『昭和史』・昭和史論争と遠山茂樹の関わりとは? わかりやすく解説

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『昭和史』・昭和史論争と遠山茂樹の関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 03:08 UTC 版)

遠山茂樹 (日本史家)」の記事における「『昭和史』・昭和史論争と遠山茂樹の関わり」の解説

1955年11月16日岩波書店から出版された『昭和史』は遠山茂樹藤原彰今井清一共著として岩波新書の形で発刊された。『昭和史』は当時一大ベストセラーとなった初版は25千部であったが、即日品切れとなり、三刷85千部、11月29日に4刷、12月7日時点出品部数113千部であった読者カードから見る限り読者には30代もいたが、20代若者圧倒的に多かったという。 『昭和史』には「執筆者の中で最も令名高かった遠山茂樹個性的ともいえる歴史学スタイル反映されていた」「歴史実際に経験した読者共感をうることを目的としていた」とトリスタン・ブルネ(白百合女子大学講師)は評した1955年出版共著昭和史』旧版はしがきに、執筆の目的として「私たち体験した国民生活歩みを、政治外交経済動き関連させて、とらえようしたものである。とりわけ執筆者関心そそいだのは、なぜ私たち国民戦争まきこまれ、おしながされたのか、なぜ国民の力でこれをふせぐことができなかったのか、という点にあった。かつて国民の力がやぶれざるをえなかった条件、これが現在とどれだけ異なっているかをあきらかにすることは、平和と民主主義をめざす努力に、ほんとう方向自信とをあたえることになるだろう。」と述べ新版もこれを引き継いでいる。 『昭和史』はテーマ大きさの割に限られた期間で執筆されたという状況があったことは早期改訂要因となっている。『昭和史』が企画として決まったのは1954年の夏ころであった1955年8月15日戦後10年節目であり、8月15日に間に合うように刊行する当初スケジュールであった遠山茂樹藤原彰今井清一藤田省三の4名で1955年1月14日最初昭和史の研究会行った藤田省三は『天皇制国家支配原理』の執筆中で国会図書館通っている時期であったため「おれは無理だ降りるよ」と宣言した1955年7月22日始めて原稿一部中島義勝岩波書店編集者)が受け取った7月29日から8月1日まで、熱海偕楽荘に執筆者缶詰になって執筆進めた8月25日遠山茂樹の家で原稿大詰めになる。遠山茂樹が無理をして一気にまとめ上げて9月13日最終原稿整理する9月25日ゲラ出て10月藤田省三読んでもらったところ「これはあかんで。1ヵ月おいて書き直した方がよい」という意見だった。しかし、すでに刊行予告出ており、伸ばすことができなかった。 『昭和史』新版1959年8月刊行された。改訂重点第一第一次世界大戦から書き始め、「戦争がなぜ起こったのか、国民の力がなぜ勝利しなかったのか」について考え第二は「できるだけ史実多く紹介」し、「支配内の動きをあきらか」にし、「政治といわれるものの実体理解」できるように書き直した述べている。改訂主導今井清一が行った。今井昭和史の前提となる大正期国際国内政治状況記述なければ昭和初期国際国内政治状況理解十分にならない主張した遠山同時代史の科学的認識不十分さ国民的体験との「ずれ」を指摘した読書会テキストとして使われているため、異説含めたコメント入れ史実分量増やす方針決められ巻末主要参考文献掲載した。 『昭和史』の記述巡り亀井勝一郎松田道雄山室静竹山道雄らと遠山茂樹和歌森太郎井上清江口朴郎らとの間で昭和史論争繰り広げられた。昭和史論争亀井勝一郎が「現代歴史家への疑問」、松田道雄が「昭和を貫く疼痛を」を執筆したこと発端とし、遠山茂樹が「現代史研究問題点」を書いて批判にこたえることにより開始された。 『昭和史』への批判(1)一般国民抱いている実感現代史記述乖離があると感じられている事、(2)個人的体験どのように歴史認識に結びつけていくか、(3)歴史の中で人間描けていない(4)歴史観課題などが主要なテーマであった(1)実感との乖離については、亀井が「歴史本の続出するときは必ず危機の時代だ。一民族激し動揺根底にあるからで、歴史家とは何よりもまずこれを実感してなければならない存在である」が典型的な批判である。歴史学において、実際に経験した体験的な感覚をどう位置付けるかの問題といえる。これについて遠山は、「(歴史から)感動させることが歴史教育目標ではなく、(歴史を通じて)考えさせることである」とし、実感生活感覚は歴史の手掛かりにすべきものであり、そこから正し方法論をたどることにより、歴史理性的認識到達することができると論じた(2)個人的体験歴史認識との結びつきに関しては、自分自身経験した事件の経過客観的に叙述することは困難であり、個人体験は特殊であるから、いつどのような条件で、どんな立場で、そのように感じたかを綿密に吟味し歴史全体の中で位置づける試みが必要であるとした。個人的歴史叙述に意味があるとしても、通史叙述がより優位であると論じた(3)歴史の中で人間描けていないという批判亀井勝一郎は「この歴史には、人間がいない」との批判現れる。これは昭和史論争主な論点であった人物の評価人物教育位置づけ歴史における伝記扱い方課題である。遠山社会科学としての歴史学は、個性持った人間描き出すことは不可能であるとした。個人性格心理自体論じることは、史料扱い方分析方法に関して歴史学という学問領域超えることになる。人間個性心理を描くのは文学心理学であって歴史学史料基づいて個人運命の差にもかかわらず本質的に共通するものがどこにあるか」を突き止め記述するのが歴史学使命であると論じた遠山は「亀井要求は、歴史科学的究明不可能だという主張なのだから考慮することはできない」と断じた。 (4)歴史観課題については、歴史科学的に把握する方法論として遠山唯物史観立場立っていた。といって遠山教育という場で、イデオロギー教えることには否定的であり、初めから一定の歴史観想定して教えることには反対していた。その意味では唯物史観だけに拘らない柔軟姿勢見せていた。遠山は、もろもろ史実発見し、それらを総合的発展的に捉えて歴史像再構成し、歴史真実に迫り得る有効性歴史観がどれだけ持てるかによって勝負が決まる、と述べている(社会科教育領域内容)。

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