泊谷裕夫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 泊谷裕夫の意味・解説 

泊谷裕夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 02:14 UTC 版)

泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年大正10年)8月10日[1] - 1991年平成3年)10月5日[1])は、昭和期の労働運動家、政治家衆議院議員

経歴

北海道[2]幌別郡、現在の登別市出身[1]。1944年(昭和19年)日本国有鉄道札幌鉄道教習所運輸高等科を修了[1][注 1]

北海道大学医学部附属登別分院勤務、室蘭駅助役、副鉄道官補、運輸事務官、国鉄労働組合北海道地評議長、全北海道労働組合協議会議長、北海道交通運輸労働組合協議会議長、北海道産業教育審議会委員、北海道環境衛生適正化審議会委員、札幌陸運局自動車運送協議会委員、北海道開発審議会委員などを務めた[1][2]

1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し[3]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。この間、社会党札幌支部労働部長、同造船海運対策特別委員会事務局長、同院内役員、同地方公営企業特別副委員長、同都市交通特別副委員長などを務めた[2]。その後、第32回総選挙まで連続2回立候補したがいずれも落選した[4]

その後、社会党北海道本部副委員長、北海道交通社長室長などを務めた[1][2]

1970年(昭和45年)、社会党のパイプによりサハリン州への墓参が認められたことから、同年11月7日、墓参団(一行14人)の団長、社会党の代表としてソビエト連邦を訪問した[5]

選挙歴

当落 選挙 執行日 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第30回衆議院議員総選挙 1963年11月21日 旧北海道1区 日本社会党 6万4215票 13.8% 5 4/7 /
第31回衆議院議員総選挙 1967年01月29日 旧北海道1区 日本社会党 7万3649票 11.4% 5 6/10 /
第32回衆議院議員総選挙 1969年12月27日 旧北海道1区 日本社会党 5万4867票 8.4% 5 7/11 /

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』430頁では札幌教育所。

出典

  1. ^ a b c d e f g 『現代物故者事典 1991~1993』408頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』430頁。
  3. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』6頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』6-7頁。
  5. ^ 四年ぶりにサハリンへ『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月7日夕刊 3版 10面

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  泊谷裕夫のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「泊谷裕夫」の関連用語

泊谷裕夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



泊谷裕夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの泊谷裕夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS