インターシティ(InterCity)
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「アイルランド国鉄」の記事における「インターシティ(InterCity)」の解説
アイルランド国内の主要都市間を結ぶ長距離列車。最高速度は160 km/hである。 主にダブリンを拠点としており、ダブリン・ヒューストン駅からはコーク、ゴールウェイなどのアイルランド南西部・西部方面、ダブリン・コノリー駅からはスライゴ、ドロヘダなど北部方面、またかつての南部方面向けターミナル駅であったダブリン・ピアース駅を経てロスレア・ユーロ港、ウェックスフォードなどの南東部の町への列車が運行されている。他にも、コーク - トラリー線、リムリック - ゴールウェイ線、ウォーターフォード - リムリック線の運行もされている。 その他、ダブリンと北アイルランドの首都ベルファストを結ぶ国際列車エンタープライズを、北アイルランド鉄道と共同運行している。
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インターシティ
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1981年5月30日より、イリス号に初めて2等車が連結され、再びTEEとしての条件を満たすことができなくなったため、イリス号はインターシティに降格された。列車番号はIC394/395が使用され、客車はスイス連邦鉄道のEurofima型客車(英語版)が使用された。
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インターシティ
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「ブラウエル・エンツィアン」の記事における「インターシティ」の解説
ブラウエル・エンツィアンの走行経路の変遷。赤 : 1970年青 : 1979年緑 : 1991年 1979年夏のダイヤ改正(5月27日)で西ドイツ国鉄は"IC79"と呼ばれるインターシティ網の改革を行ない、全てのインターシティが二等車を連結するようになった。このときブラウエル・エンツィアンも一等専用のTEEから二等車を含む(国際)インターシティに種別を変更した。同時にミュンヘン以北の経路もIC2号線(ハノーファー - ドルトムント - ハーゲン - ケルン - フランクフルト・アム・マイン - ミュンヘン)経由に変更され、運行区間は南行がドルトムント発ミュンヘン経由クラーゲンフルト行き、北行はクラーゲンフルト発ミュンヘン、ドルトムント、ハノーファー経由ブラウンシュヴァイク行きとなった。ハノーファー - ブラウンシュヴァイク間はインターシティの基本ネットワークからは外れた区間である。またヴュルツブルク - ミュンヘン間は北行が直行経路をとるのに対し南行は本来IC4号線の経路であるアウクスブルク、ニュルンベルクを経由した。またザルツブルク - クラーゲンフルト間は急行列車扱いであった。 このとき、改正前のブラウエル・エンツィアンとほぼ同じダイヤでハンブルクとミュンヘンを結ぶ列車として、国内TEE「ディアマント」(同名のTEEとしては2代目)が新設された。ハノーファーでのTEEローラント(この改正でブレーメン - シュトットガルト間の国内TEEに変更)と相互接続も引き継がれたが、停車駅はブラウエル・エンツィアンとはやや異なり、ニュルンベルクを経由した。ディアマントは2年後の1981年夏ダイヤ改正で廃止されている。 1980年夏ダイヤ改正(6月1日)からは国際列車に対してもインターシティという種別が用いられることになり、ブラウエル・エンツィアンは全区間で国際インターシティとなった。1981年ダイヤ(5月31日改正)からは運行区間は往復ともドルトムント - クラーゲンフルト間となっている。
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インターシティ
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「西ドイツ国鉄403形電車」の記事における「インターシティ」の解説
本形式の営業運転開始は1974年(1974/1975冬ダイヤ)からで、インターシティの4号線(IC Linie 4:ブレーメン - ハノーファー - ヴュルツブルク - ニュルンベルク - ミュンヘン)に投入された。ただ、実際に運用してみると機関車牽引方式にはない数々の問題が明らかになった。 客車方式に比べて編成の増減が容易ではなく、運用の柔軟性に難がある 全車動力車であるため、整備コストがかかる また、当時は線路改良が遅れていたため、高性能を発揮出来る余地が少なかった。西ドイツの場合は日本と異なり、機関車+客車方式がごく一般的で、動力分散方式は大都市近郊輸送やローカル線向けを除いては極めて少数だった、という背景もある。いずれにせよ西ドイツ国鉄としては、本形式は試作車12両で打ち切り量産車の製造は見送ることとして、インターシティの強化は従来の機関車+客車方式で実施することとなった。 これに追い討ちをかけるかのように、1979年夏(1979夏ダイヤ)からは、インターシティに二等車を連結することになり、全車一等車で組成される本形式は、二等車への改造などが行われることなく、同改正をもってインターシティ運用から撤退することとなった。 その後しばらくの間は、臨時列車(TEEの場合もあった)や団体列車の運用に充当されたものの、予備車として車庫に留置される期間の方が長かった。
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インターシティ
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「メディオラヌム (列車)」の記事における「インターシティ」の解説
1982年にはTEE「リーグレ」(ミラノ - マルセイユ - アヴィニョン)、「レマノ」(ミラノ - ジュネーヴ)が二等車を連結した国際インターシティに種別を変更し、「メディオラヌム」は唯一残ったイタリア国鉄車による国際TEEとなっていた。 1984年6月3日の夏ダイヤ改正で「メディオラヌム」もインターシティに変更され、同時に運行区間をドルトムント - ミュンヘン - ミラノ間に延長した。 1987年5月31日のユーロシティ発足とともに、「メディオラヌム」はユーロシティになったが、列車名は「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と改められた。 その後「メディオラヌム」という列車名は2001年6月10日にバーゼル - ミラノ間の国際インターシティの名として復活したが、TEE時代の運行区間とは関係なく、使用車両もスイス国鉄のものであった。この列車は2004年12月12日にユーロシティに昇格するとともに、チザルピーノの運営になった。
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インターシティ
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「西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の記事における「インターシティ」の解説
出典は特記ない限りKoschinski 2001, pp. 42-45による。ただし運行区間の変遷はSharf & Ernst 1983, pp. 789-807、ダイヤ改正日付は同p.830による。 列車名系統運行区間使用期間備考ヘッセン・クリールHessen Kurier 1号線 ヴィースバーデン - ミュンヘン 1971年9月26日 - 1976年5月29日 1977年5月22日 - 1978年5月27日 ヴィースバーデン → ミュンヘン 1978年5月28日 - 1979年5月26日 南行のみ(北行は客車列車) ヤーコブ・フッガーJacob Fugger 1号線 シュトゥットガルト - ミュンヘン 1971年9月26日 - 1973年6月2日 プレジデント Präsident 1号線 フランクフルト・アム・マイン → シュトゥットガルト → ミュンヘンミュンヘン → マンハイム 1971年9月26日 - 1975年5月31日 ミュンヘン → ルートヴィヒスハーフェン 1976年5月30日 - 1979年5月26日 北行のみ(南行は客車列車) プリンツレゲントPrinzregent 2号線 フランクフルト・アム・マイン - ミュンヘン (F-Zugから変更) - 1975年5月31日 フランクフルト → ミュンヘン 1976年5月30日 - 南行のみ(北行は客車列車) ノルトヴィント Nortwind 4号線 ブレーメン → ミュンヘン 1971年9月26日 - 1976年5月29日 南行のみ運転 ジュートヴィント Südwind 4号線 ミュンヘン → ブレーメン 1971年9月26日 - 1973年6月2日 北行のみ運転。 カーヴェンデル Karwendel フランクフルト - ゼーフェルト・イン・チロル (F-Zugから変更) - 1979年 冬ダイヤ期間のみの不定期列車 マークグラーフ Markgraf 3号線 バーゼル → フランクフルト 1972年10月1日 - 1975年5月31日 北行のみ(南行は客車列車) フランクフルト - バーゼル 1975年6月1日 - 1978年5月27日 往復とも メリアン Merian 3号線 フランクフルト → バーゼル 1972年10月1日 - 1975年5月31日 南行のみ(北行は客車列車) リーメンシュナイダー Riemenschneider 4号線 ミュンヘン → ブレーメン 1973年6月3日 - 1976年5月29日 北行のみ(南行は客車列車) ザクセンロス Sachsenroß 3号線 ハンブルク - フランクフルト - ルートヴィヒスハーフェン 1973年6月3日 - 1974年6月13日 601型 1974年6月14日 - 1975年1月 602型 1975年1月 - 1976年5月29日 601型/602型混結 ハンブルク → フランクフルト ルートヴィヒスハーフェン → ハンブルク 1976年5月30日 - 1979年5月26日 601型 プリンツィパル Prinzipal 1号線 ハンブルク - ケルン 1975年6月1日 - 1976年5月29日 602型 1976年5月30日 - 1978年5月27日 601型/602型混結 トーラー・ボンムベルク Toller Bomberg 1号線 ハンブルク → ケルン ボン → ハンブルク 1976年6月1日 - 1977年5月21日 601型/602型混結 ドムプファイル Dompfeil 2号線 ハノーファー → ボン ケルン → ハノーファー 1976年6月1日 - 1977年5月21日 601型/602型混結 ヴィルヘルム・ブッシュ Wilhelm Busch 2号線 ハノーファー → ケルン 1977年5月22日 - 1978年2月28日 片道のみ(逆向きは客車列車) 601型/602型混結 ポルタ・ヴェストファリカ Porta Westfalica 2号線 ケルン → ハノーファー 1977年5月22日 - 1978年2月28日 片道のみ(逆向きは客車列車) 601型/602型混結 ^ ミュンヘン発列車は1974年5月26日にミュンヘン → ヴィースバーデンに運行区間を変更。 ^ 不定期にインスブルックまで延長。
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インターシティ(IC)
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「オーストリア西部鉄道」の記事における「インターシティ(IC)」の解説
下記3系統が運行している。 ザルツカンマーグート号: ウィーン本駅 - アトナンク - シュタイナハ 【土曜・休日運行】休日のみ、一日1往復の運行。アトナンク以西は170号線に直通する。トゥルナーフェルトにも停車する。 2018年以前はトゥルナーフェルトを通過していた。2020年以前はヴェルスにも停車していた。 ウィーンの森号: ウィーン本駅 - ヴェルス - ヴァーネミュンデ一日1往復の運行。ヴェルス以西は150号線に直通する。2020年春に運行を開始した。 ウィーン本駅 - リンツ - ビショフスホフェン 【金曜・日曜・夏季の土曜日運行】金曜の西行と、日曜の東行のみ、週1往復の運行。夏季限定で土曜日に週1往復増発され、この列車は「休暇特急」の愛称がつけられている。リンツ以西は140号線に直通する。 2020年度は、休暇特急のみ冬に運行していた。2020年末に、通年運行の列車がシュネルツーク(D)の種別で運行を開始した。2021年夏より、インターシティ(IC)に格上げされた他、休暇特急も夏運行となった。 過去の運行系統ウィーン本駅 - ザルツブルク南駅 - ヴェアグル(キツビューエラー・アルペン号)2017年度に、休日のみ一日1往復運行していた。ザルツブルク本駅を経由せず、ザルツブルク南駅経由で200号線に直通していた。なお、アムシュテッテンに停車し、ヴェルス - ザルツブルク南駅間ノンストップであった。2017年末に、ヴェストバーン増発に伴い休止された。 他に、2016年以前はウィーン - ザルツブルク間には一時間に1本運行していたが、2016年末にレイルジェット(RJ)に格上げされた。
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インターシティ(IC)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:25 UTC 版)
「オーストリア南部鉄道」の記事における「インターシティ(IC)」の解説
下記2系統が運行している。 IC 533/632 , 732/737, 734/739 ウィーン - ブルック - リエンツ 533/632号は毎日運行で、一日1往復運行されている。リエンツ行737,739号は金曜日に、ウィーン行732,734号は日曜日に運行する。ブルック以西は600号線に直通する。2017年以前は、レイルジェット(RJ)の一部として運行していた。 IC 533には、「リーエンツァー・ドーロミテン号」の列車名がつけられている。 同様の系統のシュネルツークが設定されている。 IC 512/513 518/515 610/611 718/719 ザルツブルク/インスブルック - ブルック・アン・デア・ムア(短絡線) - グラーツ 一日4往復運行されている。ドイツ・スイス方面ユーロシティ(EC)と合わせて、2時間間隔となる様にダイヤが組まれている。ブルック以西は600号線に直通する。
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インターシティ(IC)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:33 UTC 版)
「オーストリア東部鉄道」の記事における「インターシティ(IC)」の解説
ウィーン - ブラチスラヴァ・ペトルジャルカ - コシツェ一日1往復の運行。ペトルジャルカ以東はスロバキア国鉄132号線に直通する。 2018年末に運行を開始した。
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