インターシティとは? わかりやすく解説

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インターシティ(InterCity)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 05:13 UTC 版)

アイルランド国鉄」の記事における「インターシティ(InterCity)」の解説

アイルランド国内主要都市間を結ぶ長距離列車最高速度は160 km/hである。 主にダブリン拠点としており、ダブリン・ヒューストン駅からはコークゴールウェイなどのアイルランド南西部西部方面ダブリン・コノリー駅からはスライゴドロヘダなど北部方面、またかつての南部方面向けターミナル駅であったダブリン・ピアース駅経てロスレア・ユーロ港、ウェックスフォードなどの南東部の町への列車運行されている。他にも、コーク - トラリー線、リムリック - ゴールウェイ線、ウォーターフォード - リムリック線の運行もされている。 その他、ダブリン北アイルランド首都ベルファストを結ぶ国際列車エンタープライズを、北アイルランド鉄道共同運行している。

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インターシティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/23 17:10 UTC 版)

イリス (列車)」の記事における「インターシティ」の解説

1981年5月30日より、イリス号に初め2等車連結され、再びTEEとしての条件を満たすことができなくなったため、イリス号はインターシティに降格された。列車番号はIC394/395が使用され客車スイス連邦鉄道のEurofima型客車英語版)が使用された。

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インターシティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/01 16:18 UTC 版)

ブラウエル・エンツィアン」の記事における「インターシティ」の解説

ブラウエル・エンツィアン走行経路変遷。赤 : 1970年青 : 1979年緑 : 1991年 1979年夏のダイヤ改正5月27日)で西ドイツ国鉄は"IC79"と呼ばれるインターシティ網の改革行ない全てのインターシティが二等車連結するようになった。このときブラウエル・エンツィアン一等専用TEEから二等車を含む(国際)インターシティに種別変更した同時にミュンヘン以北経路もIC2号線(ハノーファー - ドルトムント - ハーゲン - ケルン - フランクフルト・アム・マイン - ミュンヘン経由変更され運行区間南行ドルトムントミュンヘン経由クラーゲンフルト行き北行クラーゲンフルトミュンヘンドルトムントハノーファー経由ブラウンシュヴァイク行きとなったハノーファー - ブラウンシュヴァイク間はインターシティの基本ネットワークからは外れた区間である。またヴュルツブルク - ミュンヘン間は北行直行経路をとるのに対し南行は本来IC4号線の経路であるアウクスブルクニュルンベルク経由した。またザルツブルク - クラーゲンフルト間は急行列車扱いであった。 このとき、改正前のブラウエル・エンツィアンとほぼ同じダイヤハンブルクミュンヘンを結ぶ列車として、国内TEE「ディアマント」(同名TEEとしては2代目)新設された。ハノーファーでのTEEローラント(この改正ブレーメン - シュトットガルト間の国内TEE変更)と相互接続引き継がれたが、停車駅ブラウエル・エンツィアンとはやや異なりニュルンベルク経由した。ディアマントは2年後1981年夏ダイヤ改正廃止されている。 1980年ダイヤ改正6月1日)からは国際列車に対してもインターシティという種別用いられることになり、ブラウエル・エンツィアンは全区間国際インターシティとなった1981年ダイヤ5月31日改正)からは運行区間往復ともドルトムント - クラーゲンフルトとなっている。

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インターシティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 12:19 UTC 版)

西ドイツ国鉄403形電車」の記事における「インターシティ」の解説

形式営業運転開始1974年(1974/1975冬ダイヤ)からで、インターシティの4号線IC Linie 4:ブレーメン - ハノーファー - ヴュルツブルク - ニュルンベルク - ミュンヘン)に投入された。ただ、実際に運用してみると機関車牽引方式にはない数々問題明らかになった。 客車方式比べて編成増減が容易ではなく運用柔軟性難がある 全車動力車であるため、整備コストがかかる また、当時線路改良遅れていたため、高性能発揮出来余地少なかった西ドイツ場合日本異なり機関車+客車方式がごく一般的で、動力分散方式大都市近郊輸送ローカル線向けを除いて極めて少数だった、という背景もある。いずれにせよ西ドイツ国鉄としては、本形式試作車12両で打ち切り量産車製造は見送ることとして、インターシティの強化従来機関車+客車方式実施することとなった。 これに追い討ちをかけるかのように1979年夏(1979ダイヤ)からは、インターシティに二等車連結することになり、全車一等車組成される本形式は、二等車への改造などが行われることなく、同改正をもってインターシティ運用から撤退することとなったその後しばらくの間は、臨時列車TEE場合もあった)や団列車の運用充当されたものの、予備車として車庫留置される期間の方が長かった

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インターシティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 14:58 UTC 版)

メディオラヌム (列車)」の記事における「インターシティ」の解説

1982年にはTEEリーグレ」(ミラノ - マルセイユ - アヴィニョン)、「レマノ」(ミラノ - ジュネーヴ)が二等車連結した国際インターシティに種別変更し、「メディオラヌム」は唯一残ったイタリア国鉄車による国際TEEとなっていた。 1984年6月3日の夏ダイヤ改正で「メディオラヌム」もインターシティに変更され同時に運行区間ドルトムント - ミュンヘン - ミラノ間に延長した1987年5月31日ユーロシティ発足とともに、「メディオラヌム」はユーロシティになったが、列車名は「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と改められた。 その後メディオラヌム」という列車名2001年6月10日バーゼル - ミラノ間の国際インターシティの名として復活したが、TEE時代運行区間とは関係なく、使用車両スイス国鉄のものであった。この列車2004年12月12日ユーロシティ昇格するとともにチザルピーノ運営になった

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インターシティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 22:50 UTC 版)

西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の記事における「インターシティ」の解説

出典特記ない限りKoschinski 2001, pp. 42-45による。ただし運行区間の変遷はSharf & Ernst 1983, pp. 789-807、ダイヤ改正日付は同p.830による。 列車名系統運行区間使用期間備考ヘッセン・クリールHessen Kurier 1号線 ヴィースバーデン - ミュンヘン 1971年9月26日 - 1976年5月29日 1977年5月22日 - 1978年5月27日 ヴィースバーデンミュンヘン 1978年5月28日 - 1979年5月26日 南行のみ(北行客車列車) ヤーコブ・フッガーJacob Fugger 1号線 シュトゥットガルト - ミュンヘン 1971年9月26日 - 1973年6月2日 プレジデント Präsident 1号線 フランクフルト・アム・マインシュトゥットガルト → ミュンヘンミュンヘン → マンハイム 1971年9月26日 - 1975年5月31日 ミュンヘンルートヴィヒスハーフェン 1976年5月30日 - 1979年5月26日 北行のみ(南行客車列車プリンツレゲントPrinzregent 2号線 フランクフルト・アム・マイン - ミュンヘンF-Zugから変更) - 1975年5月31日 フランクフルトミュンヘン 1976年5月30日 - 南行のみ(北行客車列車) ノルトヴィント Nortwind 4号線 ブレーメンミュンヘン 1971年9月26日 - 1976年5月29日 南行のみ運転 ジュートヴィント Südwind 4号線 ミュンヘンブレーメン 1971年9月26日 - 1973年6月2日 北行のみ運転。 カーヴェンデル Karwendel フランクフルト - ゼーフェルト・イン・チロル (F-Zugから変更) - 1979年ダイヤ期間のみの不定期列車 マークグラーフ Markgraf 3号線 バーゼルフランクフルト 1972年10月1日 - 1975年5月31日 北行のみ(南行客車列車フランクフルト - バーゼル 1975年6月1日 - 1978年5月27日 往復とも メリアン Merian 3号線 フランクフルトバーゼル 1972年10月1日 - 1975年5月31日 南行のみ(北行客車列車) リーメンシュナイダー Riemenschneider 4号線 ミュンヘンブレーメン 1973年6月3日 - 1976年5月29日 北行のみ(南行客車列車) ザクセンロス Sachsenroß 3号線 ハンブルク - フランクフルト - ルートヴィヒスハーフェン 1973年6月3日 - 1974年6月13日 6011974年6月14日 - 1975年1月 6021975年1月 - 1976年5月29日 601型/602型混結 ハンブルクフランクフルト ルートヴィヒスハーフェンハンブルク 1976年5月30日 - 1979年5月26日 601型 プリンツィパル Prinzipal 1号線 ハンブルク - ケルン 1975年6月1日 - 1976年5月29日 6021976年5月30日 - 1978年5月27日 601型/602型混結 トーラー・ボンムベルク Toller Bomberg 1号線 ハンブルクケルン ボンハンブルク 1976年6月1日 - 1977年5月21日 601型/602型混結 ドムプファイル Dompfeil 2号線 ハノーファーボン ケルンハノーファー 1976年6月1日 - 1977年5月21日 601型/602型混結 ヴィルヘルム・ブッシュ Wilhelm Busch 2号線 ハノーファーケルン 1977年5月22日 - 1978年2月28日 片道のみ(逆向き客車列車601型/602型混結 ポルタ・ヴェストファリカ Porta Westfalica 2号線 ケルンハノーファー 1977年5月22日 - 1978年2月28日 片道のみ(逆向き客車列車601型/602型混結 ^ ミュンヘン列車1974年5月26日ミュンヘンヴィースバーデン運行区間変更。 ^ 不定期にインスブルックまで延長

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インターシティ(IC)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:46 UTC 版)

オーストリア西部鉄道」の記事における「インターシティ(IC)」の解説

下記3系統運行している。 ザルツカンマーグート号: ウィーン本駅 - アトナンク - シュタイナハ 【土曜休日運行休日のみ、一日1往復運行。アトナンク以西170号線に直通する。トゥルナーフェルトにも停車する2018年以前はトゥルナーフェルトを通過していた。2020年以前ヴェルスにも停車していた。 ウィーンの森号: ウィーン本駅 - ヴェルス - ヴァーネミュンデ一日1往復運行ヴェルス以西150号線に直通する。2020年春運行開始したウィーン本駅 - リンツ - ビショフスホフェン 【金曜・日曜・夏季土曜日運行金曜西行と、日曜東行のみ、週1往復運行夏季限定土曜日に週1往復増発され、この列車は「休暇特急」の愛称つけられている。リンツ以西は140号線に直通する。 2020年度は、休暇特急み冬運行していた。2020年末に、通年運行列車シュネルツーク(D)種別運行開始した2021年夏より、インターシティ(IC)に格上げされた他、休暇特急も夏運行となった過去の運行系統ウィーン本駅 - ザルツブルク南駅 - ヴェアグル(キツビューエラー・アルペン号)2017年度に、休日のみ一日1往復運行していた。ザルツブルク本駅を経由せず、ザルツブルク南駅経由200号線に直通していた。なお、アムシュテッテン停車しヴェルス - ザルツブルク南駅ノンストップであった2017年末に、ヴェストバーン増発に伴い休止された。 他に、2016年以前ウィーン - ザルツブルク間には一時間に1本運行していたが、2016年末にレイルジェット(RJ)に格上げされた。

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インターシティ(IC)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:25 UTC 版)

オーストリア南部鉄道」の記事における「インターシティ(IC)」の解説

下記2系統運行している。 IC 533/632 , 732/737, 734/739 ウィーン - ブルック - リエンツ 533/632号は毎日運行で、一日1往復運行されている。リエンツ737,739号は金曜日に、ウィーン732,734号は日曜日運行するブルック以西600号線に直通する。2017年以前は、レイルジェット(RJ)の一部として運行していた。 IC 533には、「リーエンツァー・ドーロミテン号」の列車名つけられている。 同様の系統シュネルツーク設定されている。 IC 512/513 518/515 610/611 718/719 ザルツブルク/インスブルック - ブルック・アン・デア・ムア(短絡線) - グラーツ 一日4往復運行されている。ドイツ・スイス方面ユーロシティ(EC)と合わせて、2時間間隔となる様にダイヤ組まれている。ブルック以西600号線に直通する。

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インターシティ(IC)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:33 UTC 版)

オーストリア東部鉄道」の記事における「インターシティ(IC)」の解説

ウィーン - ブラチスラヴァ・ペトルジャルカ - コシツェ一日1往復運行。ペトルジャルカ以東スロバキア国鉄132号線に直通する。 2018年末に運行開始した

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