F-Zugとは? わかりやすく解説

F-Zug

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/10 16:38 UTC 版)

「ラインプファイル」の記事における「F-Zug」の解説

1952年夏のダイヤ改正(5月18日)で、オランダのフーク・ファン・ホラントとスイスのバーゼルを、フェンロー、ケルン、マインツなどを経由して結ぶ特急列車(列車番号F10/9)が新設され、「ライン・プファイル」と命名された。前年に同区間で運行を始めたラインゴルト急行 (Rheingold Express, F164/163) が一等車から三等車まで全ての等級の客車を含んでいたのに対し、ライン・プファイルは一等車と二等車のみの編成であった。また所要時間もラインゴルト急行より短かった。 このとき同時にドルトムントとミュンヘンをエッセン、ケルン、マインツ、フランクフルト・アム・マイン、ヴュルツブルク経由で結ぶ一二等特急列車(列車番号F22/21)も新設された。ライン・プファイル (F10/9)とF22/21列車はケルン - マインツ間では互いに併結されて運転された。F22/21列車は時期によりオーストリアのインスブルックまで直通した。またケルンでは、ハノーファー発着の特急列車「ドームプファイル」(Dompfeil, 列車番号F17/14)と乗り換えることもできた。 しかし翌1953年夏のダイヤ改正では、F10/9列車がラインゴルト急行の名を名乗ることになり、ライン・プファイルの名は消滅した。F22/21列車も同時にラインゴルト急行を名乗った。 1954年夏ダイヤ改正では、F10/9列車およびF22/21列車は「ラインゴルト」と改名された。またケルン - マインツ間での併結も取りやめられ、ケルン中央駅で客車の入れ替えのみを行なった。この時期F22/21列車は往復ともF10/9列車の8分から10分前を先行する列車として運転された。F22/21列車のインスブルックへの直通は1956年以降行なわれていない。 1958年夏ダイヤ改正(6月1日)で、F22/21列車は「ラインプファイル」という独立した列車名を与えられた。ただしケルンでのラインゴルト (F10/9)との客車の入れ替えは以前と同様に行なわれた。 1962年夏には、ラインゴルトのケルン以北の経路がユトレヒト、エメリッヒ・アム・ライン経由に変更された。これと同時に、ラインプファイルとラインゴルトの客車の入れ替えはデュースブルク中央駅で行なわれるようになった。このときからラインゴルトには新型の客車(通称「ラインゴルト型」)が投入された。ラインプファイルでも、デュースブルクでラインゴルトと入れ替えを行なう以下の客車は新型客車となった。 フーク・ファン・ホラント - ミュンヘン アムステルダム - ミュンヘン ドルトムント - バーゼル : 展望車を含む。 1963年にはラインゴルトと入れ替えられない客車も新型のものとなり、最高速度は160km/hに引き上げられた。

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F-Zug

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/04 18:53 UTC 版)

「サフィール (列車)」の記事における「F-Zug」の解説

サフィールは1954年5月23日、西ドイツのドルトムントとベルギーのオーステンデをデュッセルドルフ、ケルン、アーヘン、リエージュ、ブリュッセルなどを経由して結ぶ気動車列車として運行を開始した。西ドイツ国内においてはドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄)の特急列車(Fernzug, F-Zug)とされた。オーステンデではイギリスへの船舶と、またケルンではフランクフルト・アム・マイン - ドルトムント(1956年からはアムステルダム)間のF-Zugライン・マインと接続しており、これらと合わせてドイツとイギリスを結ぶ役割も担っていた。

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F-Zug

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/09 16:29 UTC 版)

「ライン・マイン (列車)」の記事における「F-Zug」の解説

「ライン・マイン」は1953年5月17日、フランクフルト・アム・マインとドルトムントをマインツ、コブレンツ、ボン、ケルン、デュッセルドルフなどを経由して結ぶ西ドイツ国鉄の特急列車(Fernzug, F-Zug)として運行を開始した。これはこの時登場した12往復の気動車特急列車"FT-Zug"の一つであった。1954年夏のダイヤ改正からは、この改正で新設されたドルトムント - オーステンデ間のF-Zugサフィールとケルン中央駅で接続するようになり、フランクフルトとベルギー、さらにはオーステンデから船舶連絡でイギリスを結ぶ役割を担うようになった。 1956年6月3日には運行区間をフランクフルト - アムステルダム間に変更して国際列車となった。

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F-Zug

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:13 UTC 版)

「ヘルヴェティア (列車)」の記事における「F-Zug」の解説

1952年5月18日のダイヤ改正で、チューリッヒ - フランクフルト・アム・マイン間をバーゼル、カールスルーエ、マンハイム、ダルムシュタット経由で結ぶ特急列車(Fernzug, F-Zug)が設けられ、ヘルヴェティア急行と名付けられた。この列車は1953年5月17日からVT08.5形気動車を用いた気動車特急列車となり、列車番号は気動車列車であることを示すTのついたFT77/78となった。これはこの時のダイヤ改正で登場した12往復の"FT-Zug"の一つであった。 1953年10月4日から、ヘルヴェティア急行はフランクフルトからギーセン、カッセル、ゲッティンゲン、ハノーファーなどを経由してハンブルク(ハンブルク=アルトナ駅)まで延長された。この時点ではマンハイム - フランクフルト - ゲッティンゲン間の経路が後のTEE時代と異なっていた。1954年5月23日のダイヤ改正でフランクフルト - ゲッティンゲン間がフルダ経由となった。フランクフルト - ハノーファー間348.5kmは途中駅無停車であり、これは当時の西ドイツ国鉄で最長の停車駅間隔であった。1955年5月22日からはマンハイム - フランクフルト間がそれまでより西よりの経路(Riedbahn)に変更され、ダルムシュタットに停車しなくなった。

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F-Zug

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 22:50 UTC 版)

「西ドイツ国鉄VT11.5型気動車」の記事における「F-Zug」の解説

出典は特記ない限りKoschinski 2001, p. 42による。ただし運行区間の変遷はSharf & Ernst 1983, pp. 789-807、所属車両基地は同pp.613-615、ダイヤ改正日付は同p.830による。 列車名運行区間車両基地使用期間備考ハンス・ザックス Hans Sachs ドルトムント → フランクフルト・アム・マイン → ミュンヘンミュンヘン → フランクフルト → ハーゲン ドルトムント 1968年5月26日 - 1968年9月28日 トーラー・ボンムベルク Toller Bomberg ハンブルク=アルトナ - ケルン ハンブルク=アルトナ 1968年9月29日 - 1968年11月10日 インターシティB ヴィルヘルム・ブッシュ Wilhelm Busch ハノーファー - ケルン ハンブルク=アルトナ 1968年9月29日 - 1968年11月10日 インターシティD プリンツレゲントPrinzregent フランクフルト - ミュンヘン フランクフルト 1968年9月29日 - (ICに種別変更) インターシティE メルカトルMercator ハノーファー - フランクフルト フランクフルト 1968年9月29日 - 1971年9月25日 インターシティF ザクセンロス Sachsenroß ケルン - ハノーファー - フランクフルト ハンブルク=アルトナ 1968年9月29日 - 1968年11月10日 フランクフルト 1968年11月11日 - 1971年9月25日 カーヴェンデル Karwendel フランクフルト - ゼーフェルト・イン・チロル フランクフルト 1970年1月31日 - (ICに種別変更) 冬ダイヤ期間のみの不定期列車 ^ ミュンヘン行はヴュルツブルク経由、フランクフルト行はシュトゥットガルト経由。1971年夏には不定期にフランクフルト - インスブルック間に延長。 ^ 1969年6月1日以降ブレーメン - ハノーファー - フランクフルト - シュトゥットガルト間に延長。 ^ 1970年5月31日にブレーメン → マンハイム間およびフランクフルト → ブレーメン間に変更

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