三明神合祀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 02:28 UTC 版)
穂見諏訪十五所神社は複数の神社が統合し、多くの神を祀る。創建は一説によれば貞観6年(864年)と考えられ、延喜13年(913年)完成の延喜式には「甲斐の国に穂見神社あり」と記される式内社と比定される。 文永11年(1274年)に神宮司が併設され、僧竜僧が常住した。真言秘密を行い、日蓮と法問答をしたと伝わる。神仏混淆の流れは6世紀半ばに日本に仏教が伝来して以来のものである。 建治元年(1275年)、穂見神社に、暦占いの五行説に基づいて十五所神社が勧請された。天文3年(1534年)に飢饉があり、疫病が流行した折に、武田信虎の命により筒粥神事が行われた。天文16年(1547年)に造営された神社社殿の棟札に「南無諏訪上下大明神」とあるので、諏訪大明神を勧請したのはその頃であると考えられる。延宝2年(1674年)鳥居建立の折に、三明神列記の石額となり、2021年現在に至るまで社号はないという。
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