出生から上京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:06 UTC 版)
山梨県西山梨郡山城村下鍛冶屋(現・甲府市下鍛冶屋町)に生まれる。生家は医家。甲府市湯田町へ移り、甲府市立湯田尋常小学校へ通う。1910年(明治43年)、さらに東八代郡白井河原村(現・甲府市白井町)へと移り、山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)へ入学する。中学時代は弁論部に所属し、同校の『校友会雑誌』へも散文・短歌を投稿している。 1915年(大正4年)に甲府中学校を卒業すると、詩人の福士幸次郎に師事して上京する。金子光晴やサトウ・ハチローらとも親交を持ち、同人誌への投稿やドイツ詩の紹介を行う。1915年には福士・江馬修・木村荘太が中心となり『白樺』の衛星誌である『LA TERRE』(ラ・テール、のち『ヒト』と改題)が創刊され、1916年(大正5年)9月刊行の第2巻第6号では「林髞」名義で木々の詩「寂しき微笑」が掲載されている。 また、木々の慶應義塾大学医学部入学後の1922年(大正11年)1月には福士が編集委員、福士門人でもあった金子光晴が編集発行人を務める詩誌『楽園』が創刊され、同年3月刊行の第2号で木々は林家の先祖「林久策」のペンネームで訳詩・散文を発表している。
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