事故死をめぐる陰謀論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 21:19 UTC 版)
「ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)」の記事における「事故死をめぐる陰謀論」の解説
「ダイアナ妃の死をめぐる陰謀論(英語版)」も参照 ダイアナ妃の事故死について、ダイアナがドディ・アルファイドとの結婚を機にイスラム教に改宗する恐れがあり、未来の英国王(国教会首長)の母親がイスラム教徒という事態を防ぐため、あるいはダイアナがドディの子を身ごもっていて、アルファイド一族が未来の英国王の異父兄弟になることを阻止するため、イギリス政府が暗殺したとする陰謀論がある。 これを初めに主張し出したのは当時カダフィ大佐の独裁体制下に置かれていたリビア政府であり、ダイアナの死後24時間以内には陰謀説を流し始めている(当時イギリス政府とリビア政府はパンアメリカン航空103便爆破事件のリビア人犯人の裁判管轄をめぐって激しく争っていた)。やがてドディの父モハメドもカダフィーの陰謀説に乗り始め、「99.9%、確実にダイアナとドディは殺された。その理由はイギリス支配層が息子のことをニガーと看做したからである」と主張しだした。彼は主犯を「人種差別主義者」エディンバラ公フィリップと断定し、1998年2月の『デイリー・ミラー』紙で陰謀説を訴えた。これがITVに特番『ダイアナ 最後の日々』としてドラマ化されたため、一時多くの国民が陰謀説を信じ込むようになった。 しかしダイアナの検死ではダイアナは妊娠していないとされている。またダイアナとドディのギリシャ旅行前に月経前緊張症でダイアナを診察したリリー・ファ・ユー博士もダイアナは死の2週間前に月経を迎えており、妊娠は生物学的にあり得ないと指摘している。 またコリン・キャンベル(英語版)によればフランス警察筋は「陰謀説のことだが、実にくだらない。ダイアナとドディがどんなルートを取るかなど誰も知らなかったのだから。場所も車種も知らず衝突事故を目論むなど土台無理な話だ」「ダイアナとドディがシートベルトを着用していたら一命を取り留める可能性はかなり高かった。特にダイアナはね。被害者が生き残りそうな、しかも結果がどう転ぶかわからない事故を企てる奴がどこにいるのか。もしダイアナとドディを殺すつもりなら1週間前に彼らが泳いでいた時に実行しているだろう。潜水工作員を一人か二人送り込んで標的の足を掴み、溺死するまで離さず、死んだら手を離す。文句のつけようがない筋肉のこむらがえりによる事故死ということになる」と述べたという。 ダイアナの伝記を書いたティナ・ブラウン(英語版)は「ポールも、ドディも納得して車に乗ったのだし、パパラッチのバイクや車が猛スピードで走行し、状況が刻一刻と変化していた。そういう中で事前に事故を計画したグループが存在したかのように語るのは、かなりのつじつま合わせが必要となるだろう」と述べている。 ダイアナの死についてはイギリスでも10年に及ぶ調査と裁判が行われた。裁判ではモハメドが証言台に立って陰謀論を展開し、エディンバラ公を「陰謀公爵」と批判し、また陰謀論に都合の悪い存在(生き残ったボディーガードのジョーンズ、ドディの元愛人ケリー・フィッシャー(英語版)、ダイアナの恋人ハスナット)も「陰謀の加担者」と批判したが、モハメドの証言は裁判で次々と論破されていった。裁判により「現場から消えた白いフィアット・ウーノの事件への関与」も「トンネルでのまばゆい閃光」もないことが確定し、ついにはモハメドの弁護団も陰謀説を裏付ける証拠がないことを認めざるを得なくなり、2008年4月7日の陪審でダイアナの死は「過失による交通事故死」という公式結論が出されるに至った。 2013年8月17日のイギリス陸軍特殊部隊「SAS」所属の狙撃兵ダニー・ナイチンゲール(英語版)の裁判で、SASがダイアナ元妃殺害に関与したとする情報が出てきて再び波紋が広がり、ロンドン警視庁がこの情報の信憑性を確かめるための調査を行った。その結果、ロンドン警視庁は同年12月17日に新情報を裏付ける証拠は何もなく信用性なしとの結論を出している。
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