『仮面ライダー』でのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:21 UTC 版)
「佐々木剛」の記事における「『仮面ライダー』でのエピソード」の解説
佐々木は番組途中からの参加で、主演の藤岡弘が放送開始前の撮影中の事故で出演不可能となったための緊急登板による主役交代だった。藤岡と佐々木は劇団NLT時代の同期で、友人の間柄だったため、当初出演依頼を「彼の役を取りたくない」との理由から一度断っている。 しかし『柔道一直線』に出演させてもらった恩を返そうを思い直し、東映プロデューサーの平山亨と「藤岡が帰って来るまで」との約束を交わした上で『仮面ライダー』出演を承諾した佐々木だが、当時はそれ以外にも2本のドラマのレギュラー(内1本は大阪での撮影)を務めていたため、佐々木が『仮面ライダー』のために割ける時間は少なかった。そのプレッシャーから一時期円形脱毛を発症し、それをカムフラージュするためカツラを被って殺陣に臨んだが、ジャンプ等でカツラがずれてしまうため、やがてカツラの上にヘルメットを被るようになった。一文字隼人にヘルメットや帽子着用のシーンが多かったのはこれが理由である。『仮面ライダー』が人気番組となり、『お荷物小荷物』でも劇中で「変身ポーズ」をとるシーンが挿入されたが、佐々木はのちに「他の番組で変身ポーズをとるのは照れくさくて嫌だった」と語っている。 多忙な当時は、一文字のカットを先に撮って変身後は後まわしにしたり、録音はアフレコだったため変身ポーズをとりながら「お疲れさま」と言ってジャンプしたこともある。撮影開始当時、自動二輪の免許を持っていなかったため、本郷猛と同じようにバイクに乗ってベルトに風を受けて変身するシーンの撮影ができない問題があった。バイクに乗るシーンは苦肉の策としてトラックの荷台に固定してそれにまたがっての撮影となったが、『仮面ライダー』の撮影中に免許を取得し、バイクの上にうつ伏せになって運転する「飛行機乗り」を披露している。本編に使われたOKテイクの変身ポーズも、本来なら上着からベルトを出して変身ポーズを取るところを変身ポーズの途中にベルトを出すという不自然なものになっている。この事について、佐々木は「お見せしよう!と言ってもベルトが見えていないんだから(笑)。今なら絶対NGになるはずですけど、当時は予算がなくてフィルム代がもったいないからOKになったんでしょうね(苦笑)。」と語っているが、1998年のインタビューでは「撮影直前までちゃんと決まっていなかった」と述べている。 その後、藤岡が主役復帰した際にスタッフから「是非ダブルライダーで引き続き主演を」と依頼されるも、「藤岡君がカムバックするまでという約束で引き受けたのだから、当然、藤岡君に返すべきだ。自分がいたままでは、彼が付録のようになってしまう」と、これを固辞し、当初の約束を守り3月をもって主役を降板した。 初期の仮面ライダー1号は藤岡弘がスーツアクターも務めていたが、藤岡の負傷降板により2号からは大野剣友会がスーツアクターを担当している。しかし佐々木は『柔道一直線』で撮影を共にした剣友会の苦労を知るためとして、初期数話で2号のスーツアクターを務めている。この時の演技では『素浪人 天下太平』でも用いた左手での剣技を披露している。佐々木は自身でも大変さを実感したことによって剣友会のメンバーに対して感謝の気持ちで後を託すことができるようになったという。『仮面ライダー』でスーツアクターや擬斗を担当した岡田勝は、『仮面ライダーZX』までの主演俳優の中では佐々木の立ち回りが一番上手かったと評価しており、仮面ライダーの立ち回りもやらせたかったと述べている。
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『仮面ライダー』でのエピソード
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「森川千恵子」の記事における「『仮面ライダー』でのエピソード」の解説
『仮面ライダー』への出演は、東映プロデューサーの平山亨が真樹の出演していた「エメロンシャンプー」(ライオン)のCMを観て惚れ込んだことから起用された。 緑川ルリ子という役柄については育ちが良くて言葉も丁寧であるため、演じていて不自然で戸惑うと述べている。主演の藤岡弘、の負傷降板に伴う番組内容の一新により、第13話で真樹も降板した。真樹はこの時のことについて、突然東映生田スタジオへ行けなくなり悲しくなった旨を述べている。 藤岡は真樹について、険がなく天使のようで、会ってすぐに意気投合した旨を述べている。『仮面ライダー』でオートバイのスタントマンを務めた大橋春雄とは、後年も親交がある。
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『仮面ライダー』でのエピソード
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「高橋章」の記事における「『仮面ライダー』でのエピソード」の解説
高橋は『仮面ライダー』を皮切りに、エキスプロと東映生田撮影所が制作した「変身ヒーロー番組」で、美術デザイナーを務めている。敵役のショッカー怪人は、三上陸男による「さそり男」の頭部デザインを元に胴体を描き、第4話の「サラセニア人間」からは高橋の担当となった。この「サラセニア人間」は、高橋のオリジナルデザインだった。 以降、「ショッカー怪人」は、石森章太郎のラフデザインを高橋が造形用に描き起こす形で造形されたが、番組がすすむにつれて石森章太郎のラフがないことが多くなり、その場合は高橋らエキスプロのスタッフによるオリジナルデザインだった。高橋は怪人などの各種デザインの中心的なデザイナーであり、現存する怪人のデザイン画は高橋のサインの入ったものが多い。怪人の衣装の制作予算は通常特撮番組の怪獣用の1/3の[要出典]約8万円だったといい、三上の「人間体型にして、略式の怪獣との考えで行こう」との発想で始められた。高橋は怪人に不気味さを出すため、被り物に演技者の眼をのぞかせ、「リアルさを追求した」と語っている。また共通の意匠として「ショッカーベルト」を考案している。仮面ライダーの専用オートバイ「サイクロン号」の前面にある「立花レーシングクラブ」のマークも、高橋によるデザインである。高橋によると、この単車が納品された際に、二つある前照灯の間が寂しかったので、このマークを貼り付けたのだという。 『仮面ライダー』のために設立された生田撮影所は、撮入前にはプレハブ2棟に裸電球がぶら下がっているだけの簡素なもので、三上が手掛けたショッカーアジト内と、元・大映の矢野友久が手掛けた「スナック・アミーゴ」の2つのセットしかなかった。さらに美術予算は各話6万円しかなく、毎日放送側が期待した「ウルトラシリーズ」のような未来的イメージは望むらくもなかった。高橋は工夫でこれを補い、アジト内におどろおどろしい紋様や怪人の設計図、イラストを描き込み、画面に最大限の効果を与えている。時間的余裕はなく、セットの絵はぶっつけ本番で図面などなかったという。高橋はこの本編美術の合間を縫って、2体進行で怪人のデザインを進めていたのである。 高橋は「怪人」のデザインについて、「動物図鑑などを見て、いかにも“らしい”部分を拡大解釈して、この動物なら何が武器になるか、面白いかを考えていく、そうすると大体の形が出てくる。色に関してはあまり考えていない、子供が夢中になるような派手な色が良いだろうってことです」と語っている。 『仮面ライダー』が、翌年にかけ空前の「変身ブーム」を巻き起こすなか、生田撮影所では次々と同種の番組が作られるが、高橋は上記したような「怪人のデザイン」、「セットの塗り替え」、「マットペイント作画」、「特撮で爆発・溶解する発泡スチロール製の人形や建物の制作」など美術作業の膨大な数々を驚異的なペースでこなしている。「『仮面ライダー』の現場に入ったその時から泊まり込みだった」という。ショッカーアジトのセットは2本撮りの1本目が終わると翌朝の撮影のために大道具スタッフが色を塗り替え、高橋はペンキが乾いた夜中に徹夜で作業をしていた。 『仮面ライダー』第2クールから用いられたショッカー戦闘員のマスクは、最初のサンプルを高橋の妻が作っており、その後も内職でアトラクション用のものを手がけることなどもあったという。 『仮面ライダーX』に登場する怪人「ユリシーズ」の顔は、同僚の前澤範の顔の石膏型を使ったもので、これは高橋の発案だった。
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