児玉健次とは? わかりやすく解説

児玉健次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 15:31 UTC 版)

児玉 健次
こだま けんじ
生年月日 (1933-05-25) 1933年5月25日
出生地 日本 広島県
没年月日 (2021-02-24) 2021年2月24日(87歳没)
死没地 日本 北海道札幌市
出身校 広島大学文学部
広島大学大学院(中退)
前職 高校教諭
所属政党 日本共産党

選挙区 旧北海道1区→)
比例北海道ブロック北海道3区
当選回数 4回
在任期間 1986年 - 1993年
1996年 - 2003年
テンプレートを表示

児玉 健次(こだま けんじ、1933年5月25日 - 2021年2月24日)は、日本政治家衆議院議員(通算4期)、日本共産党中央委員を務めた。

略歴

広島県生まれ[1]広島大学文学部卒業。同大学院中退[2]。高校に奉職後、教諭として勤務する一方、北海道高教組副委員長等を歴任。

1977年に行われた第11回参議院議員通常選挙及び1983年に行われた第13回参議院議員通常選挙日本共産党公認で北海道選挙区から立候補するも落選。同年に行われた第37回衆議院議員総選挙旧北海道1区から立候補するも落選。1986年に行われた第38回衆議院議員総選挙に再び旧北海道1区から立候補し初当選した。2期連続当選後、1993年の第40回衆議院議員総選挙では落選。1996年に行われた第41回衆議院議員総選挙北海道3区から立候補し、小選挙区では石崎岳に敗れたが比例復活で当選。以後、2期連続当選。 議員在任中は国会対策副委員長、文部科学委員などを歴任。2003年の第43回衆議院議員総選挙では比例単独1位で立候補したが、日本共産党が比例北海道ブロックの議席が獲得できず落選。落選後、政界からの引退を表明し、党中央委員を辞任。

2005年、選挙区で戦ったことのある箕輪登提起の自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟二次訴訟の原告に、日本社会党代議士だった竹村泰子や市民運動活動家の花崎皋平など、様々な政治的立場の者と共に加わった[3]

2021年2月24日8時41分、誤嚥性肺炎のため札幌市内の病院で死去[4]。87歳没。

脚注

  1. ^ 朝日新聞』、2003年10月28日付夕刊3面
  2. ^ 公式ホームページ”. 2003年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月29日閲覧。
  3. ^ 自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟・公式サイト-二次訴状”. 2016年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月25日閲覧。
  4. ^ 児玉健次氏死去 元共産党衆院議員[リンク切れ] - 時事ドットコム 2021年2月26日




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「児玉健次」の関連用語

児玉健次のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



児玉健次のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの児玉健次 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS