以前に交代寄合であった家の代表例とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 以前に交代寄合であった家の代表例の意味・解説 

以前に交代寄合であった家の代表例

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 13:02 UTC 版)

交代寄合」の記事における「以前に交代寄合であった家の代表例」の解説

家領備考松前氏 蝦夷嶋主 無高 享保4年1719年1万石格 間詰 諸侯 喜連川氏 下野喜連川御所4,500石→5,000石(10万石格) 御所号 正徳4年1714年)ごろ高家享保3年1718年)ごろ諸侯扱い維新後子爵久松松平家 下総多古8,000徳川家康異父松平康俊を祖とする。数代後の正徳3年1713年1万2,000石に加増となり諸侯列する 石河家石川家美濃加々島5,020石川貞政家祖万治2年1659年)、願って寄合に。 一色家 武蔵幸手5,160石→下総三河3,500幸手一色氏一色義直の子孫。二代後の直房が病弱参勤できず寄合に。三河国内3,500石。 打越家 常新宮3,000石→旧領出羽矢島3,000石 出自は由利十二頭打越光隆の子の光久に嗣子なく断絶。光久弟の光種が取り立てられ旗本500石として存続した。 大嶋美濃3,250→2,000美濃関藩分家大島光俊の孫の代で分知減高に付き伺いの上交代御免となり、旗本寄合摂津美濃国内2,000石。 織田家 大和宇陀内3,000石→2,700宇陀松山藩(のち柏原藩)の分家織田長政の子の信明が弟の信清に分知2700石。一時小普請となるが、元禄14年1701年)に表高家となった田中京極)家 1,000京極高知三男田中満吉より。3代高久の代に京極姓に復し旗本上野国内1,000新庄家 常鹿島郡7,000常陸麻生藩分家隠居した新庄直時分与受けた。後に本藩主直矩が早世改易となったが、直時に3千石足されて計1万石の大名となり麻生藩相続した神保家 大和高市郡7,000石→6,000畠山氏家臣神保相茂と子の神保茂明始祖寛政重修諸家譜寛文延宝交代の例あり。子孫は6千石大身旗本寄合神保家 下総香取郡2,000石→1,500石 越中国戦国大名神保氏張徳川家召抱えられて2千石。子の代からは旗本寄合子孫分与ののち1千500石。 高原家 讃岐直島2,000石 高原次利の子孫。いまだ若年当主対し谷衛政から養子取り家督相続したが、お家騒動起こり寛文11年(1671年)、親不孝の廉により改易 多羅尾家 近江信楽2,000石→500多羅尾光雅から四代後の光武で無嗣断絶その後500石で旗本として再興津軽家 陸奥国黒石4,000陸奥弘前藩分家家康義理の孫津軽信英が祖。 孫の政兕の代に小普請入りして交代寄合ではなくなる。数代後に本藩より6,000分与され、計10,000石となり諸侯列する津田家 美濃3,011石余 織田氏一族津田秀政家系寄合妻木美濃妻木7,500石 妻木頼忠-頼利-頼次(無嗣断絶) 無嗣断絶後、頼次の弟・幸広が土岐郡大富500石から妻木上郷500石に領地替えにて明治維新に至る。 遠山家 美濃明知6,530石余 遠山利景次の遠山方景から4代目の伊次まで。5代伊清以降旗本寄合能勢家 摂津地黄3,000石→5,300石→4,008石 能勢頼次交代の例あり 花房備中内5,000石→9,500石。 旧宇喜多氏家臣花房正成の系。2代花房幸次経て3代幸昌以降旗本寄合平岡家 美濃1,000石→6,000美濃徳野藩名跡平岡頼勝が祖。孫の代に相続問題改易されたが、次孫の頼重に1千石与えられ家名存続した。のち願いによって旗本寄合本多家 遠江4,260石余 三河岡崎藩(→信濃飯山藩)の分家本多忠利庶長子初代本多助久が分知受けた2代利重までが交代寄合帝鑑間長沢松平家 三河中根村11町歩芝地三河長沢300石(小普請長沢松平家惣領家交代寄合四衆三河衆数代嘆願の末に一家再興当初参勤は五年に一度俸禄無し長沢松平家 三河形原5,000石 元越後高田藩松平忠輝附家老松平清直が祖。形原松平家とは別家3代信実無嗣断絶 溝口家 越後池端5,000石 越新発田藩分家溝口宣勝三男溝口宣俊遺命により5千石分知3代直武以降旗本寄合。 以下は交代寄合であった推定される家である(真偽不明家領備考赤松石野)家 上総2,150石→3,015石→5,015石 石野氏満長男赤松氏置から幕臣寄合戸田家 美濃5,000美濃加納藩(→信濃松本藩)戸田松平家分家松平光重次男戸田光正が5千石分知寄合戸田家 美濃5,000石松平光重の三男戸田光直が5千石分知寄合宮原家 下野1,140石 古河公方足利氏一門宮原義久慶長7年1602年)にのちの高家扱いとされた。子孫高家由良家 常陸牛久5,400石→7,000石→1,000由良貞繁に7,000石。弟の由良忠繁相続の際に不手際があり1,000石、のちの高家職次代寛文5年1665年高家岡本家 下野塩谷2,500石→4,373石→分知3,860石(500分知岡本義保順調に加増重ねたが、次代岡本義政関与した泉騒動により改易断絶千本下野芳賀郡2,070石→3,870石 那須七騎一氏千本義隆の子千本義定の孫の代に無嗣断絶再興後旗200石のち1,050石。 近藤家 信濃伊那郡山本4,300初代近藤政成美濃1万石、2代重直・3代重信交代寄合4代政徳以降寄合 久松松平家 信禰津5,000美濃大垣藩松平忠良庶長子であった松平忠利が父の遺領の内5,000石を分知され、寄合列した寛永のころに交代寄合列したが、その後再度寄合となった。 などである。

※この「以前に交代寄合であった家の代表例」の解説は、「交代寄合」の解説の一部です。
「以前に交代寄合であった家の代表例」を含む「交代寄合」の記事については、「交代寄合」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「以前に交代寄合であった家の代表例」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

以前に交代寄合であった家の代表例のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



以前に交代寄合であった家の代表例のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの交代寄合 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS