地崎宇三郎 (三代)とは? わかりやすく解説

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地崎宇三郎 (三代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/23 06:21 UTC 版)

地崎 宇三郎
ちざき うさぶろう
生年月日 1919年7月21日
出生地 北海道札幌市
没年月日 (1987-11-11) 1987年11月11日(68歳没)
出身校 立命館大学中退
前職 地崎工業代表取締役社長
(現・岩田地崎建設
所属政党 自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
親族 父・2代地崎宇三郎
長男・地崎昭宇
孫・T-SK

第51代 運輸大臣
内閣 第2次大平内閣
在任期間 1979年11月9日 - 1980年7月17日

選挙区 北海道第1区
当選回数 7回
在任期間 1963年11月22日 - 1983年11月28日
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3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日 - 1987年11月11日)は、日本の政治家実業家。旧名は九一。北海道札幌市出身。旧制小樽中学卒業、立命館大学経済学部中退。

来歴・人物

3代目地崎宇三郎は、かつて北海道を代表するゼネコンであった地崎工業の前身、株式会社地崎組の3代目社主(オーナー社長)。1943年に父の2代目宇三郎から地崎組社長を継承し、1973年に地崎工業と改称、1981年に長男の地崎昭宇に社長の座を譲った。

父追放直後の1947年第23回衆議院議員総選挙に出馬するも選挙戦途中で辞退した。1963年第30回衆議院議員総選挙旧北海道1区より出馬し、初当選(当選同期に小渕恵三橋本龍太郎小宮山重四郎伊東正義田中六助渡辺美智雄藤尾正行佐藤孝行中川一郎三原朝雄西岡武夫鯨岡兵輔奥野誠亮など)。

自民党に所属し、1969年には石田博英宇都宮徳馬山口敏夫らと石田派を旗揚げするが、派閥の維持が困難となり1971年に石田博英らと共に三木派に合流した。1979年、自民党内で2人の首班候補が争ったいわゆる「四十日抗争」では、福田赳夫を推す三木武夫の意向に反して大平正芳に投票し、三木派を離脱。直後に成立した第2次大平内閣運輸大臣に就任。1983年に政界から引退するまで連続7期当選していた。

地崎の道連会長在職中に引退表明した事が中川一郎自殺と1983年北海道知事選挙(新人対決)において、日本社会党推薦横路孝弘に前副知事三上顕一郎が敗北したことに繋がったとする見方も多い[要出典]

また、北海タイムス会長、日刊スポーツ北海道本社社長、学校法人成徳学園理事長、学校法人札幌大学理事長、北海道テレビ放送取締役[1]も務めた。趣味はゴルフ囲碁読書少林寺拳法など多岐にわたり、無類の酒豪焼酎を愛し、ピカソの絵を好んだ。1987年11月11日、腎不全のため死去。享年68。

受賞歴

参考文献

  • 日外アソシエーツ『現代政治家人名事典』(紀伊国屋書店、1999年)

脚注

  1. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、110頁。

関連項目

公職
先代
森山欽司
運輸大臣
第51代:1979年 - 1980年
次代
塩川正十郎
議会
先代
小山省二
衆議院地方行政委員長
1976年 - 1978年
次代
木村武千代
先代
広瀬正雄
衆議院逓信委員長
1975年 - 1976年
次代
伊藤宗一郎
学職
先代
岩澤誠
学校法人札幌大学理事長
第3代:1984年 - 1987年
次代
伊藤義郎



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