加盟を巡る経緯
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「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」の記事における「加盟を巡る経緯」の解説
「ハーグ条約」をめぐり、アメリカ合衆国のキャンベル国務次官補が2010年2月2日、東京都内で記者会見した。日本が同条約を締結しない理由として、家庭内暴力(DV)から逃れて帰国する日本人の元妻らがいることを挙げていることについて「実際に暴力があった事例はほとんど見つからない。相当な誤認だ」と語った。同次官補は「大半は米国内で離婚して共同親権が確立しており、これは『誘拐』だ」と強調し、「解決に向けて進展がないと、日米関係に本当の懸念を生みかねない」と語った。 さらに、日本人女性による子の誘拐事案がDVから逃れるためだという主張は、当事者やその周辺の言い分であり、客観的に証明できる資料は公開されていない。その状態を、キャンベル国務次官補は、「子どもと切断されて、さらに虐待や暴力の濡れ衣まで着せられていることは、非常に痛ましいことだ」と表現している。 日本で離婚を経験し、子供の親権を失い、日本で家族法の改革運動を行なっているコリン・P・A・ジョーンズは著書での中で、DVに関する問題について次のように述べている。 もちろんDVが要因であるケースもあるはずだが、「ほとんど」という部分は統計等の裏づけがなく、主張だけが一人歩きしている。 何もかもがDV・虐待にされる今の日本では、探せばすべての夫婦・親子関係において"男性からの暴力"を見つけ出すことが可能だろう。どんな些細なことでもDVと言うならば、この主張は間違っているわけではないが、それに意味があるのだろうか? この主張を受け入れるとすれば、日本より充実したDV等の防止・被害者救済の諸制度が整っている可能性のある子供の常居所国の事情を、場合によっては完全に無視する必要がある。 また、DVから逃れるために、日本人が外国から子供を連れ去るのを認めるとするならば、同じ理由で日本から外国人が子供を連れ去っても認められるべきなのでは? DVは世界の中で日本人特有の問題ではないが、他の86の国家と地域が条約を批准できているのは、なぜなのだろうか。 2009年3月に、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官は、中曽根弘文外務大臣(当時)にハーグ条約加盟を要請し、中曽根外務大臣はこれに対して前向きに検討することを約束した。 2009年10月、ハーグ条約締約国であるアメリカおよび西欧諸国の特命全権大使は共同で、日本国政府に対して条約締結を要請した。民主党現政権の岡田克也外務大臣(当時)も、この要請に対して「前向きに検討する」と回答している。外務省に「子の親権問題担当室」が設置された。 2010年8月14日、日本国政府は、ハーグ条約を翌年に批准する方針を固めた。 2010年9月29日、アメリカ合衆国下院は、子供の連れ去りは拉致であるとして日本を非難する決議を行った。 2011年1月10日、日本国政府は、ハーグ条約の締結に向け、月内にも関係省庁による副大臣級の会議を設置する方針を固めた。 2011年1月には、フランス上院が早期批准を促す決議を行った。 2011年2月2日、外務省は2010年5月から11月まで行った「条約加入の是非についてのアンケート」の結果の概要をウェブページで公開した。11月までに64件の回答があり、締結すべきとするものが22件、締結すべきではないとするものが17件だった。なお、この「アンケート」は郵送式や電話式のものではなく、外務省のウェブページ(当時のアドレス(リンク切れ))上で「国際的な子の移動に関する問題の当事者となった経験者」に記入を呼びかける形式のものであった。日本国外では「誘拐」と扱われてしまうケースもあるが、子供をDVから保護するため、加盟には、当時与党である民主党も含めて、慎重論も根強かった。 2011年4月、アメリカ合衆国で離婚訴訟中に長女を日本に連れ帰った日本人女性が、2011年4月にたまたまハワイ州に行った際に、米国司法当局から身柄を拘束された。この事件については、2011年11月23日に米国ウィスコンシン州の裁判所で、30日以内に母親が米国の父親に長女を引き渡すことで、正式な司法取引が成立した。 この母親は、ニカラグア出身の米国籍の男性(39歳)と2002年にウィスコンシン州で国際結婚し、2人の間には長女(9歳)が誕生した。しかし、2人の夫婦関係は悪化し、2008年に男性は同州の裁判所に離婚訴訟を起こしたが、その直後に、日本人女性は男性のDVがあったなどと主張して、日本に長女を連れて帰国した。 ウィスコンシン州の裁判所は、2009年6月に、離婚を認めるとともに、男性を長女の単独親権者とすること、直ちに長女をアメリカ合衆国に連れ戻すか、日本で男性に長女を引き渡すことなどを命じ、この判決が確定した。これに対して、女性も、兵庫県で離婚と親権者の指定・養育費の支払いを求める裁判、親権者の変更を求める裁判を日本において起こしており、日本では母親に親権が認められ、米国人男性が争っていた。 子供連れ去り問題に長年取り組んでいる、共和党のクリストファー・スミス(Christopher Smith)下院議員は、この事例について「問題解決へ向け迅速に行動する必要があると、改めて日本国政府に警鐘を鳴らした」事例だと指摘している。 2011年7月28日、米国国務次官補キャンベルは、下院外交委員会において「日本の対応は遅い。アメリカ合衆国の忍耐にも限度がある。」と述べた。 2011年10月、日本の法務省はハーグ条約受け入れのための国内法の原案を作成し、パブリックコメントを募集した。法務省の原案は、子供の連れ去りが暴力的な配偶者から逃げる目的であった場合や、連れ去った親が誘拐について訴追される恐れがあるような場合には、子どもを返還する必要がないとしている。これに対して、アメリカ合衆国、カナダ、イギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランドの6か国政府は、共同で意見書を提出した。 2012年2月、法制審議会がまとめた法律要綱に対し、子の利益の観点から懸念が表明されている。
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