ポルトガル海上帝国の成立
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「アヴィス王朝」の記事における「ポルトガル海上帝国の成立」の解説
「ポルトガル海上帝国」も参照 王位に就いたジョアン1世は有力貴族と対立し、1481年に開催したコルテスで領主裁判権と年金の削減などの貴族の特権を抑制する政策を実施した。有力貴族はジョアン2世に対する反乱を企てたが、首謀者であるブラガンサ公フェルナンド2世は斬首され、計画に加担した、あるいは嫌疑をかけられた貴族はポルトガル国外に逃亡する。ブラガンサ公に次ぐポルトガルの大貴族でジョアン2世の従弟・義弟でもあるヴィゼウ公ディオゴも反乱を企てたが、ジョアン2世はディオゴを刺殺し、ディオゴの計画に参加した貴族は処刑され、あるいは隣国のカスティーリャに逃亡した。ジョアン2世が即位してから3年の間に有力貴族の大部分が処刑され、あるいは国外に亡命したため、彼らが所有していた多くの所領が王領地とされた。ジョアン2世がブラガンサ公フェルナンド2世を処刑した時に貴族の反国王感情は頂点に達し、公開処刑が行われるたびに国王と貴族の対立は深まっていった。 ジョアン2世は西アフリカ探検を推進し、国王の称号に「ギニアの領主」を追加する。1482年にジョアン2世はディオゴ・カン、バルトロメウ・ディアスらを西アフリカ沿岸に派遣してインド航路の開拓を命じた。リスボンを訪れたイタリア人クリストファー・コロンブスはジョアン2世に西回りでのアジア航路の開拓を提案したが、1489年にバルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸南の喜望峰の就航に成功した報告がもたらされたため、コロンブスの提案は却下される。スペインの援助を受けて西方への航海に出たコロンブスは1492年にアメリカ大陸に到達し、1493年にスペインは教皇アレクサンデル6世からアゾレス諸島の西100リーグの子午線以西で発見された土地の独占権を認められた。ポルトガルは教皇庁の決定に反発し、1494年6月に締結されたトルデシリャス条約で新たに「発見」される非キリスト教世界の帰属が確認され、ヴェルデ岬諸島の西370リーグ西の西経46度30分の経線(教皇子午線)を境界として東の地域はポルトガルに、西の地域はスペインに与えられた。1500年にポルトガル船団によって南アメリカ大陸のブラジルが発見され、植民事業者による開発が進められる。 ジョアン2世の治世に宮廷は王権の強化に反対する党派と国王に二分され、1495年にジョアン2世は没した後、ジョアン2世の義弟マヌエル1世が貴族側の代表者として即位する。マヌエル1世が推進するアジア・アフリカへの進出によって貴族は王権に対立せずとも軍功、官職、財産を獲得する機会に与ることができ、ブラガンサ家などのジョアン2世の治世に失脚した貴族の威信、特権、財産が再興された。マヌエル1世はキリスト教世界で最も豊かな国王と賞賛され、1499年にマヌエル1世は「エチオピア、アラビア、ペルシア、インドにおける征服、航海、商取引の支配者」の称号を追加する。 1505年以後、インド副王フランシスコ・デ・アルメイダと総督アフォンソ・デ・アルブケルケの指揮下でインド洋沿岸での交易拠点が拡張される。紅海を監視下に置くために1503年にソコトラ島にポルトガルの要塞が建設され、1515年にはペルシア湾沿岸の商業都市ホルムズがポルトガルの支配下に入った。1510年にポルトガルは胡椒の主生産地であるマラバール海岸のゴアを征服してインド方面の植民地の首府とし、1511年に東南アジア最大の交易センターであるマレー半島のマラッカを占領し、マラッカ王国を滅ぼした。1505年からポルトガルは北アフリカ沿岸部の都市を征服し、アガディール近郊のサンタ・クルス・ド・カボ・デ・ゲからアジムール(ムライ・ブ・サイブ)、タンジェまでのモロッコ海岸部は事実上ポルトガルの支配下に置かれ、南に進む船舶がイスラム教徒の海賊船に襲撃される危険が取り除かれた。 1518年にシナモンの産地であるセイロン島のコロンボ、1522年にクローブの産地であるモルッカ諸島のテルナテ島にポルトガルの要塞が建設され、モルッカ諸島の領有権を巡ってスペインとの対立が起きるが、1529年に締結されたサラゴーサ条約によってスペインは35万ドゥカートの受領とフィリピンの領有と引き換えにモルッカ諸島の領有権を放棄した。ポルトガルの進出と並行してキリスト教の布教活動も行われ、ゴアなどの重要な拠点には司教座と神学校(セミナリオ、コレジオ)が置かれ、イエズス会はポルトガル国王の保護を受けてアジアでの布教活動を行った。
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