呉将
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「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「呉将」の解説
張昭 張紘と並んで「江東の二張」と称される知識人。その噂を聞いた孫策に口説かれ謀士になる。孫策が遺言に「内なる事は張昭に、外なる事は周瑜に相談せよ」と遺すほど、呉の長老的な人物になる。史実では謹厳で剛直な儒者であったが、本作では、常に孫権のかたわらにあって外交上の策略を助言する役目である。なお、孫策時代と孫権時代で大きく容貌が変わっている。 赤壁の戦いでは孫権に曹操への降伏を勧めるが、周瑜に一蹴される。 周瑜 声:杉田智和(三国志大戦(第2期)) 字は公瑾。呉軍の水軍の総指揮を任される水軍大都督で、美男子であり「美周郎」の異名を持つ。そのため初登場時にはかなり睫毛が長く描かれ、その美形ぶりが際立つ描写であった。その才能は「水軍を操らせたら周瑜は天下一」と孔明でさえ認める。呉随一の切れ者ではあるが孔明の権謀策術にはたびたび翻弄され、全てを見透かす孔明を危険視して何かにつけて殺そうとする。呉から孔明が去った後は何とか孔明の鼻を明かそうとするが、どうしてもかなわず、同じく孔明のライバルである仲達とは対照的に、「天はこの周瑜を地上に生まれさせながら、なぜ孔明まで生まれさせたのだ」と、死去する少し前に天を呪っていた。妻は小喬。姉の大喬は孫策に嫁いでいるので、孫策とは義兄弟にあたる。 魯粛 声:佐藤拓也(三国志大戦(第2期)) 呉の腹心。曹操が100万もの大軍で呉へ押し寄せた際には、協力を求め劉備の所へ使者として現れる。 呉の大黒柱のひとりだが、孔明と周瑜の間に入り奔走させられる。温厚で正直な性格がたたり、うまく孔明に言いくるめられては周瑜に呆れられる。その死は急使により曹操のもとに伝えられ、曹操は管輅の占いが的中したことに驚いた。 呂蒙 荊州の守備を任された関羽と対峙する呉の司令官。相対する関羽は「呉随一の武将」と呂蒙を評価し、同じく荊州の領有権を争う魏の曹仁と対峙する間も呂蒙の動きについては常に警戒を怠らなかった。陸遜の才能をいち早く見抜き、孫権に陸遜のことを推挙する。 陸遜 声:江越彬紀(三国志大戦(第2期)) 玄徳自ら指揮する蜀軍の侵攻に対抗すべく抜擢された呉の司令官。知略に優れ、先の司令官である呂蒙からその才能を見込まれ、陸口の太守になる。関羽を油断させて呉が荊州を平定するきっかけを作った。その後闞沢によって「国家の柱となるべき天才」と孫権に推挙され、馬良も「その知略は呂蒙や周瑜に劣らない」と評していた。元文官のために、軍の指揮官として抜擢された最初の頃は他の古参の武将からは「文弱の輩」として軽視されたが、75万の蜀軍が攻め寄せた夷陵の戦いにおいて計略によって撃退し、呉国存亡の危機を救う。その後、孫権から絶対的な信頼を得て国の柱として活躍することになる。 甘寧 声:菅沼久義(三国志大戦(第2期)) 呉の勇将。合肥の戦いでは、魏軍の大将である張遼に対抗して武名をとどろかせる。なお、凌統から強くライバル視されているが、孫権と劉表の戦いが全面的に省略されているため、「劉表軍にいた頃の甘寧が凌統の父を討った」という事情が描かれず、凌統が甘寧を意識する理由が不明となってしまった。 夷陵の戦いでは病をおして出陣したが負傷し、蜀呉が争った後の魏の動きを案じながら息を引き取った。 黄蓋、韓当、程普 呉三代に仕えた宿将。黄蓋は周瑜の提案した苦肉の計を自ら引き受け、決死の計略を成功させた。韓当は孫権の代から多くの戦で登場し、夷陵の戦いでは陸遜の作戦に不満を漏らすがその成果を目の当たりにした際考えを改め謝罪している。程普は孫堅が井戸から見つけ出した玉璽をそれと見抜いた。 太史慈 声:佐藤拓也(三国志大戦(第2期)) 呉の武将。かつては劉繇に仕え、その際に孫策と一騎討ちを行って引けを取らない強さを見せつけた。孫策に敗れた後は配下となる。 孫権の代になっても呉軍の主力の一人として活躍する。合肥の戦いにおいて、合肥城に内通者を放ち内と外から攻める計略を実行するが、作戦を張遼に看破されてしまい、逆に全身に矢を浴びて討たれた。 丁奉、徐盛 呉の武将。コンビで登場することが多く、共に孫権時代の呉軍の主力を担う。 徐盛は夷陵の戦いで疲弊した呉を狙った魏が南下した際に総大将を引き受け、孫韶と対立するも自らの策略と孫韶の奇襲で撃退する。 孫瑜 孫権一族の武将。夏口の守備から引き上げる道中、重体の周瑜らと遭遇、その労をねぎらう。 孫静 孫堅の弟で、孫策、孫権の叔父。孫堅が袁術と共闘して劉表を攻めようとした際、それを諌めたが聞き入れられなかった。後に孫策が会稽の攻略に悩まされていた際、会稽の兵糧が査瀆に隠されていることを指摘し、ここを攻めとるよう進言した。 孫韶 孫権一族の武将。夷陵の戦い後の魏との戦いで、自らが地理に詳しいことを理由に総大将である徐盛の作戦に真っ向から異を唱える。危うく処刑されかけ孫権に止められるが、その孫権の忠告にも逆らったため、軍内で謹慎を命じられた。しかしその後、一隊を率いて仕掛けた夜襲が大成功をおさめ、魏軍は撤退し、孫権は孫韶を第二の功労者として評価した。 孫桓 孫権一族の武将。夷陵の戦いで朱然と共に陸路を守護するが、蜀軍の奇襲の前に敗れる。 諸葛瑾 孔明の実兄。主に魯粛の死後、しばしば命を受け、玄徳や関羽のもとへ外交官として訪れる。周瑜の命により孔明を引き抜こうとしたこともあったがかわされる。 晩年は弟孔明の北伐に応じ将軍として陸遜の指揮下で北上して魏軍と戦うも曹叡の奇襲に油断し大敗、撤退した。 孫権が信頼を置いていた功臣の一人である。 凌統 呉の武将。孫権の代から登場し、赤壁の戦い、合肥の戦い等随所で活躍する。前述のとおり甘寧と対立するが、後に自身が彼に救われたことで和解する。 周泰 字は幼平。呉の武将。もとは蔣欽と共に湖賊稼業をしていたが、孫策の討伐を恐れ牛渚の要塞を内から攻め、それを手土産に彼の傘下に加わる。甘寧や韓当と同年代と思われるが、盗賊らしい風貌だった初登場時を除き、常に若武者のような姿で描かれる。 朱桓 呉の若武将。曹丕即位後の魏軍の進攻を迎え撃ち、僅かな手勢を以てこれを打ち破った名将。その後陸遜と共に魏との対決に臨んでいる。 宋謙 呉の武将。合肥の戦いで呉の先鋒として出陣し、孫権に襲いかかろうとした李典と一騎討ちを行うが、その最中に楽進の放った矢に当たって討ち死にした。 全琮 呉の武将。石亭の戦いにおいて、陸遜の命により魏軍の薛喬に奇襲攻撃をかけ、打ち破った。 呂範 呉の謀臣。玄徳が孫夫人との婚姻で呉国を訪れた際、周瑜と共に彼の暗殺を計画するが失敗する。夷陵の戦い後の魏との決戦では一軍を率いて曹休を打ち破っている。 虞翻 呉の政治家。字は仲翔。元は王朗の幕僚だったが孫策が攻めてきた時、厳白虎を討って降伏するよう促すも王朗に拒絶され、「時期を見る目が無い」と評したため追放され、孫策の配下となる。荊州を攻略する際は友人である傅士仁を説いて降伏させ、一滴の血も流さずにこれを手に入れている。 闞沢 呉の政治家。黄蓋らと共に呉三代に仕える古参の将。黄蓋と周瑜の苦肉の策を成功させるために曹操軍への使者を買って出る。一度は計略を見破られそうになるがこれを豪胆な態度を以てかわし、策を成功に導いている。 董襲、朱然 呉の武将。共に呉の水軍を率いる。董襲は濡須の戦いで水軍を率いて曹操軍と戦うが、戦いの終結後水死体となって発見される。朱然は夷陵の戦いにおいて陸を守る孫桓と共に水路を守るが、策にはまって敗北を喫する。 潘璋 呉の武将。関羽と関平らが樊城より出陣した際、彼らを捕えた張本人。後に夷陵の戦いに出陣し、民家で休息を取ろうとしたところ、偶々居合わせた関興と一騎討ちになり討たれた。 周魴 呉の政治家。石亭の戦いにおいて、魏軍に偽りの投降をするよう陸遜に命じられる。自らの髪を切ることで降伏に偽りがないことを誓い、曹休を信じ込ませることに成功、呉軍の攻撃に内応し、魏軍を散々に打ち破った。
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