ハーグ条約
英語:Hague Convention
ハーグ国際私法会議において採択された条約の総称。特に、「国際的な子の奪取の民事上の面に関する条約」を指すことが多い。
「国際的な子の奪取の民事上の面に関する条約」は、児童の拉致、あるいは、国際結婚した後の親権争いで、親の一方が子供を自国に連れ出す、といった場合に適用される。子供が16歳未満で、それまでの居住地から強制的に国外などに連れ出された場合には、原則的に、それまでの居住地へ返還することが規定している。
このハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の面に関する条約)は、1980年に締結された。2011年7月現在、日本は批准していないが、国際的な離婚問題が多くなるに連れて米国などから批准を要請されている。2011年7月末に日本政府はハーグ条約の加盟を決定した。
日本の家族法では夫婦間で離婚が成立した場合、一方の親が子どもの親権を得ることになっており、共同親権が認められていない。大多数の場合、母親が親権を握る。特にアメリカ人と結婚した日本人女性が離婚後に子どもを連れて帰国する場合がトラブルになることが多く、これがハーグ条約違反に当たるという。米国の連邦捜査局(FBI)では誘拐事件として、子どもを連れて帰った元日本人妻のリスト化もされている。
2013年5月現在、世界89カ国がハーグ条約に批准している。日本は主要8カ国の中で、唯一加盟していない国家であるが、5月22日に参院本会議でハーグ条約への加盟案が可決された。
ハーグ条約に加盟すれば、子どもを連れ戻しやすくなる一方で、元パートナーのもとへ引き渡さなければならない場合もある。
ハーグ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【ハーグ条約】
読み方:はーぐじょうやく
《ユネスコによる「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」の通称》戦争による文化財の破壊、国外への不正な流出を防ぐための条約。1954年締結。日本は平成19年(2007)批准。
ハーグ国際私法会議で締結された国際私法条約の総称。「民事訴訟手続に関する条約」「外国公文書の認証を不要とする条約」「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」など30以上の条約が締結されている。
《「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」の通称》一方の親が子を居住国から不法に連れ去る事件を防止する目的で締結された多国間条約。ハーグ国際私法会議で締結された国際私法条約の一つ。国籍の異なる夫婦の一方が子を無断で国外に連れ去った場合、連れ去られた側の申し立てを受けて、子は連れ去られる前に居住していた国に戻される。親権は、子が元の居住国に戻された後、その国の裁判所で争われる。1980年にハーグ国際私法会議で採択され、1983年に発効。日本は平成26年(2014)加盟。
《「航空機の不法な奪取の防止に関する条約」の通称》航空機の不法奪取等を犯罪とし、その犯人の処罰・引き渡し等について定めた国際条約。1970年に作成され、1971年発効。日本は昭和46年(1971)に締結。ハイジャック防止条約。
ハーグ条約
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ハーグ条約(ハーグじょうやく、英語: Hague Convention、Treaty of The Hague、Treaty of Den Haagなど)とは、オランダのハーグで締結された条約。ヘーグ条約と表記されることもある。
- ハーグ条約 (1433年) - 1433年4月12日に締結された条約。
- ハーグ条約 (1625年) - 三十年戦争中の1625年12月9日に締結された、イングランド王国とオランダ海上帝国の間における条約。
- ハーグ条約 (1641年) - 1641年6月12日にネーデルラント連邦共和国とポルトガル王国の間で締結された、10年間の停戦条約。
- ハーグ条約 (1659年) - 1659年5月21日にイングランド共和国、フランス王国、ネーデルラント連邦共和国の3国の間で、北方戦争に関して締結された条約。
- ハーグ条約 (1661年) - 1661年8月6日に締結された、オランダ海上帝国とポルトガル海上帝国間での条約。
- ハーグ条約 (1697年) - 大同盟戦争の講和条約。一般的にはレイスウェイク条約と呼ばれる。
- ハーグ条約 (1698年) - 1698年10月11日に締結された、イングランド王国、フランス王国、ネーデルラント連邦共和国の3国間における条約。第一次分割条約とも。
- ハーグ条約 (1701年) - 1701年9月7日にイングランド王国、神聖ローマ帝国、ネーデルラント連邦共和国の3国間で締結された、フランス王国に対抗する同盟条約。
- ハーグ条約 (1709年) - スペイン継承戦争中の1709年10月29日に、グレートブリテン王国とネーデルラント連邦共和国(オランダ)の間で締結された条約。第一次防壁条約とも。
- ハーグ条約 (1720年) - 四カ国同盟戦争の講和条約。
- ハーグ条約 (1795年) - 1795年5月16日にフランス第一共和政とバタヴィア共和国の間で締結された条約。
- ハーグ条約 (1895年) - 1895年5月16日に締結された条約。
- ハーグ条約 (1899年及び1907年) - 万国平和会議開催に伴う戦時国際法の成文化。
- 国際紛争平和的処理条約
- ハーグ陸戦条約 - 戦時国際法のひとつで、1899年に締結され1907年に改定された。
- 開戦に関する条約
- 万国阿片条約 - アヘンをはじめとする麻薬の統制を目的とし、1912年締結。「ハーグ阿片条約」とも。
- 武力紛争の際の文化財の保護に関する条約 - ユネスコによる。1954年締結。
- 外国公文書の認証を不要とする条約 - 1961年署名。
- 航空機の不法な奪取の防止に関する条約 - 1970年締結。「ハイジャック防止条約」とも。
- 国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約 - 1980年10月25日に採択され、1983年12月1日に発効した多国間条約。
- 船荷証券に関するある規則の統一のための国際条約 - 国際貨物輸送にかかわる運送人(船社)に関する条約。1922年に締結され、1968年にヘーグヴィスビー条約(ヘーグヴィスビールールとも)に改定された。
関連項目
- ハーグ協定(曖昧さ回避)
「
ハーグ条約
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