呉将とは? わかりやすく解説

呉将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:42 UTC 版)

三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「呉将」の解説

張昭 張紘並んで江東の二張」と称される知識人。その噂を聞いた孫策口説かれ謀士になる。孫策遺言に「内なる事は張昭に、外なる事は周瑜相談せよ」と遺すほど、呉の長老的な人物になる。史実では謹厳剛直な儒者であったが、本作では、常に孫権かたわらにあって外交上の策略助言する役目である。なお、孫策時代孫権時代大きく容貌変わっている赤壁の戦いでは孫権曹操への降伏勧めるが、周瑜一蹴される。 周瑜 声:杉田智和三国志大戦第2期)) 字は公瑾。呉軍水軍総指揮任される水軍大都督で、美男子であり「美周郎」の異名を持つ。そのため初登場時にはかなり睫毛長く描かれ、その美形ぶりが際立つ描写であった。その才能は「水軍を操らせたら周瑜天下一」と孔明でさえ認める。呉随一切れ者ではあるが孔明権謀策術にはたびたび翻弄され全て見透かす孔明危険視して何かにつけ殺そうとする。呉から孔明去った後は何とか孔明の鼻を明かそうとするが、どうしてもかなわず同じく孔明ライバルである仲達とは対照的に、「天はこの周瑜地上生まれさせながら、なぜ孔明まで生まれさせたのだ」と、死去する少し前に天を呪っていた。妻は小喬。姉の大喬孫策嫁いでいるので、孫策とは義兄弟にあたる。 魯粛 声:佐藤拓也三国志大戦第2期)) 呉の腹心曹操100万もの大軍で呉へ押し寄せた際には、協力求め劉備所へ使者として現れる。 呉の大黒柱のひとりだが、孔明周瑜の間に入り奔走させられる温厚正直な性格がたたり、うまく孔明言いくるめられては周瑜呆れられる。その死は急使により曹操のもとに伝えられ曹操管輅占い的中したことに驚いた呂蒙 荊州守備任され関羽対峙する呉の司令官相対する関羽は「呉随一武将」と呂蒙評価し同じく荊州領有権を争う魏の曹仁対峙する間も呂蒙動きについては常に警戒を怠らなかった。陸遜才能いち早く見抜き孫権陸遜のことを推挙する陸遜 声:江越彬紀三国志大戦第2期)) 玄徳自ら指揮する蜀軍侵攻対抗すべく抜擢された呉の司令官知略優れ先の司令官である呂蒙からその才能見込まれ、陸口の太守になる。関羽油断させて呉が荊州平定するきっかけ作ったその後闞沢によって「国家となるべき天才」と孫権推挙され馬良も「その知略呂蒙周瑜劣らない」と評していた。元文官のために、軍の指揮官として抜擢され最初の頃は他の古参武将からは「文弱の輩」として軽視されたが、75蜀軍攻め寄せた夷陵の戦いにおいて計略によって撃退し呉国存亡の危機を救う。その後孫権から絶対的な信頼得て国のとして活躍することになる。 甘寧 声:菅沼久義三国志大戦第2期)) 呉の勇将合肥の戦いでは、魏軍大将である張遼対抗して武名とどろかせる。なお、凌統から強くライバル視されているが、孫権劉表戦い全面的に省略されているため、「劉表軍にいた頃の甘寧凌統の父を討ったという事情が描かれず、凌統甘寧意識する理由不明となってしまった。 夷陵の戦いでは病をおして出陣した負傷し、蜀呉が争った後の魏の動き案じながら息を引き取った黄蓋、韓当、程普三代仕えた宿将黄蓋周瑜提案した苦肉の計を自ら引き受け決死計略成功させた。韓当孫権の代から多くの戦で登場し夷陵の戦いでは陸遜作戦に不満を漏らすがその成果目の当たりにした際考え改め謝罪している。程普孫堅井戸から見つけ出し玉璽をそれと見抜いた太史慈 声:佐藤拓也三国志大戦第2期)) 呉の武将かつては劉繇仕えその際孫策一騎討ち行って引けを取らない強さ見せつけた。孫策敗れた後は配下となる。 孫権の代になって呉軍主力一人として活躍する合肥の戦いにおいて、合肥城に内通者放ち内と外から攻め計略実行するが、作戦張遼看破されてしまい、逆に全身に矢を浴びて討たれた。 丁奉、徐盛 呉の武将コンビ登場することが多く、共に孫権時代呉軍主力を担う。 徐盛夷陵の戦い疲弊した呉を狙った魏が南下した際に総大将引き受け孫韶対立するも自らの策略孫韶奇襲撃退する孫瑜 孫権一族武将夏口守備から引き上げ道中重体周瑜らと遭遇、その労をねぎらう孫静 孫堅の弟で、孫策孫権叔父孫堅袁術共闘して劉表攻めようとした際、それを諌めた聞き入れられなかった。後に孫策会稽攻略悩まされていた際、会稽兵糧が査瀆に隠されていることを指摘し、ここを攻めとるよう進言した。 孫韶 孫権一族武将夷陵の戦い後の魏との戦いで、自らが地理に詳しいことを理由総大将である徐盛作戦真っ向から異を唱える危うく処刑されかけ孫権止められるが、その孫権忠告にも逆らったため、軍内で謹慎命じられた。しかしその後一隊率いて仕掛けた夜襲大成功をおさめ、魏軍撤退し孫権孫韶第二功労者として評価した孫桓 孫権一族武将夷陵の戦い朱然と共に陸路守護するが、蜀軍奇襲前に敗れる。 諸葛瑾 孔明実兄。主に魯粛死後、しばしば命を受け、玄徳関羽のもとへ外交官として訪れる。周瑜の命により孔明引き抜こうとしたこともあったがかわされる晩年は弟孔明北伐応じ将軍として陸遜指揮下で北上して魏軍と戦うも曹叡奇襲油断し大敗撤退した孫権信頼置いていた功臣一人である。 凌統 呉の武将孫権の代から登場し赤壁の戦い合肥の戦い随所活躍する前述のとおり甘寧対立するが、後に自身彼に救われたこと和解する周泰 字は幼平。呉の武将。もとは蔣欽と共に湖賊稼業をしていたが、孫策討伐恐れ牛渚の要塞を内から攻め、それを手土産彼の傘下に加わる。甘寧韓当同年代思われるが、盗賊らしい風貌だった初登場時除き、常に若武者のような姿で描かれる朱桓 呉の若武将曹丕即位後の魏軍進攻迎え撃ち僅かな手勢を以てこれを打ち破った名将その後陸遜と共に魏との対決臨んでいる。 宋謙 呉の武将合肥の戦いで呉の先鋒として出陣し孫権襲いかかろうとした李典一騎討ちを行うが、その最中楽進放った矢に当たって討ち死にした全琮 呉の武将石亭の戦いにおいて、陸遜の命により魏軍の薛喬に奇襲攻撃をかけ、打ち破った呂範 呉の謀臣玄徳孫夫人との婚姻呉国訪れた際、周瑜と共に彼の暗殺計画する失敗する夷陵の戦い後の魏との決戦では一軍率いて曹休打ち破っている。 虞翻 呉の政治家。字は仲翔。元は王朗幕僚だったが孫策攻めてきた時、厳白虎討って降伏するよう促す王朗拒絶され、「時期見る目が無い」と評したため追放され孫策配下となる。荊州攻略する際は友人である傅士仁説いて降伏させ、一滴の血も流さずにこれを手に入れている。 闞沢 呉の政治家。黄蓋と共に三代仕え古参の将。黄蓋周瑜苦肉の策成功させるために曹操軍への使者買って出る一度計略見破られそうになるがこれを豪胆な態度を以てかわし、策を成功導いている。 董襲、朱然 呉の武将。共に呉の水軍率いる。董襲は濡須の戦いで水軍率いて曹操軍と戦うが、戦い終結後水死体となって発見される朱然夷陵の戦いにおいて陸を守る孫桓と共に水路を守るが、策にはまって敗北喫する潘璋 呉の武将関羽関平らが樊城より出陣した際、彼らを捕えた張本人。後に夷陵の戦い出陣し民家休息取ろうとしたところ、偶々居合わせた関興一騎討ちになり討たれた。 周魴 呉の政治家。石亭の戦いにおいて、魏軍偽りの投降をするよう陸遜命じられる。自らの髪を切ることで降伏偽りがないことを誓い曹休信じ込ませることに成功呉軍攻撃内応し、魏軍散々に打ち破った

※この「呉将」の解説は、「三国志 (横山光輝の漫画)」の解説の一部です。
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