上村合戦の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:37 UTC 版)
永禄11年(1568年)徳川氏から人質として松平源三郎(松平康俊)が武田氏に送られたが、元亀元年(1570年)甲州を脱出した。秋山虎繁は松平源三郎を預かっていたため責任を償うために、元亀元年(1570年)12月、3000余騎を率いて東美濃の岩村遠山氏の領地を通って徳川氏の領地の奥三河へ向かおうとした。しかし当時奥三河の土豪の山家三方衆は徳川氏の家臣でありながら、武田氏にも密かに内通していた。また以前、遠山景任が当主の岩村遠山氏は武田氏に臣従していたが、この頃は織田信長の年下の叔母のおつやの方が岩村城主遠山景任の夫人となっており武田氏と織田氏の両属状態となっていた。上村合戦には景任が率いる岩村遠山氏は参戦していないが、岩村遠山氏の後継争いの際に秋山が武田軍の威力を背景に景任を岩村遠山氏の後継者に就任させたからだと考えられる。
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