自衛隊イラク派遣反対運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 17:31 UTC 版)
箕輪は防衛政務次官経験者であり、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}安全保障面ではタカ派であったが[要出典]、2004年に自衛隊のイラクへの派遣に反対する運動に参加し、国を相手取り札幌地裁に提訴する(自衛隊イラク派兵差止北海道訴訟)。2005年3月28日に提訴された二次訴訟の原告には、日本社会党代議士だった竹村泰子、日本共産党代議士だった児玉健次、市民運動活動家の花崎皋平ら、様々な政治的立場の人物が加わっている。箕輪自身も訴訟への賛同者を募るため、精力的に全国各地へ赴き、講演・執筆活動を行なっていた。イラク日本人人質事件では、自身を身代わりにして人質を解放するよう、犯人グループに呼びかける声明を発表した。また、福田康夫内閣官房長官(当時)らが主張した「自己責任論」に反論し、人質の日本人3名を擁護した。箕輪の死後、2007年11月19日に札幌地裁は原告の訴えを退ける判決が下したが、原告側は札幌高裁に控訴した。
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