ゴゲンとは? わかりやすく解説

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ご‐げん【五弦/五×絃】

読み方:ごげん

弦楽器の5本の弦。

五弦琴」または「五弦琵琶」の略。


ご‐げん【五眼】

読み方:ごげん

仏語真理認識する能力を、眼になぞらえて5種に整理したもの。肉眼(にくげん)・天眼(てんげん)・慧眼(えげん)・法眼(ほうげん)・仏眼(ぶつげん)。


ご‐げん【御監】

読み方:ごげん

馬寮(めりょう)を総裁した職。左右一人で、近衛大将(このえのだいしょう)が兼任したうまのつかさ

親王家家司(けいし)の上官。


ご‐げん【御見】

読み方:ごげん

《「御見参」の略。「ごけん」とも》お目にかかること。御面会江戸時代、主に遊女用いた語。

「忙(せは)しき—に取らず」〈浮・万金丹・五〉


ご‐げん【語源/語原】

読み方:ごげん

個々単語の本来の形や意味。また、個々単語成立由来起源


五原Wu yuan

ゴゲン

領城10
戸数4,667
人口22,957

太守

【郡人】李粛

【領城】九原 / 五原 / 臨沃 / 父国文国) / 河除河陰) / 武都 / 宜梁 / 曼柏 / 成宜 / 西安陽


五原Wu yuan

ゴゲン

県令

県人


吾彦Wu Yan

ゴゲン

(?~?)
大長秋

字は士則。呉郡呉の人。

吾彦は貧しく賤しい家柄出身であるが、文武両面才能があり、身の丈八尺素手猛獣ねじ伏せるほど人並み外れた強力の持ち主であった。呉に仕えて通江になった。そのころ将軍薛珝が節を杖突きながら南征向かっており、その行軍様子たいそう立派であった。吾彦はそれを眺めると、やるせなくため息吐いた人相見の劉という人が彼に告げた。「貴君人相からすると後年、あれくらいにはなれますよ。憧れるほどでもない。」

初めは小将となって大司馬陸抗世話になった陸抗はその武勇胆略目を見はり、抜擢してやろうと思ったが、人々納得しないことを心配した。そこで諸将宴会招き、こっそりとある人に言い含め気違いのふりをして刀を抜き飛びかかって来させた。座中諸将はみな恐怖して逃げ出したが、ただ一人、吾彦だけは動揺せず、掲げて防いだので、人々はその勇気感服した。そこでようやく彼は抜擢された。

建康実録』では、こっそりと気違い言い含め、刀を手にして飛びかかって来させた、とする。

鳳凰元年二七二)、西陵歩闡籠城して叛乱し、晋に使者をやって降服した陸抗はそれを聞いて将軍左奕・吾彦・蔡貢らを西陵急行させた。(晋の)羊祜らがみな軍勢まとめて引き返すと、陸抗そのまま西陵城を陥落させて歩闡一族誅殺した《陸遜伝》。

吾彦は少しづつ昇進して建平太守になったが、そのころ(晋の)王濬が呉を討伐せんと企てており、蜀で軍船建造していた。流れてきたこけらを拾い上げて孫晧伝》、吾彦はそれを察知し人数増強して備えるべきと陳情したが、(呉帝の)孫晧聞き入れなかった。吾彦はすぐさま鉄製の鎖を作り長江道筋張り巡らせた。(晋の)軍勢が郡境に迫ると、長江沿いの諸城はみな報告受けただけで降服したり、また攻撃受けて陥落したりしたが、ただ吾彦だけは堅守し、大軍攻めかけても落とせなかった。そこで(晋軍は)一舎三十里)を退いて彼に敬意表した

呉が滅亡すると、吾彦はようやく降服した武帝司馬炎)は彼を金城太守とした。帝があるとき何気なく孫晧が国を滅ぼした理由なんだろうか?」と薛瑩訊ねると、薛瑩は「帰命侯(孫晧)どのは小人側近くに寄せて刑罰むやみに行い大臣大将信任されず、人々憂鬱恐怖抱いて落ちつきませんでした。それが滅亡きっかけです」と答えた後日、吾彦にも訊ねると、吾彦は「呉主は英俊であられ、宰相賢明でございました」と答えた。帝が笑いながら「君臣ともに賢明なら、どうして国が亡ぶものか?」と言うと、吾彦は「天運には限りがあるもので、そのため陛下の擒になったでございます。これは天命であり、人知の及ぶところではございません!」このとき張華同座していて「貴君呉将として年月重ねたそうだが、とんと評判は聞かなんだ。それが不思議じゃのう」と告げると、吾彦は声音荒げ言った。「陛下でさえ我(わたし)をご存じだというに、貴卿がご存じないと?」帝はこよなく彼を評価した

敦煌太守転任となり、威信恩恵はなはだ顕著であった雁門太守昇進した。そのころ順陽王の司馬暢身勝手で、次から次へ内史誣告して処刑していた。吾彦は順陽内史になると身を正して部下率先し威信法律厳粛であり、人々はみな畏怖した。司馬暢誣告することができず、反対に推薦することによって職場から遠ざけようとした。

員外散騎常侍昇進した。あるとき帝が「陸喜陸抗二人ではどちらがまさっておるか?」と訊ねると、吾彦は「道徳名望の点において陸抗陸喜に及びませんが、功績立てることにおいて陸喜陸抗に及びません」と答えた

そのころ交州刺史陶璜卒去したので、吾彦が南中都督交州刺史になった何回か、陸機兄弟贈り物届けると、陸機はそれを受け取ろうとしたが、陸雲が「吾彦はもともと賤しい家柄であったのを、先公ちちぎみ)に抜擢されたのだ。それなのにご下問されたとき(先公を)褒めなかった。どうして受け取れようか!」と言うので、陸機手を引いたそれ以来、いつも吾彦を悪く言うようになった

長沙孝廉尹虞が陸機らに告げた。「古代より賤しい身から出世した者には帝王さえいるのです。たかが公卿くらいがどうだと言うのです。何元幹・侯孝明・唐儒宗・張義允らはみな貧しく賤しい身から出世し、みな中央の側近地方重鎮なりましたが、悪口する人はありませんでしたあなた方は士則どのがご下問に対してちょっと褒めかったくらいのことで、ひっきりなしに悪口言っておられますが、南方人々がみなあなた方見捨ててあなた方一人ぼっちになりやしないかと心配です。」それからは陸機らの気持ちもようやく解け悪口も少しづつやめるようになった

もともと陶璜死んだとき、九真守備兵反乱起こして太守追放し九真賊徒頭目趙祉も郡城を包囲していたが、吾彦はこれらを残らず討ち平らげた鎮守任務に就くこと二十年余り威信恩恵は明らかであり、南方平和になった。

吾彦は自分上表して後任要請し中央徴し返され大長秋になり、在職のまま卒去した。

参照】尹虞 / 王濬 / 何元幹 / 侯孝明 / 左奕 / 蔡貢 / 司馬炎 / 司馬暢 / 薛瑩 / 薛珝 / 孫晧 / 張華 / 張義允 / 趙祉 / 唐儒宗 / 陶璜 / 歩闡 / 羊祜 / 陸雲 / 陸喜 / 陸機 / 陸抗 / 劉 / 雁門郡 / 九真郡 / 金城郡 / 建平郡 / 呉 / 呉県 / 呉郡 / 交州 / 蜀 / 順陽内史 / 晋 / 西陵県 / 長江 / 長沙郡 / 敦煌郡 / 南中 / 王 / 帰命侯 / 孝廉 / 散騎常侍 / 刺史 / 小将 / 将軍 / 内史 / 大司馬 / 太守 / 大長秋 / 通江吏 / 督 / 都督 / 員外 / 相者人相見) / 節



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