中華民国の成立とは? わかりやすく解説

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中華民国の成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:53 UTC 版)

辛亥革命」の記事における「中華民国の成立」の解説

11月1日清朝政府袁世凱内閣総理任命海外華僑留学生及び国内世論の間に袁世凱による初代大総統気運高まった11月9日黄興袁世凱書簡送りナポレオンワシントン資格持ってナポレオンワシントン功績作るべしとし、袁世凱民主的に選出され総統となることを求めた11月16日パリ滞在中の孫文国民軍政府対し袁世凱総統就任同意意向を示す電報送信している。 1911年11月黎元洪首班とする武昌団体上海都督陳其美江蘇都督程徳全代表する上海団体同時に中央政府準備活動展開した11月9日黎元洪湖北軍政府都督名義により独立した各省に代表を武昌派遣し中央政府組織ための会開催呼びかける電報を、11月11日には上海都督陳其美江蘇都督程徳全等の三省軍政府都督各省代表に上海での同様の会議開催呼びかける電報発信している。11月15日各省都督府代表聯合会が上海開催され上海江蘇浙江福建の省代表が参加武昌団体会議武昌での開催主張した武昌最初に発生した革命であったため多くの省代表は武漢到着し同盟会の主要指導者である黄興宋教仁等も武漢入っていた。結局上海団体譲歩により、各省代表が武漢集結することになり、30日漢口臨時中央政府組織及び『中華民国臨時政府組織大綱制定ための会開催決定し、それと同時に上海にも各省1名の代表を駐在させ連絡機関を設置することが決定した11月21日各省代表は次々武昌到着した。このときの漢陽は清軍の攻撃を受け陥落危機にあったが、各省代表は30日イギリス租界順昌洋行第1回会議開催14省の代表24名が参加し譚人鳳議長選出された。会議では臨時政府成立以前湖北軍政府中央軍政府職権代行し湖北軍都督が中央軍政府大都督代行することが決定された。12月2日臨時政府組織大綱制定決定奮、馬君武王正廷組織大綱起草者に選出される同時に袁世凱意向によっては臨時大総統推挙することが確認された。12月3日会議3章21条で構成される中華民国臨時政府組織大綱』を採択即日全省代表の署名の下に公布され南京臨時政府所在地とする、総統制による共和体制方針確認された。各省代表は7日以内南京集結10省以上の代表が集結した場合臨時大総統選挙実施することも定められた。 12月4日宋教仁陳其美等は上海における各省代表の沈恩孚、兪寰澄、葆康林長民馬良、王照、欧陽振声、居正、陶集、呉景濂劉興甲、趙学臣、福詵、さらに章炳麟、趙昌、章駕時、蔡元培王一亭、黄中央顧忠琛、彭錫範などを召集し上海江蘇省教育総会にて会議開催投票方式により孫文への帰国要請政治参加求め公電発信決定黄興暫定大元帥黎元洪を副元帥とし、大元帥による中華民国臨時政府方針求めた。しかし黄興大元帥就任要請強く固辞したため、17日には黎元洪大元帥黄興を副元帥とすることが決定した議論国旗問題及んだ際には湖北代表は鉄星十八星旗を、福建代表は青天白日旗江浙代表は五色旗国旗主張行い対立したが、最終的に五族共和代表する五色旗国旗とし、鉄星十八星旗陸軍旗青天白日旗海軍旗とする折衷案採用された。 12月11日上海漢口地方17省代表が南京入り中央政府設置向けた会議続けられた。12月14日各省代表は『臨時政府組織大綱に基づき総統選挙を行う事を決定黎元洪及び黄興の両派に別れていた。12月15日、代表は袁世凱共和制賛成方針獲得したため総統選挙延期され袁世凱への政治的期待高まった12月25日フランスマルセイユより孫文上海帰国した孫文多く革命団体より支持を受ける人物であり、大総統就任期待される人物であったため、立憲派及び旧勢力より孫文袁世凱から大総統の座を奪い取るのである認識されていた。 12月28日南京臨時大総統選挙予備会議開催され29日臨時大総統選挙実施された。 臨時政府組織大綱第1条で「臨時総統各省都督代表がこれを選挙し投票総数3分の2上の獲得当選とされ、投票権各省1票」と規定されていた。選挙参加したのは直隷奉天山東山西河南陝西湖北湖南江西安徽江蘇浙江福建広東広西雲南四川1745名の代表であり、孫文17票中16票を獲得し中華民国初代臨時大総統選出された。 1912年1月1日孫文南京にて中華民国の成立を宣言するとともに初代臨時大総統就任のための宣誓行った。『臨時大総統宣誓書』の中で国民主権国家であり、漢満蒙諸民族による国家体制強調している。1月2日孫文各省陰暦廃止太陽暦採用及び中華民国暦採用通達し1912年中華民国元年とした。 1月3日各省代表は黎元洪臨時副総統選出し同時に孫文提出した臨時政府各部総長次長名簿承認、ここに正式に中華民国臨時政府成立した臨時政府下部10部を設け陸軍部総長黄興参謀本部総長兼任)、海軍総長黄鍾瑛外交部総長王寵恵司法総長伍廷芳財政部総長陳錦濤内務総長程徳全教育部総長蔡元培実業総長張謇交通部総長湯寿潜就任している。この他人事としては総統府秘書長胡漢民法制局長宋教仁、印鋳局長に黄復生が任命された。 1月11日各省代表会議南京臨時首都とし、五色旗中華民国国旗定め五族共和象徴とした。1月28日各省代表会議により臨時参議院設置され各省代表は参議院議員となり、林森と陳陶遺がそれぞれ正副議長就任した

※この「中華民国の成立」の解説は、「辛亥革命」の解説の一部です。
「中華民国の成立」を含む「辛亥革命」の記事については、「辛亥革命」の概要を参照ください。

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