ロズウェル陸軍飛行場での異星人の話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:44 UTC 版)
「ロズウェル・リポート」の記事における「ロズウェル陸軍飛行場での異星人の話」の解説
報告は、ほとんどがグレン・デニス一個人の証言に基づく、ロズウェル基地での異星人の、非常に詳細な死体の話についての議論へと移る。彼の話(ロズウェル事件の目撃談を参照)は、ロズウェル基地に集中する、日付、出来事、および個人について多くの特定の詳細を持っていた。 デニスの話は、大きなスパンの時間帯から、そこにいた人々と起こった出来事を合併し、それらを1947年6月の時期のいつかの日へと融合したものだ、と報告は結論づけた。「彼の叙述した話を実際の出来事の公式記録と比較したとき、広範囲な時間的不正確さは12年もの日付の誤りを含むと思われることが示された」(p.79)。 イングランドから船で送られてきたと彼が主張した看護師は、イングランドで務めていることがまわりに知られていた一人の看護師だったのだろう―しかしその人物がそこに務めていたのは1952年から1955年のあいだであった。彼女は健康状態を理由に1947年9月に基地を離れた。デニスは出来事に関与した小児科医も叙述していたが、この人物に該当しえた人は、1954年まで主張された場所―ニューメキシコ州ファーミングトン―にきていなかった。 多数の矛盾が明らかになった。たとえば、1952年まで使われていなかった用語である、「航空兵」という表現をデニスは繰り返し使った(p.86)。そして、アメリカ陸軍航空隊が人種的に差別されていた時代であるにもかかわらず、白人の士官を伴う「黒人軍曹」への言及があった。これは当時にはほぼありえなかった組み合わせであった。さらなる調査が彼の叙述に出てくる人物に相当する個人を明らかにしたが、彼らがロズウェルにいたのはもっと後であった。ルーシル・C・スラッテリー中佐Lt. Col. Lucille C. Slatteryは、「スラッツ」のあだ名を持ち、デニスによってその場所にいたと叙述された空軍看護師であったが、問題の出来事の一ヶ月後まで基地病院に到着していなかった(pp.88-9)。 デニスが多くの場合、1947年6月より後にいた個人、または故人を合成して作り出した人物を含む話をしていたと断定した後、報告は異星人の話と、これらの個人と同じ時間帯にロズウェル陸軍飛行場/ウォーカー空軍基地(ロズウェル陸軍飛行場は1947年後期にウォーカー空軍基地と改名された)で、以下の話に合致する出来事が何か起こっていなかったかについての話に移った: 「非常にずたずたの」、「黒い」、「小さな体の」死体; 普段ロズウェル/ウォーカー基地に配属されていない検死解剖を行う二人の医師; 異常に大きな頭部を持つ死体; 赤髪の大佐の関与; カヌー様の残骸の近くに停まった救急車; 高められたセキュリティ。 死亡者、検死解剖、およびひどく燃えた死体が関わる一つの事件が見つかった: 1956年1月26日のKC-97G航空機が関与した給油事故である。11人が死亡した。デニスの話と事件とのあいだの際立った類似点が明らかである。飛行士の黒焦げで手足がばらばらになった死体は彼の「非常にずたずたの」、「黒い」死体の叙述に一致し、「3フィート半から4フィートの身長」は下肢が失われた燃えた死体の検死解剖報告に一致する。また、検死解剖は飛行士のうち三人―デニスの話と合致する―について行われ、そしてこの検死解剖はデニスが同じ時期のあいだに雇用されていたと主張する遺体安置所で行われた。観察された二人の未知の医師は、基地で予備的検死解剖を行った、空軍の民間人の専門家と地元の病理学者であったのだろう。報告された、高圧的かつ高度な保安体制の叙述は、肯定的な判定が決定される前の、死亡情報の発表に関する手順の状況にあったのだろう(p.99)。 この地域における高高度または低高度の有人気球実験の記録も、一部の話との類似点を明らかにした。エクセルシオ計画の一部である、1959年5月の低高度気球の事故は、ウォーカー空軍基地へと空輸された、三人の怪我をした搭乗員たちを生んだ。この計画には反対論があり、事故の結果は計画の中止を導くだろうという非常に現実的な見込みがあった。このため、単なる事故という事実にもかかわらず搭乗員の男たちは狼狽した。この論争は、大気中の約100,000フィートの気球からパラシュート降下するという試みが、賢明かどうかについて疑問を投げかけていた。それゆえに、この計画を取り巻く要素は多くが秘密にされた。これは、当事者であるジョゼフ・キッティンジャー大尉Captain Joseph Kittingerによって書かれた1961年の本、"The Long Lonely Leap"によって裏付けられている(p.109)。キッティンジャーは、赤毛で身長6フィートの人であった。彼はデニスが言及する赤毛の大尉であるように思われる。デニスは「あなたは何も見なかった。ここで墜落なんてなかった。あなたは街へ行ってあなたが何かを見たあるいは何かの墜落があったといういかなる噂もしない」と言ったと述べた。デニスは実際に3人の怪我を追ったクルーの男の到着を目撃し、それからしゃべらないように警告されたが、その警告はエクセルシオ計画を保護するためのものだった、と報告は断定する(p.110)。ちなみにキッティンジャーはこれらの高高度からのパラシュート降下をし続けることになった。そのうちの一つはいまだに全ての時代の記録として成立している、1960年の102,800フィートという記録である。 3人の男のエクセルシオのクルーが救急車によって護送された。そして、デニスによる叙述はその日に存在したものと極めて合致する。彼が考えたものは「カヌーの尾部のような……ステンレス鋼のような……ある種の青紫色の着色がされていた」であり、一台の救急車の荷台の残骸だったと彼は報告した。この叙述は、この任務へと転用された、救急車の上の空軍ブルーに塗色された二つの鉄製パネルを正確に叙述している、と報告は記している(p.113)。「壊れたガラス」に似た床いっぱいの残骸といった他の叙述は、任務から回収された透明プラスティックのポリエチレン気球と一致する。 デニスが叙述した保安態勢の高められた状態は、エクセルシオのチームの到着でとられた、特別の保安体制に非常に似ているようである。発表されずに到着した気球クルーの存在は、多くの基地隊員に対し、彼らがセキュリティ上の脅迫を受けた、または核武装した施設の警戒体制を試験する戦略航空軍団からのチームだった、と信じさせた。どちらにせよ、基地の隊員はその日さらに強い警戒状態の中にあり、これはデニスの述べた高圧さの説明になるだろう。気球クルー自身は彼らの到着時に、機関銃で武装した隊員によって迎えられた。 報告の一つは肥大した頭部を持つ異星人に言及していた。これは鼻がかろうじて突き出しているぐらいに頭部が腫れていた、クルーの怪我の一つを誤認したものだったのだろう(p.119)。このクルーのメンバー、ダン・フルガム大尉(Capt. Dan Fulgham)は、C-131医療航空機でライト-パターソン空軍基地へと空輸された。彼はキッティンジャーによって運ばれ、腫れが彼の視界を遮っていたので付き添いを必要とした。フルガムの妻がそこにいて、自分の夫はどこにいるのか、とキッティンジャーに訊ねた。「私は彼女に、奥様、これがあなたの夫です、と話した。そして私は彼女に、私が傾斜路の下へと導いてきたこの小さな塊を見せた。そして彼女は1マイル離れたところでも聞こえる叫び声を出した」(p.120)。
※この「ロズウェル陸軍飛行場での異星人の話」の解説は、「ロズウェル・リポート」の解説の一部です。
「ロズウェル陸軍飛行場での異星人の話」を含む「ロズウェル・リポート」の記事については、「ロズウェル・リポート」の概要を参照ください。
- ロズウェル陸軍飛行場での異星人の話のページへのリンク