三星ライオンズ対ロッテ・ジャイアンツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 05:41 UTC 版)
「1999年の韓国シリーズ」の記事における「三星ライオンズ対ロッテ・ジャイアンツ」の解説
この対決は歴代プレイオフやポストシーズンシリーズの中でも歴史に残る名勝負に数えられ、韓国シリーズよりもファンを沸かせた一戦だった。 シーズン前から大型補強に出て、巨大戦力を構築し始めた三星は、所属するマジックリーグのチームが比較的に弱かったのにも助けられ、シーズン後半のハンファの追い上げが脅威的だったものの、順風満帆なペナントレースを送っていた。シーズンを通じて、これと言った危機もなく、順当にマジックリーグ1位の座を掴めてプレイオフに臨んだ。 三星のプレイオフの相手はロッテ・ジャイアンツでロッテは年間勝率では三星を上回ったが、直接対決では三星に負け越しており、またシーズン最終戦まで斗山と熾烈な順位争いを繰り広げ、斗山同様チーム全体が疲弊気味であった。プレイオフで三星は第4戦まで3勝1敗と王手を掛けて、6年ぶりの韓国シリーズ出場を目の前にしていた。しかし、三星は公式戦からヘテ・タイガースとの超のつく大型トレードで獲得した抑えの林昌勇(イム・チャンヨン)に頼りすぎていた代償をここで払うことになる。予てから弱点と指摘されていた投手力の補強のため、1997年のアジア通貨危機で資金難に落ちていたヘテに梁埈赫(ヤン・ジュンヒョク)を含む3人と現金10億ウォンを出して、獲得した林昌勇だったが、公式戦からいざとなれば呼び出されるという意味でエニ・コール(Any Call)という別名がつけられたほど、登板過多でプレイオフに入ったころはすでに疲れを極めていた。 それでも懲りず、三星は勝機を固めるため、リードしては早い回から林昌勇を投入。第5戦でも5対3のリードを持って9回裏の守備に入っていた。この1回を抑えれば、4勝1敗で韓国シリーズに進出できた三星は当然のごとく、勝利固めとして林昌勇を登板させたが、ここから三星のプランに綻びが入り始めた。絶対的な信頼を寄せていた林昌勇がメジャーリーグのオールスター出身で話題になって公式戦でも脅威を振るっていたフェリックス・ホセに逆転サヨナラ3点本塁打を打たれ、最後の最後でロッテの息の根を断つことができなかった。 舞台を三星の本拠地である大邱に移して行われた第6戦でも、起死回生の勢いに乗ったロッテに序盤大量失点で7回の追い上げも1歩届かず1点差負け。第5戦の9回までは予想もしていなかった最終戦までもつれ込んだ。続く最終戦で三星は2点を先制したが、6回の表、韓国プロ野球での歴史に残る大事件「大邱大乱闘」が起こった。2点のリードをもらっていた先発の盧長震がホセに追撃のソロホームランを浴びたが、第5戦の逆転劇の主役でこれで3戦連続のホームランだったホセの一発だっただけに、当時まで一度もなかった3勝1敗からの逆転負けへの不安感がスタンドに漂い、空気が怪しくなってきた。ホセがベースを回る間、興奮した一部の観客がグラウンドに物を投げ込み始め、ホセがホームに入る寸前に観客が投げたミネラル・ウォーター入りのペットボトルがホセを直撃した。これを自分に対する威嚇と受けたホセが激高してスタンドに向かい、これによりスタンドの興奮が激しさを増してきて、物投げも酷くなってきた。ついに、怒りを堪え切れなかったホセが自分のバットをスタンドに投げ込んで観客を直撃、収拾がつかない事態に発展してしまった。そして、ホセに同調したロッテの選手も全員ベンチを出て、観客とロッテの選手の防球ネットを挟んだにらみ合いが続けられ、一部の選手は罵声を浴びせる観客に向かって防球ネットに蹴りを入れるなど事態が悪化一路をたどった。結局、試合が中断され、両チームの選手は全員ベンチに引き込み、ロッテの選手団は没収試合を主張しながら、試合再開を拒否した。ついに観客席の興奮も収められ、審判団の説得によって、事態を悪化させたホセを退場させることで両チームが試合再開に合意した。客席にバットを放り込んだホセは身辺の安全のため、退場の直後宿舎に帰された。それまでなかった歴史的な逆転負けへの不安から乗り出した三星のファンの過激行為による試合中断は更なる悲劇を呼び込んだ。ホセにホームランを打たれたものの、まだ2対1のリードを保っていた三星だったが、守備中の試合中断で投手のリズムが狂ってしまい、試合再開の直後、後続打者の馬海泳(マ・ヘヨン)にすかさず同点のホームランを許した。さらには7回表にロッテに勝ち越し点を許し、三星ファンの不安が現実化されるかに見えたが、それでも8回裏の攻撃で金鍾勲(キム・ジョンフン)の本塁打で逆転に成功。またしても、2点リードの場面で9回の守備に入った。満を持して林昌勇が投入されたが、ここでまた同点本塁打を被弾。試合は思わぬ延長戦に入ってしまった。 最終戦までもつれ込む激戦ですべての戦力を注ぎこんだ両チームは最後の砦として林昌勇と朱炯光(チュ・ヒョングァン)をマウンドに残した。しかし、公式戦とプレイオフの激戦から疲労に耐え切れず林昌勇が11回表に勝ち越し点を許し、その裏の守備で朱炯光に三星の打線が抑えられ、歴史に残る名勝負はロッテに軍配が上がった。 戦力補強のためにシーズン前からアジア通貨危機で親会社が経営難に落ちていたヘテ・タイガースとサンバンウル・レイダースの主力選手を現金トレードで獲得して、「お金の力で経営が厳しくなった球団の骨まで抜き去る」とまで非難されても、微動もしなかった三星だった。しかし、先発陣の底上げが伴わなく一人の抑え投手に過度に頼るブルペン運用が災いになって、ロッテの起死回生の勢いに飲み込まれ、歴史的な逆転負けでポストシーズン敗退のつらい記憶を再度繰り返す結果に終わった。 韓国プロ野球史上7戦4勝制のシリーズで1勝3敗からの逆転勝利は、プレイオフ、韓国シリーズを通じてこれが最初であり、ロッテは1984年の韓国シリーズ同様、歴史に残る名勝負の末に苦手の三星を下す喜びを再度味わうことになった。(2013年の韓国シリーズで、三星は第4戦を終えて1勝3敗の状態から斗山ベアーズに3連勝し韓国シリーズ3連覇を達成した)
※この「三星ライオンズ対ロッテ・ジャイアンツ」の解説は、「1999年の韓国シリーズ」の解説の一部です。
「三星ライオンズ対ロッテ・ジャイアンツ」を含む「1999年の韓国シリーズ」の記事については、「1999年の韓国シリーズ」の概要を参照ください。
- 三星ライオンズ対ロッテ・ジャイアンツのページへのリンク