松平康俊とは? わかりやすく解説

松平康俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 01:22 UTC 版)

松平 康俊(まつだいら やすとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士徳川家康の異父弟。於大の方久松俊勝の間に生まれた3子(いわゆる「久松三兄弟」)の中子にあたる。名については勝俊(かつとし)ともされる[2][注釈 1]


注釈

  1. ^ 『寛永諸家系図伝』では「勝俊」。『寛政重修諸家譜』(『寛政譜』)編纂時の呈譜では、初名は勝俊でのちに康俊と称したというが、『寛政譜』では勝俊を採用している[2]。『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』では「松平康俊」を項目名とし、「初名は勝俊」としている[1]
  2. ^ 『寛政譜』では、定勝はその年に生まれたばかりで於大の胸に抱かれていたという[4]。『徳川実紀』では於大の傍らに3兄弟が並んでいたと描写している[5]
  3. ^ のちに松平伊昌の妻になった[6]
  4. ^ 『武者物語』は、「正道」の武士ならば松平家からの人質は本来三河に帰すべきところ、欲心にかられた「邪道」の武士・三浦は甲州に伴ったと記す。このため三浦は武田家滅亡後に身の置きどころを失い浪人となったという結末を示している[6]
  5. ^ 森川氏俊の妻も「大村越前守某が女」とあるが、大村越前守については不明[7]
  6. ^ 出典[9]に図版が収められており、動物の頭骨のような形状である。

出典

  1. ^ a b c 松平康俊”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年2月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『寛政重修諸家譜』巻第五十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.279、『新訂寛政重修諸家譜1巻』p.285。
  3. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第五十二、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.273
  4. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第五十四、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.285
  5. ^ 通史編第四章/第三節 久松松平氏と多古藩/一、久松松平氏の系譜”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  6. ^ a b c 武者物語之抄六”. ARC書籍閲覧システム. 2022年2月25日閲覧。
  7. ^ 千葉県立中央図書館(回答). “『寛政重修諸家譜巻第四百六 宇多源氏 佐々木支流 森川』の記述に森川氏俊の妻は大村越前守某が女とありますが……”. レファレンス協同データベース. 2022年2月25日閲覧。
  8. ^ a b c d 通史編第四章/第三節 久松松平氏と多古藩/二、多古松平氏歴代”. 多古町史(ADEAC所収). 2023年6月4日閲覧。
  9. ^ a b 史跡を巡る【多古地区】”. 歴史のさと多古を歩く. 2022年2月25日閲覧。
  10. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第五十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.281、『新訂寛政重修諸家譜1巻』p.287。


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