枝尾賢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/01 14:08 UTC 版)
枝尾 賢(えだお まさる、1982年1月2日 - )は、福岡県出身の競艇選手。登録番号4148。身長164cm。血液型A型。89期。福岡支部所属。妻に元競艇選手の森永愛(登録番号4135)[1]、同期に梶野学志、石塚久也、川口貴久らがいる。
来歴
- 2001年11月20日、福岡競艇場でデビュー予定だったが練習中に負傷したため、デビューが同期より遅かった。
- 2007年1月23日、大村競艇場での「G1第21回新鋭王座決定戦競走」でG1初出場。
- 2009年7月25日、尼崎競艇場での「第2回WEB競艇TV杯」4日目12Rで、1周目第2ターンマークを旋回中に大きく流れて消波装置に激突して落水[2]、骨折する重傷を負って半年間の欠場を余儀なくされたが翌年2月に復帰した。
- 2010年4月18日、鳴門競艇場での「大型映像導入6周年記念競走」で初優勝(優出31回目)。
- 2010年7月27日、芦屋競艇場での「外向発売所アシ夢テラスオープン記念」で妻の森永愛が引退。直接対決こそ無かったものの、同じ斡旋となった。
- 2011年12月13日、福岡競艇場にて行われた第58回九州地区選手権においてG1初優出(6号艇)、大外回りとなったが瓜生正義に次ぐ2着となった。
- 2019年9月29日、江戸川競艇場において開催された開設64周年記念競走を制し、初のG1を獲得。
- 2024年10月6日、浜名湖競艇場において開催された「開設71周年記念浜名湖賞」の4日目第5レースを航走中に脳梗塞を発症。レースには勝利したものの[3]、自力で下船できずに病院に救急搬送され、2か月の入院生活を送る[4][1]。
- 2025年4月9日、若松競艇場において開催された「第43回日本モーターボート選手会会長杯」初日第2レースでレース復帰を果たし[5]、同開催では優勝戦にも進出している(4着)[6]。
関連項目
脚注
- ^ a b 【シン・ニシヤマの部屋#13 フルバージョン】どん底から這い上がった男「西山貴浩&枝尾賢」ボートレース福岡 2025年9月26日配信
- ^ 尼崎競艇場では2004年3月28日、同じ事故状況で中島康孝(85期・登録番号4029)が亡くなっている。
- ^ 当該レース結果BORTRACE公式 2024年10月6日
- ^ 【ボートレースコラム】枝尾賢 脳梗塞から復活! 奇跡のレーサーが若松で再発進スポーツニッポン 2025年4月25日
- ^ 当該レース結果BORTRACE公式 2025年4月9日
- ^ 当該レース結果BORTRACE公式 2025年4月12日
外部リンク
固有名詞の分類
- 枝尾賢のページへのリンク