小沢蘆庵とは? わかりやすく解説

おざわ‐ろあん〔をざは‐〕【小沢蘆庵】

読み方:おざわろあん

[1723〜1801]江戸中期歌人。名は玄仲(はるなか)。尾張国犬山藩士。「ただごと歌」を主張和歌は自然な感情平淡に歌うべきものとした。著に、家集六帖詠草」、歌論かび」など。


小沢蘆庵

読み方おざわ ろあん

江戸後期歌人尾張犬山藩士。大坂生。名は玄仲、通称帯刀別号に観荷堂。大坂京都住み上田秋成香川景樹らと交わる。自然感情平易に述べる「ただごと歌」を主張享和元年(1801)歿、79才。

小沢蘆庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 10:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

小沢 蘆庵(おざわ ろあん、享保8年(1723年) - 享和元年7月11日1801年8月19日))は、江戸時代中期の歌人国学者。父は小沢喜八郎実郡(実邦ともいわれる)。一時、本庄家に養子に入り本庄八郎と称した。名は玄仲(はるなか)・玄沖。通称は帯刀。別号は観荷堂・図南亭・孤鴎・七十童・八九童。法号は寂照院月江蘆庵居士。難波で生れ、京都に住んだ。平安和歌四天王の一人。

30歳頃、冷泉為村に入門、武者小路実岳にも学ぶが、独自の歌学に目覚め「ただごと歌」を主張したことから、為村から破門された。伴蒿蹊(ばんこうけい)・本居宣長上田秋成蒲生君平などとも交遊している。

武士としては尾張藩家老の家臣であり、国学者としては尊王論を展開した。

関連項目


小沢 蘆庵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 10:10 UTC 版)

「小沢蘆庵」の記事における「小沢 蘆庵」の解説

享和元年7月11日1801年8月19日))は、江戸時代中期歌人国学者。父は小沢八郎実郡(実邦ともいわれる)。一時本庄家養子入り本庄八郎称した。名は玄仲(はるなか)・玄沖。通称帯刀別号は観荷堂・図南亭・孤七十童・八九童。法号寂照院月江居士難波生れ京都住んだ平安和歌四天王一人

※この「小沢 蘆庵」の解説は、「小沢蘆庵」の解説の一部です。
「小沢 蘆庵」を含む「小沢蘆庵」の記事については、「小沢蘆庵」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「小沢蘆庵」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



小沢蘆庵と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小沢蘆庵」の関連用語

小沢蘆庵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小沢蘆庵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小沢蘆庵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小沢蘆庵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS