事故状況
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* 9月6日17時40分に出発。蛇島に向かって針路を取り、18時に180°取舵。18時10分に潜航。18時12分(推定)に浮上を行なうが突然急激に傾斜。深度計は18mを示し、海底に着底、直ちに緊急停止(当日一八時一二分、樋口大尉操縦、黒木大尉同乗ノ第一号艇、海底ニ突入セリ。直後ノ状況及所見次ノ如シ)。応急処置として、5分間隔に主空気を1分間排気(気泡で海上に知らせるためだが、洋上の追従艇は暗闇と風雨と高波で気付かず)。電動縦舵機を停止。18時45分 - 19時25分にかけて数回主空気を排気した後、空気の排気が出来なくなる。 「回天」の改善点 悪天候の浅深度高速潜航の実験が必要。 事故に備え、用便器が必要(艇内の温度を上げないため)[要説明]。 同一の「回天」に2人が搭乗時は、酸素は7時間が限界。 航外灯、応急ブローが必要。 遺書 平泉・仁科を初めとする先輩・友人などへの感謝、事故は自身の責任との記述のほか「天皇陛下万歳 大日本帝国万歳 帝国海軍万歳」、辞世の句(上図)など。 その後の状況(艇内に残された文書・壁書による) 9月6日19時55分、酸素の消費を抑えるために睡眠。 9月7日4時に起床、辞世の句。4時5分に万歳三唱。4時45分に君が代を斉唱、この後呼吸困難になる。6時現在は2名とも生存(樋口の遺書では6時10分まで生存)。 — 黒木 博司 この訓練用回天が見つかったのは午前9時過ぎだった。
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事故状況
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「パナソニックホールディングス」の記事における「事故状況」の解説
1件目の事故 2005年1月5日、福島県南会津郡伊南村(現:南会津町)のペンションで宿泊していた親子が一酸化炭素中毒となり子供1人が死亡。この事故では、2次エアホース円周に沿って幅1mm(ミリメートル)、高さ10mmのクラックがあり、湾曲部に約8mmの開口部を持つ長さ30mmの孔、そして燃焼室側には幅1mm、長さ10mmのV字型のクラックがあった。そのほか熱交換器にススが付着する異常が確認された。 2件目の事故 2005年2月23日、長野県茅野市の個人宅で居住者夫妻が一酸化炭素中毒となる事故が発生。この事故では、2次エアホースの送風機側湾曲部の外側に、約5mmの開口部を持つV字型の深さ約13mm(1.3cm(センチメートル))の孔があった。そのほか、吸排気筒の変形、送風機モーター軸の変形、設置不良が発見された。 3件目の事故 2005年4月13日、長野県長野市の美容室で客と店長が一酸化炭素中毒となる事故が発生。この事故では、2次エアホース送風機側湾曲部の外側に、約10mmの開口部を持つV字型の深さ10mmの孔、そして燃焼室側先端から約20mmの場所に、縦方向に幅約1mm、長さ15mmのクラックが2箇所見つかった。熱交換器の煤付着、吸気温度サーミスタの断線が発見された。 4件目の事故 2005年11月21日、長野県上田市の個人宅で居住者夫妻が一酸化炭素中毒となり、中学校の助教諭を務めていた妻が死亡、小学校教頭を務めていた夫が重体となった。この事故では、2次エアホースの送風機側湾曲部の外側に、約12mmの開口部を持つV字型の深さ13mmの孔が、そしてこの孔から燃焼室方向25mmに、幅2mm、長さ25mmのクラックが発見された。熱交換器のスス付着、吸排気筒の変形、吸排気筒内にアメリカジガバチの巣が発見された。
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事故状況
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「ミャウンミャ橋崩落事故」の記事における「事故状況」の解説
2018年4月1日午前1時45分ごろ、橋梁の主ケーブルが南側アンカレイジ定着部にて腐食し破断。吊っていた桁は直下の川に落ち、重量18tトラック1台が通行中に巻き込まれ、2人が死亡した。当時、通行車両に25tの重量制限を課した上で、1車線のみの使用規制を掛けていた。
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事故状況
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「としまえんの水上設置遊具による溺水事故」の記事における「事故状況」の解説
Aは当時埼玉県朝霞市在住の小学校3年生の女児であり、年齢は8歳であった。事故当日、Aは父親(以下Bとする)、母親(以下Cとする)、1歳の妹(以下Dとする)の4人でとしまえんのプールを訪れていた。Aは身長1.1メートル以上であり、ライフジャケットを着用していた。Aは13時ごろから、Bと共にプールを利用し始めた。13時30分ごろ、BはAを見失い、監視員に対し、Aを捜すように求めたが、監視員は拡声機で「Aちゃんはいますか」と呼び掛けたり、Bに迷子の窓口を案内したりするだけで、すぐには水中での捜索を行わず、14時まで待つように求められた。その後、14時前に監視員が水中に潜って捜索したが、Aを発見することはできなかった。14時になって、利用者全員をプールから上がらせた上での定時点検が始まった。Aを監視員が発見したのは14時10分ごろであった。Aはライフジャケットを着用したままの状態で、縦約2.5メートル、横約5メートルの、厚さ約30センチメートルのマット状の遊具の下で、うつ伏せの状態で見つかった。Aが引き上げられる様子を目撃していたプールの客によると、引き上げられた際のAは顔面蒼白で、ぐったりした様子であり、Cと思われる人物が悲鳴を上げていたという。Aは意識不明の重体で、目撃者の話によると心臓マッサージを施されたのちに、病院に搬送されたが、16時ごろに死亡が確認された。 事故当時、「ふわふわウォーターランド」を利用していたのは約270人であり、監視員は7人いた。正午の段階で水中を含めて定時点検を行った際には、異常は見られなかったという。
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