マルキーズ諸島とは? わかりやすく解説

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マルキーズ諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 20:22 UTC 版)

ポール・ゴーギャン」の記事における「マルキーズ諸島」の解説

ゴーギャンは、最初にタヒチパペーテ訪れた時から、マルキーズ諸島で作られた碗や武器見て、マルキーズ諸島に行きたいという思い持っていた。しかし、実際のマルキーズ諸島は、太平洋島々中でも最も西欧病気(特に結核)で汚染され島々であり、18世紀には8万人いたという人口当時4000人にまで落ち込んでいた。またタヒチと同様西欧化され、既に独自の文化失っていた。 ゴーギャン1901年9月16日ヒバ・オア島着き、マルキーズ諸島の政庁があるアトゥオナに住み始めた。アトゥオナはパペーテよりは開発遅れていたが、汽船定期便があった。医師はいたが翌年2月パペーテ去ってしまったため、ゴーギャンは、ベトナム人冒険家のグエン・ヴァン・カムと、プロテスタント牧師医学学んだことがあるというポール・ヴェルニエに病気の治療を頼ることになり、2人親しくなった。ゴーギャンは、ミサ欠かさず通うことで地元司教機嫌をとってから、町の中心部カトリック布教所から土地買い取った司教ジョセフ・マルタンは、当初タヒチゴーギャンカトリック側を支持する言論活動行っていたことから、ゴーギャン好意的に振る舞ったゴーギャンはこの土地2階建ての建物を建て、「メゾン・デュ・ジュイール(快楽の館)」と名づけた。壁には、彼が集めたポルノ写真飾られていた。初めの頃、この家にはポルノ写真見よう多く地元住民詰めかけた。このことだけでも司教には不快なことだったが、ゴーギャンはその上司教とその愛人噂され召使当てこすった2体の彫刻階段前に置いたり、カトリックミッション・スクール制度批判したりしたことで、司教との関係は更に悪化したゴーギャンは、ミッション・スクールから2マイル半以上離れた生徒通学義務がないと主張し、これによって多く女生徒学校に行かなくなってしまった。その中の1人14歳少女ヴァエホ(マリー=ローズとも呼ばれた)を妻とした。少女にとっては、健康状態のますます悪化したゴーギャン毎日看護してやらなければならず、重荷であった。それでも、彼女はゴーギャンとの同居選んだ1901年11月までに新居設け、ヴァエホ、料理人2人召使のペゴー、1匹と暮らし始めた。ここでゴーギャン制作専念するようになり、翌1902年4月にはヴォラールに20キャンバス送っている。彼は、モンフレーに、マルキーズではモデルも見つけやすいので新しモチーフを見つけることができると思うと書き送っている。タヒチ時代テーマ避けて風景画静物画人物の習作取り組んだが、タヒチ時代の絵を深化させた『扇を持った若い女』、『赤いケープまとったマルキーズの男』、『未開物語』という3作品制作している。 1902年には、ゴーギャン健康状態は再び悪化し、足の痛み動悸全身衰弱といった症状悩まされた。9月には、足の怪我痛み激しくなり、モルヒネ注射をせざるを得なくなった視力悪化し最後自画像では眼鏡をかけている。 『扇を持った若い女1902年フォルクヴァンク美術館。 『未開物語1902年フォルクヴァンク美術館。 『赤いケープまとったマルキーズの男』1902年リエージュ近代美術館。 『自画像1903年バーゼル市立美術館1902年7月妊娠中だったヴァエホがゴーギャンのもとを去り家族と友人のいる故郷隣村子供を産もうと帰ってしまった。ヴァエホは9月子供産んだが、戻ってくることはなかった。ゴーギャンその後新たな妻を迎えなかった。ちょうどこの時期に、マルタン司教との間でのミッション・スクールをめぐる論争加熱していた。 12月には、病状悪化によりほとんど絵の制作ができなくなった最期悟ったゴーギャンは『前語録』(Avant et après)と題する自伝的回顧録書き始め、2か月完成させた。表題には、タヒチに来る前と後の体験綴ったという意味と、祖母回顧録過去未来』への敬意含まれていると考えられるポリネシアでの生活、自分生涯文学・絵画への批評など雑多綴られたものである。その中には地元当局や、マルタン司教、妻メットデンマーク人一般などへの批判盛り込まれている。 1903年初頭ゴーギャンは島駐在国家憲兵ジャン=ポール・クラヴェリーやその部下無能力汚職告発する活動始めた。しかし、逆にクラヴェリーから名誉毀損告発され3月27日罰金500フラン禁錮3か月判決受けたゴーギャンはすぐにパペーテ裁判所控訴し、その旅費資金集め始めたが、5月8日の朝に急死した。 『海辺騎手たち』1902年個人コレクション。 『豚と馬のいる風景1903年アテネウム美術館ヘルシンキ)。 『異国のある静物1902年プーシキン美術館

※この「マルキーズ諸島」の解説は、「ポール・ゴーギャン」の解説の一部です。
「マルキーズ諸島」を含む「ポール・ゴーギャン」の記事については、「ポール・ゴーギャン」の概要を参照ください。

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