人に及ぶという推計まであり数値に大きな差が見られる。いずれにしても数十万 - 数百万の人々が餓死した。飢餓に苦しむ人々のなかから、北朝鮮を逃れる脱北者と呼ばれる北朝鮮人が相次いぎ、国境警備の目を盗み、命がけの思いで国境の川を渡ってきた脱北者らは、人身売買の対象になっており、20歳〜24歳の女性は7千元、25歳〜30歳の女性は5千元、30歳以上は3千元で中国などに売られている。中国東北部に潜伏する脱北者は、30万人〜40万人と見積もられている。2009年の中国への脱北者は2万5千人〜3万人。4割は中国にとどまるが、6割はベトナムやモンゴルなどの第三国に渡り、大半は売春婦か中国人の妻になる。売春婦になる場合、「満足に食べられるならただ働きでいい」という希望者は、いくらでもいる。アメリカ合衆国国務省の2009年『人身売買に関する年次報告書(英語版)』によると、脱北者は中国と国境を接する咸鏡北道からが多く、8割が人身売買の犠牲になっており、強制的に売春させられたり、中国人の妻になる女性が多く、妻を不要だと感じた夫が、別の男性に「転売」する事例も発生しており、脱北に失敗した者は強制収容所に送られ、強制労働や拷問、レイプなどの虐待を受ける。脱北を商売にする仲介業者は少なくとも150社ほど存在しており、ほとんどが中国朝鮮族である。脱北者の人身売買には「人販子(レンファンツー)」と呼ばれる仲介業者が暗躍し、また、一部の中朝国境警備部隊員が結託しており、ホステスや売春婦、中国人の妻になる場合、中国の仲介業者は依頼主から脱北者1人あたり6千~7千元(約7万8千~9万1千円)を受け取り、このうち4千元(約5万2千円)を中国の警備部隊関係者に支払い、その中から1千元(約1万3千円)が、協力した北朝鮮の隊員に渡る。たばこの箱に詰めて手渡すことが多い。 1990年代、農業以外の産業も工場の操業が軒並みストップするなど大きなダメージを受けた。しかし最高指導者の金正日は疲弊した経済の再建よりも軍事優先の先軍政治を唱え、軍事部門の投資を優先させる政策を採った。韓国銀行の推計では1990年代は1998年まで経済成長率はマイナスとなった。 配給制度が崩壊した北朝鮮では、やがて住民が食糧や生活必需品を手に入れるための市場が急速に発展していくことになる。2000年代に入ると、社会主義統制経済の原則に反する市場を統制しようとする当局と市場との争いがしばしば繰り広げられることになる。 2010年の調査では、脱北者の62%が公式な職業以外の仕事にも従事していたと答えている。もはや北朝鮮政府主体の共産主義や主体思想の考えに基づく経済は崩壊状態にあり、資本主義のルールによる市場こそが北朝鮮住民の糧となりつつある。既に北朝鮮で最も広く流通しているのは、北朝鮮のウォンではなく、中国の人民元と考えられている。2013年には北朝鮮の中国への貿易依存度は90.6%に達している。
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