インターシティ、ユーロシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 18:55 UTC 版)
「パルジファル (列車)」の記事における「インターシティ、ユーロシティ」の解説
1979年5月27日のダイヤ改正で、西ドイツ国鉄のインターシティ網の改革に伴い、パルジファルは二等車を含む通常の急行列車となり、運行区間もパリ - ケルン間に短縮された。 1980年から国際列車に対しても「インターシティ」の種別が用いられるようになり、モリエールはインターシティとされたが、パルジファルは通常の急行列車のままであった。1983年5月29日、モリエールが区間を延長して急行列車(D-Zug)に種別を変更するのと交代に、パルジファルはインターシティとなった。さらに1987年5月31日のユーロシティ発足とともにパルジファルはユーロシティの一列車となった。 1997年12月14日、パリ - ケルン間をブリュッセル、リエージュ経由で結ぶタリスが運行を開始したのと引き替えに、パルジファルは廃止された。なおこの時にはパリ - ナミュール間をモンス、シャルルロワ経由で結ぶ系統のタリスも運行を始めており、パルジファル、モリエールの中間停車駅とパリとを結んだ。この系統は後にリエージュまで延長されている。
※この「インターシティ、ユーロシティ」の解説は、「パルジファル (列車)」の解説の一部です。
「インターシティ、ユーロシティ」を含む「パルジファル (列車)」の記事については、「パルジファル (列車)」の概要を参照ください。
インターシティ、ユーロシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 18:57 UTC 版)
「モリエール (列車)」の記事における「インターシティ、ユーロシティ」の解説
1980年6月1日から西ヨーロッパの国際列車に対してもインターシティの種別名が用いられるようになり、モリエールはパリ - ケルン間のインターシティとなった。 1983年夏のダイヤ改正でモリエールは一旦インターシティではなくなり、パリ - コペンハーゲン間の夜行急行列車(D-Zug)となった。1986年夏には再びインターシティになり、運行区間はパリ - ドルトムント間となった。 1987年5月31日のユーロシティ発足とともにモリエールはユーロシティの一列車となった。 1997年12月14日、パリ - ケルン間をブリュッセル、リエージュ経由で結ぶタリスが運行を開始したのと引き替えに、モリエールは廃止された。なおこの時にはパリ - ナミュール間をモンス、シャルルロワ経由で結ぶ系統のタリスも運行を始めており、モリエール、パルジファルの中間停車駅とパリとを結んだ。この系統は後にリエージュまで延長されている。
※この「インターシティ、ユーロシティ」の解説は、「モリエール (列車)」の解説の一部です。
「インターシティ、ユーロシティ」を含む「モリエール (列車)」の記事については、「モリエール (列車)」の概要を参照ください。
インターシティ・ユーロシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 18:52 UTC 版)
「プリンツ・オイゲン (列車)」の記事における「インターシティ・ユーロシティ」の解説
1978年5月28日から、IC2号線の列車はフランクフルト - ヴュルツブルク - ミュンヘン間は原則として二等車を含む編成とされた。これにともないプリンツ・オイゲンもフランクフルト - ウィーン間でオーストリア国鉄の二等車を連結するようになった。このためプリンツ・オイゲンはTEEではなくなり、西ドイツ国内ではインターシティ、オーストリアでは急行列車(Expresszug)扱いとなった。 1979年5月27日からは西ドイツのすべてのインターシティが二等車を連結するようになった(インターシティ79)。これによりプリンツ・オイゲンも全区間で二等車を含む編成となった。またこの時のダイヤ改正からウィーン行列車はブラウンシュヴァイク始発に延長された。 1980年6月1日の夏ダイヤ改正から、プリンツ・オイゲンの運行区間はハンブルク=アルトナ - ウィーン間に変更された。またハノーファー - ヴュルツブルク間はIC4号線経由に戻り、ハンブルク - ハノーファー間はIC3号線経由となった。この時のダイヤ改正から国際列車に対しても「インターシティ」の種別が用いられるようになり、プリンツ・オイゲンは全区間で国際インターシティとなった。ハンブルク - ウィーン間の走行距離は1061km、所要時間は12時間09分であった。 また1982年5月23日には、フランクフルトとウィーンをパッサウ経由で結んでいた急行列車「ヨハン・シュトラウス(Johan Strauß)」がインターシティに昇格した。この列車は1968年に運行を始めており、1980年にもインターシティーへの昇格が検討されたが見送られていた。ヨハン・シュトラウスはその後運行区間をケルン - ウィーン間に延長している。 1987年5月31日、ヨーロッパの国際列車の新たな種別としてユーロシティ(IC)が導入され、プリンツ・オイゲンとヨハン・シュトラウスはともにユーロシティとなった。さらに1989年5月28日にはパッサウで国境を越える新たなユーロシティとして「フランツ・リスト(Franz Liszt)」(ドルトムント - ブダペスト)が加わっている。 1991年6月2日のダイヤ改正では、ICEの運行開始にともないインターシティ網の再編が行なわれた。このときニュルンベルク - パッサウ間が初めてインターシティ網のパッターンダイヤに組み込まれ、IC1号線(キール/ヴェスターラント - ハンブルク - ドルトムント - ケルン - フランクフルト - ニュルンベルク - ミュンヘン/パッサウ)の一部となり、ユーロシティが2時間間隔で運転されるようになった。プリンツ・オイゲンはキール - ウィーン間に延長されるとともに、途中経路もIC1号線に変更された。遠回りの経路となったためハンブルク - ウィーン間では改正前に比べ3時間45分から50分所要時間が延びている。ただしIC4号線(ハンブルク - ミュンヘン、ハノーファー-ヴュルツブルク高速線経由)のインターシティとプリンツ・オイゲンをニュルンベルクで乗り継げば、改正前よりも短い時間で同区間を移動することができた。 このときドイツとウィーンをパッサウ経由で結んでいたユーロシティは以下の4往復である。 EC23/22 ヨハン・シュトラウス : ケルン - ウィーン EC25/24 フランツ・リスト : ドルトムント - ブダペスト EC27/26 ヨーぜフ・ハイドン(Joseph Haynh) : ハンブルク=アルトナ - ウィーン EC29/28 プリンツ・オイゲン : キール - ウィーン 1995年9月24日には、ハンブルク - キール間の電化に伴う同線のダイヤ改正により、プリンツ・オイゲンはハンブルク=アルトナ - ウィーン間に短縮された。
※この「インターシティ・ユーロシティ」の解説は、「プリンツ・オイゲン (列車)」の解説の一部です。
「インターシティ・ユーロシティ」を含む「プリンツ・オイゲン (列車)」の記事については、「プリンツ・オイゲン (列車)」の概要を参照ください。
インターシティ・ユーロシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/11 13:20 UTC 版)
「リーグレ (列車)」の記事における「インターシティ・ユーロシティ」の解説
1980年頃になると一等専用のTEEの乗車率は低くなっていた。このため、1982年5月23日からリーグレはTEEではなくなり、二等車を連結したインターシティとなった。同時に運行区間はミラノ - マルセイユ間に短縮された。1987年にユーロシティが発足した後も、リーグレはインターシティのままであった。1992年9月27日には運行区間がミラノ - ニース間となった。 2004年12月12日のダイヤ改正でリーグレはようやくユーロシティとなった。ミラノ - ニース間のユーロシティはリーグレを含め3往復(他の二往復はRiviera dei FioriとSanremo)設定され、Treni Riviera(リヴィエラの列車)と総称された。 2008年5月頃にはこの区間のユーロシティは一往復削減され、ミラノ発ニース行のリーグレとニース発ミラノ行サンレーモが廃止された。リーグレはニース発ミラノ行の片道のみとなったが、同年夏にはこの列車はサンレーモと改称され、リーグレという列車名は消滅した。さらに2009年12月13日には同区間のユーロシティがすべて廃止され、ミラノ - ヴェンティミリア間のイタリア国内インターシティと置き換えられた。
※この「インターシティ・ユーロシティ」の解説は、「リーグレ (列車)」の解説の一部です。
「インターシティ・ユーロシティ」を含む「リーグレ (列車)」の記事については、「リーグレ (列車)」の概要を参照ください。
インターシティ・ユーロシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 05:16 UTC 版)
「パリ・ブリュッセル・アムステルダム間の列車」の記事における「インターシティ・ユーロシティ」の解説
1980年に二等車を含む国際列車の種別としてインターシティ(IC)が導入された。このとき、パリ発アムステルダム行(IC 287)とブリュッセル発パリ行(IC 484)の2本のインターシティが設定された。これらは当時唯一の列車名のない国際インターシティであった。 また1981年からはパリ - ケルン間をブリュッセル経由で結ぶインターシティが運行された。この列車は1985年に「ディアマント」と命名された。その後1987年にはユーロシティに種別変更の上「ギュスターヴ・エッフェル」と改名され、さらに1993年に「ジャック・ブレル」と再度改名されたのち、1997年にタリスのケルン乗り入れにともない廃止された。 1984年6月3日にはパリ - ブリュッセル系統の優等列車の再編が行なわれ、オワゾ・ブルーとメムリンクは後継なく廃止、エトワール・デュ・ノールとブラバントは二等車を含むインターシティに変更された。さらにイル・ド・フランスはTEEのままではあるがパリ - ブリュッセル間に短縮された。 1987年5月31日のユーロシティ(EC)発足とともに、TEEイル・ド・フランス、ルーベンスとICエトワール・デュ・ノール、ブラバントはユーロシティに種別変更された。ギュスターヴ・エッフェル(パリ - ケルン)と合わせ、パリ - ブリュッセル間では一日5往復のユーロシティが運行された。なおユーロシティは二等車を含むのが原則であったが、イル・ド・フランスとルーベンスはTEE時代と同様一等車のみの編成であった。
※この「インターシティ・ユーロシティ」の解説は、「パリ・ブリュッセル・アムステルダム間の列車」の解説の一部です。
「インターシティ・ユーロシティ」を含む「パリ・ブリュッセル・アムステルダム間の列車」の記事については、「パリ・ブリュッセル・アムステルダム間の列車」の概要を参照ください。
インターシティ・ユーロシティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:46 UTC 版)
「フランス・ドイツ間の国際列車」の記事における「インターシティ・ユーロシティ」の解説
1980年、国際列車に対してもインターシティの種別名が用いられるようになったのと同時に、パリ - ケルン間のモリエールはインターシティとなった。1983年にモリエールは一旦インターシティでなくなり、代わってパルジファルがインターシティとなったが、1985年からは両列車ともインターシティとなった。 さらに1981年にはパリ - ケルン間をブリュッセルを経由して結ぶインターシティが設定された。この列車は1985年にディアマント (Diamant) と命名された。 パリ - フランクフルト間では1981年に急行列車一往復がインターシティに格上げされ、1984年にはさらに一往復がインターシティとなった。1985年夏、これらはそれぞれヴェルレーヌ (Verlaine) およびゲーテと命名されたが、ヴェルレーヌは半年後にヴィクトル・ユーゴー (Victor Hugo) と改名された。 1987年夏のユーロシティ(EC)発足時には、フランス・ドイツ間では以下の列車がユーロシティとされた。 列車番号列車名区間備考EC 41/40 モリエール パリ北駅 - ドルトムント中央駅 EC 43/42 ギュスターヴ・エッフェル パリ北駅 - ケルン中央駅 ブリュッセル経由。ディアマントから改称。 EC 45/44 パルジファル パリ北駅 - ケルン中央駅 EC 53/52 ヴィクトル・ユーゴー パリ東駅 - フランクフルト中央駅 EC 57/56 ゲーテ パリ東駅 - フランクフルト中央駅 ギュスターヴ・エッフェルは1993年にジャック・ブレル (Jacques Brel) と改名された。1997年のタリスのケルン乗り入れとともに、ベルギー経由のユーロシティ3往復は廃止された。 パリ - フランクフルト間のユーロシティは1989年に2往復増発されて4往復となったものの、1993年に1往復減らされて3往復となり、2007年のLGV東ヨーロッパ線開業時にICEで置き換えられて廃止された。なおゲーテは1997年から2000年までフランクフルトからライプツィヒ、ドレスデン経由プラハ(チェコ)まで延長されていた。 ストラスブール経由の列車は1989年までインターシティにもユーロシティにもなっていなかったが、同年夏のダイヤ改正からモーツァルトがパリ - ウィーン間のユーロシティとなり、さらにパリ - ミュンヘン間にユーロシティ モーリス・ラヴェル (Maurice Ravel) が設定された。1992年にはパリ - シュトゥットガルト間にユーロシティがさらに一往復設定され、マリー・キュリー (Marie Curie) と命名されたが、この列車は1996年に廃止された。 2002年冬のダイヤ改正でモーツァルトはフランスに乗り入れなくなり、ストラスブール経由のユーロシティは以下のように再編された。 パリ - ミュンヘン : 2往復 ストラスブール - ミュンヘン : 2往復 ストラスブール - シュトゥットガルト : 1往復 リヨン - シュトゥットガルト : 1往復 2004年にTGVがストラスブール - マルセイユ間(ストラスブール - リヨン間在来線経由)で運行を開始したのと引き替えに、リヨン発着のユーロシティは廃止された。そして2007年のLGV東ヨーロッパ線開業とともに、これらのユーロシティはストラスブール - ミュンヘン間を除いて廃止され、TGVに置き換えられた。
※この「インターシティ・ユーロシティ」の解説は、「フランス・ドイツ間の国際列車」の解説の一部です。
「インターシティ・ユーロシティ」を含む「フランス・ドイツ間の国際列車」の記事については、「フランス・ドイツ間の国際列車」の概要を参照ください。
- インターシティ、ユーロシティのページへのリンク