出生から世に出るまでとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 出生から世に出るまでの意味・解説 

出生から世に出るまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:17 UTC 版)

津田応助」の記事における「出生から世に出るまで」の解説

津田家家系は、織田信長家臣である津田某が小牧帰農その女と元は美濃蘇原現在の各務原市蘇原在住織田信広婚姻四人の子生したその三男信光に端を発すと言う。応助の父は金蔵、母はみきもしくはうらとも言い旧姓石野。みきは名古屋下五条町の出。金蔵木挽をしていたがその後独立し材木商を営むようになり、1891年明治24年)に起きた濃尾地震復興特需で財を成した1890年明治23年)に生まれた応助は幼いころ何不自由な育てられた。しかし金蔵は応助4歳金蔵37歳の頃中風罹り段々と症状悪化していってその影響家業衰退していった。これにより応助は小牧町十一村組合高等小学校卒業後に、旧制中等教育学校進学することができなかった。15歳から16歳の頃には、隣村常普請まで灸の名人治療を受けるために、応助は不随金蔵背負って行くこともあった。このような苦境気晴らしのために自転車乗り回し、後に第二小牧市長となる神戸眞一緒に自転車レース出場することもあった。また、写真の撮影技術現像焼き付け小牧初め写真館、「舟橋写真機店」を開いた舟橋兵衛より学んだが、これは長じてからの地域風物記録にも繋がり、自ら著した編纂担当したりした郷土史掲載写真撮影担当することにもなった。 応助が17歳18歳の頃、父の病状はいよいよ悪化したまた、家業では貸倒多発し、これへの対応に苦労する父の様子見て商い見切りをつけ、応助は家業を継ぐことを辞めた。応助は幼少ころから講談本など本に親しんでいたが、この頃文学結社硯友社全盛期で、講談本捨ててその機関誌我楽多文庫』にのめり込んだ。応助は特に硯友社同人尾崎紅葉門下であった泉鏡花心酔していた。そうして物した小説学生雑誌投稿することもあった。さらに文学修行をしようと鏡花上京意志伝え書簡送ったところ鏡花から面談したいとの返信が来た。応助は3年の間に上京できればとこれに答えた。 しかしその後、自らに文才足らない思い直し、また困窮した現況から上京不可能と文学の道と上京諦め、買い集めた稗史小説一切小牧書店紙本書店」へ売却した。そうして得た金で修養為に漢書を贖って、孔孟思想など学問追究の道へ進むことにした。応助の学歴1904年明治37年)の小牧町十一村組合高等小學校卒までで、その後勉学はほぼ独学のみである。通信教材の『早稲田中学講義録』を基礎し、また漢文日本史学ぼう頼山陽日本外史』から入り次いで巌垣松苗国史略』へ進んで、そして中国四書五経朱子宋学勉学出したそれ以外にも、平田篤胤荻生徂徠学問漢詩大窪詩仏仏教一休宗純白隠慧鶴の禅、和歌小沢蘆庵戸田茂睡香川景樹俳句松尾芭蕉与謝蕪村それぞれ私淑した。この数年間、応助は全く屋外出ず向かっていたため、畳が腐ってしまうほどだったと言う。父金蔵54歳、応助20歳もしくは21歳の頃に死去し家業廃業となった一時多数奉公人居住した広大な住家売り払って、隣の敷地平屋新築しそこに移り住んだその後は母みきが常に弟子を5人6人とるほどの得意の裁縫で応助の勉学支えることになった21歳兵役輜重隊入ったが、休日日曜日も全く外出せず論語研鑽打込んだ。 退役後、本場学問しようと中国に渡ることにした。まずその足がかりとして朝鮮着き本山新報社の葭浜忠三郎宅に書生として入ることができた。しかし、掃除炊事洗濯風呂焚きの手入れ主人送迎果ては風呂場での背中流しまでさせられる等、無報酬家事全般任される事態となり、全く学問の暇がなかった。これに4か月5か月耐えたところ、主人信用され、娘の婿に宛がわれそうになるまでになったその折、母みきが胃病罹った旨の電報届き書生辞め帰郷した。母の病は応助の厚い看病恢復した。

※この「出生から世に出るまで」の解説は、「津田応助」の解説の一部です。
「出生から世に出るまで」を含む「津田応助」の記事については、「津田応助」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「出生から世に出るまで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「出生から世に出るまで」の関連用語

出生から世に出るまでのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



出生から世に出るまでのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの津田応助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS