現存車両とは? わかりやすく解説

現存車両

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松山人車軌道」の記事における「現存車両」の解説

4両のうち2両は廃止時に解体されたが、残りの2両と複製された1両を合わせた3両が2010年1月現在でも以下の場所で保存されている。 鉄道博物館埼玉県さいたま市実物廃止後は町内神社境内据え置かれていたが、1963年昭和38年)にNHK仙台中央放送局寄贈され国鉄大井工場(現・東京総合車両センター)での修復経て交通博物館において展示されていた。その後鉄道博物館開館に伴い移設大崎市松山ふるさと歴史館宮城県大崎市松山千石復元小牛田町畑の監視小屋使われいたものを、1972年昭和47年)に仙台放送が「鉄道百年祭」で展示するために探し出して仙台市交通局電車部が復元したもの。「鉄道百年祭終了後大年寺山仙台放送会社敷地内保存されていたが、1987年昭和62年7月松山町寄贈されて、現在地移設された。1989年平成元年8月15日有形文化財工芸品)として町の指定文化財指定され2006年自治体合併によって大崎市継承された。 大崎市松山酒ミュージアム宮城県大崎市松山千石複製大崎市松山御本丸公園(コスモス園)毎年9月行なわれるコスモス祭りにおいて、園内での運行使用されていた上記復元人車が町指定文化財であったため、代わりとしてJR東日本仙台総合車両所(現・新幹線総合車両センター)が上記復元人車元にして製作したレプリカであり、1992年平成4年9月3日車両所内で落成記念式が行われた。コスモス祭開催期間中を除いてミュージアム展示されている。 鉄道博物館展示松山人車軌道車両 大崎市松山酒ミュージアム複製人車

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現存車両

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九四式軽装甲車」の記事における「現存車両」の解説

北京坦克博物館クビンカ戦車博物館初期型が、オーストラリア戦争記念館en)とイギリス後期型が、それぞれ1両ずつ展示されている。また、台湾陸軍装甲兵学校校史館に1両展示されている。

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LK II」の記事における「現存車両」の解説

ドイツ製のLK IIは4両が現存している。 元の1918年仕様では1両だけが現存しており、スウェーデン軍に「Stridsvagn m/21」と呼称された。スウェーデンストレングネースのアルセナーレン戦車博物館前身はアクスバル戦車博物館)で展示されている。 残りの3両のLK IIアップグレードされており、「Stridsvagn m/21-29」と呼称された。内2両はアルセナーレン戦車博物館で、3両目ドイツムンスター戦車博物館展示されている。

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九七式中戦車」の記事における「現存車両」の解説

日本国内現存する九七式中戦車実車は、戦後サイパン島から還送された戦車第9連隊所属の57mm砲搭載型が靖国神社遊就館 および、静岡県富士宮市若獅子神社陸軍少年戦車兵学校跡地)に展示されている。また、2005年神奈川県三浦市海岸土中より車台部分残骸発見されその後発掘され栃木県那須郡那須町那須戦争博物館移送され展示されている。 各戦場跡にも多数残骸残っているが、特に激戦となったサイパン島では、上記のように里帰りした車両以外にも数輌の残骸残って観光資源化されている。 新砲塔チハ実車は、比較多く車両が以下の博物館等それぞれ保存・展示されている。 アメリカメリーランド州アバディーン性能試験場陸軍兵器博物館 - 硫黄島の戦い鹵獲された戦車26連隊車両 インディアナ州クローフォーズビルのロプキー装甲博物館には、一式中戦車砲塔酷似し増加装甲付き改造砲塔新砲塔チハ展示されている(前述「#新砲塔」の節参照)。 中国北京市中国人民革命軍事博物館 - 国共内戦でも使用され活躍した功臣号天津市平津戦役記念錦州市遼瀋戦役記念オーストラリアRAAC戦車博物館 ロシアクビンカ軍事博物館 大祖国戦争中央博物館 ほか、57砲塔型と同様に占守島などいくつかの戦場において擱座廃棄された状態の車両存在する若獅子神社チハ サイパン島チハ 占守島チハ

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ブラックプリンス歩兵戦車」の記事における「現存車両」の解説

イギリスボービントン戦車博物館にはブラックプリンスが1輌展示されている。

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FCM36」の記事における「現存車両」の解説

フランスソミュール戦車博物館に、1輌のFCM 36現存している。

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ARL-44」の記事における「現存車両」の解説

ARL 44は三輌が現存しており、ソミュール戦車博物館、ムルムロン=ル=グランの第501503戦車連隊Fontevraud-l'Abbayeの第2竜騎兵連隊にて保存・展示されている。 また、アルザス地方ラ・ヴァンツェノー2017年開館した軍事博物館Musée Militaire Park France((仏語版)には、スクラップ状態で回収されARL44収蔵されており、レストア計画進められている。

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ソミュア S35」の記事における「現存車両」の解説

フランスソミュール戦車博物館イギリスボービントン戦車博物館アメリカ合衆国アバディーン戦車博物館ロシアクビンカ戦車博物館実車展示されている。 ソミュール戦車博物館 ボービントン戦車博物館 アバディーン戦車博物館 クビンカ戦車博物館

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KTM-2」の記事における「現存車両」の解説

2020年現在ロシア連邦プロコピエフスクおよびカザフスタンテミルタウにある公園KTM-2が1両づつ静態保存されている。そのうち後者廃車後倉庫として使用されいたもの映画の撮影向けて2007年から2008年にかけて復元した車両で、撮影後一時的にテミルタウ市電動態運転が行われたが再度休車となり、2018年から修復のうえ静態保存された経歴を持つ。他にもウクライナドニプロ市内を走るドニプロ市電では、KTM-2機器用いた2軸車レトロ(Ретро)」による動態保存運転が行われているが、車体ドニプロ市電開業時車両を基に新造されたもので、KTM-2異な形状有している。 一方事業用車両としては2019年時点ロシア連邦ロストフ・ナ・ドヌロストフ・ナ・ドヌ市電)に1両が在籍している。他にもウクライナカーミヤンシケカーミヤンシケ市電)にも事業用車両高所作業車)として1両が存在したが、同年実施され消火訓練の中で燃やされた。

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九七式軽装甲車」の記事における「現存車両」の解説

日本国外の以下の博物館収蔵している他、多数現存している。 クビンカ戦車博物館ロシア) 砲搭載オーストラリア陸軍戦車博物館オーストラリア) 砲搭載王立オランダ陸軍博物館オランダ機関銃搭載型(実際本車とは異な機銃搭載している。)

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ルノー FT-17 軽戦車」の記事における「現存車両」の解説

41輌のFT各国博物館現存している。 ヨーロッパ ソミュール戦車博物館フランスソミュール) 3輌のFT所有しており、2輌が走行可能。再生不能静態展示の1輌はアフガニスタンから購入したアフガニスタンからは他に3輌のFT購入され、2輌はパットン戦車博物館に、1輌はポーランド渡ったソミュール戦車博物館は他にFT TSF所有している。 フランス軍事博物館フランスパリ廃兵院) 1輌のFTコンピエーニュの森Glade of the Armisticeフランスコンピエーニュ近郊) 1輌のFTボービントン戦車博物館イギリス) 1輌のFT非武装訓練車両。 コブレンツ国防技術博物館ドイツ) 1輌のFT王立軍博物館ベルギー)(ベルギーブリュッセル) 1輌のFT国立軍事博物館ルーマニア)(ルーマニアブカレスト) 1輌のFT軍事博物館ベオグラード)(セルビアベオグラード) 1輌のFT屋外展示パロラ戦車博物館フィンランド、パロラ) 1輌のFT屋内展示クビンカ戦車博物館ロシアモスクワ) 2輌のFT展示されており、1輌は屋内展示、もう1輌は屋外展示となっている。 Musée de l'armée Suisseスイスブルクドルフスイス陸軍1922年にはじめて装備した車両展示されている。 Museo de Medios Acorazados(スペインEl Goloso) 修理中のFT-17。 他に、好事家制作したフルスケールモデルが存在する北アメリカ National Armor and Cavalry Museum, Fort Benning(アメリカジョージア州フォート・ベニング2003年、アフガニスタン・カブールのスクラップ置き場でロバート・レディング少佐発見した2輌のFT-1737mm搭載型および8mm機関銃搭載型、各1両)が、アフガニスタン政府許可得てアメリカ合衆国移送され、2両はケンタッキー州フォート・ノックスのパットン戦車博物館収蔵品となった2011年陸軍機甲学校のフォートノックスからフォートベニングへの移転に伴いパットン戦車博物館車両大部分フォートベニング移送された。パットン博物館の2両のFT-17のうち、37mm搭載型はフォートベニングNational Armor and Cavalry Heritage Foundation保管庫移送され8mm機関銃搭載型はペンシルバニア州アメリカ陸軍遺産教育研究センター英語版)に移管された。 ルイジアナ州軍事博物館アメリカルイジアナ州ニューオーリンズ2005年ハリケーン・カトリーナ水没したが、修復された。 国立第一次世界大戦記念博物館英語版)(アメリカカンサス州ミズーリドイツ軍火砲ダメージ受けた車両展示されている。 アメリカ陸軍遺産教育研究センター英語版)(アメリカペンシルバニア州カーライルパットン戦車博物館からの移管車両静態展示フォート・ジョージ・G・ミード博物館英語版)(アメリカメリーランド州ジオラマにて展示南アメリカ Museu Militar Conde de Linhares(ブラジルリオ・デ・ジャネイロ) 1輌のFT。 Museu Eduardo André Matarazzo(ブラジル、Bebedouro) 1輌のFTオーストラリア オーストラリア戦争記念館オーストラリアキャンベラ) 1輌のFT

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タッカー・トーピード」の記事における「現存車両」の解説

プロトタイプ1台を含めて製造され59台のタッカー'48所有記録は、タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカなどコレクター団体等調査により極めて詳細に記録されており、全くの行方不明となっているのは末期製造され未完成車8台のうちの6台(#1053-1058)のみである。未完成車のうち2台(#1051、#1052)は在庫補修部品リプロダクション部品などを用いて走行可能な状態にレストアされており、行方不明の6台の内1台(#1054)は、このレストアされた#1052のフレーム一部として現存しているともされる2016年現在喪失確認されているタッカー'48上記未完成車6台の他、1948年交通事故大破し上記未完成車の部品取りにも使われた末に車体一部のみが残る#1018、レストア作業中保管場所の火災により焼失ボディ外板の熱変形著しく復元不可能と判断され為に後に所有者希望によりスクラップ処分とされた#10231960年メンフィスミシシッピ川沿いで完全に破壊された状態で放置されている状況を、タッカー'48良く知る地元警察官目撃されたのを最後に現在は所在不明となっている#1042の3台である。#1038は現存確認されているものの、元所有者(投資家のバーナード・グリーベルマン(英語版))の経済難により2006年以降複数オークション経由売却された為、現所有者詳細明らかになっていない米国外持ち出された4台のタッカー'48の内、ブラジル個人コレクターの手渡った#1035は、コレクター死去により他の約50台のコレクション全体と共に管理されていない荒廃状態になっており、現地レストア機会を待つ状態であるとされる日本ではトヨタ博物館1950年NASCARグランドナショナルシリーズ参戦した記録を持つ#1004を所蔵しているほか、鹿児島県ハニ・バイエルン創業者が#1020所蔵している。 他に米国のホットロッド・ビルダーのイダ・オートモーティブがタッカー'48レプリカ車両を3台製造している。このレプリカ車両は外装タッカー'48ボディワーク忠実に再現しているが、ボディパネル自体レジン製で塗装内装ドライブトレーン近代的なホットロッド製造技術盛り込まれている。エンジンはキャデラック・ノーススター・V8で、最高時速120マイル毎時(約190km/h)、0-60マイルは約7秒で走行可能という。 2010年代入って個人所蔵タッカー'48が、所有者死亡経済難などの理由によりオークション掛けられる事があるが、2010年8月113万米ドル(#1045)、2012年にはバレットジャクソン291万米ドル(#1043)で落札されるなど、日本円換算する数億円に達す極めて高額な価格取引されている。

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オートモ号」の記事における「現存車両」の解説

1990年代時点存在確認されている車両はなく、復元計画されることとなる(#復元参照)。復元計画公になり広く情報求められるようになっても、現存車は見つからなかった。 戦後まで残っていた車両としては、豊川保存していたオートモ号水冷1,800車体確認されている。この車両1958年昭和33年)の第5回全日本自動車ショウ東京モーターショー)と、1959年昭和34年4月上野松坂屋催された「初期日本科学展」で出品されている。 豊川白楊社閉鎖時は「五年か十年後に」オートモ号再建する日が来ると考えていたため、エンジン類や資料豊川家物置保管していた。車両は庭に置かれ1958年時点では「二─三、三十数年風雪車輪朽ちた往時のままで現存して」いたとされ、1967年昭和42年)に刊行された『日本自動車工業史稿』第2巻でも、白楊社の章の結びに豊川晩年関連して今は遠い昔国産車化したオートモ号二、三台が分解されトタンをかぶせ戸外雨露しのいでいるのもあわれである。」と記述されているが、それらの車体失われてしまったようである。1958年には自動車評論家小林彰太郎も、オートモ号の現存車両が他にないか読者情報求めているが、この時も発見されということは伝わっていない。 豊川保管し彼の死後寄贈され部品など、国立科学博物館オートモ号部品数点を保存しており、1990年代後半復元車が製作された際にそれら部品の中で使える物は復元車に用いられその他の物は保存継続となった。それらがオートモ号現存する全て考えられている。

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V号戦車パンター」の記事における「現存車両」の解説

大量生産されたため、動態車両6両を含む多く車両現存している。 ソミュール戦車博物館A型動態車両ムンスター戦車博物館A型ジンスハイム自動車・技術博物館A型アメリカ陸軍兵器博物館A型トゥーン戦車博物館D型車体+A型砲塔ブレダD型ソミュール戦車博物館G型ボービントン戦車博物館G型クビンカ戦車博物館G型動態車両アメリカ陸軍兵器博物館G型

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ヤークトパンター」の記事における「現存車両」の解説

ボービントン戦車博物館 - 後期生産型終戦後ハノーファー生産工場内に未完成状態で放置されいたものを、試験のために王立電気機械工兵英語版)が組み立てた車両一つダックスフォード帝国戦争博物館 - 初期生産型ベルギーのヘクテル方面戦闘破壊された車両伝えられ機関部左側面に3発の貫通痕がある。以前ロンドン館で展示されていた。 ムンスター戦車博物館 コブレンツ国防技術博物館 クビンカ戦車博物館 ソミュール戦車博物館 ジンスハイム自動車・技術博物館 トゥーン戦車博物館 アメリカ陸軍兵器博物館 ボービントン戦車博物館展示車両 帝国戦争博物館所有車両写真ロンドン館で展示されていた時のもの。 ムンスター戦車博物館展示車両 クビンカ戦車博物館のパトリオット・パーク展示車両 ソミュール戦車博物館展示車両 ジンスハイム自動車・技術博物館展示車両 トゥーン戦車博物館展示車両 アメリカ陸軍兵器博物館展示車両 コブレンツ国防技術博物館所有車両

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エレファント重駆逐戦車」の記事における「現存車両」の解説

生産され90両の内、第二次世界大戦生き残った車両として、2両の現存確認されている。 1両は1943年クルスクの戦い赤軍ソビエト連邦)によって鹵獲された車両で、改修前の「フェルディナント」であり、現在はロシアのクビンカにあるパトリオット・パークで展示されている。 もう1両は1944年アンツィオの戦いに際してアメリカ陸軍によって鹵獲された車両(「エレファント」)で、その後性能試験経てアメリカ陸軍兵器博物館所蔵品となっている。屋外展示されていたため2000年代になると外装は錆が目立つようになり、2007年から2008年にかけて、塗装再現弾痕強調などを含む展示用のオーバーホールがされており、その模様ドキュメンタリー番組Tank Overhaul英語版)で取材されている。この車両2016年末にイギリスボービントン戦車博物館への貸し出し発表され2017年春から2019年1月にかけて同博物館展示企画である「Tiger Collection」のひとつとして、同博物館所蔵するティーガーIティーガーIIヘンシェル砲塔ポルシェ砲塔の計2両)、ヤークトティーガー一堂会して展示された。 クビンカ戦車博物館展示されていたフェルディナントエレファント改修される前の車両で、前面機銃用の穴を持たない。 パトリオット・パークに移されフェルディナントアメリカ陸軍兵器博物館エレファント写真車両展示用のオーバーホール後の状態。アンツィオの戦い擱座した要因となった考えられている左前付近破損などは残した状態で保存されている。 ボービントン戦車博物館貸し出され展示されているエレフェント。

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IV号駆逐戦車」の記事における「現存車両」の解説

IV号駆逐戦車(Oシリーズムンスター戦車博物館 - 以前フランスソミュール戦車博物館所蔵品だった。 IV号駆逐戦車F型 ムンスター戦車博物館 - 前面装甲60mm前期生産型以前アメリカ陸軍兵器博物館所蔵品だったが、1960年代ドイツ里帰りした。コブレンツにある国防技術博物館からの貸し出し品。 ソミュール戦車博物館 - 前期生産型トゥーン戦車博物館 - 前面装甲が80mmの後期生産型IV号戦車/70(V) ブルガリア国立軍事歴史博物館 クビンカ戦車博物館 アメリカ陸軍兵器博物館展示されていた車両 - 現在はバージニア州保管されている。 パットン戦車博物館展示されていた車両 - イギリス・シュヴェリンハム防衛アカデミーからの貸し出し品。現在はジョージア州保管されている。 カナダ戦争博物館 - 以前カナダ空軍基地内で保管されていた。 IV号戦車/70(A) ソミュール戦車博物館 - 1944-45年の間、自由フランス軍によって使用され車両前面装甲徹甲弾刺さったままの状態で展示されている。 ムンスター戦車博物館試作型 (Oシリーズ) ムンスター戦車博物館F型ツィンメリットコーティング施されている。 ソミュール戦車博物館F型トゥーン戦車博物館F型ブルガリア国立軍事歴史博物館70(V)クビンカ戦車博物館70(V)アメリカ陸軍兵器博物館展示されていた70(V)カナダ戦争博物館70(V)ソミュール戦車博物館70(A)

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ナースホルン」の記事における「現存車両」の解説

2017年8月現在、2両が現存している。 元クビンカ戦車博物館、現パトリオットパーク アメリカ陸軍兵器博物館

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10.5cm突撃榴弾砲42」の記事における「現存車両」の解説

ジンスハイム自動車・技術博物館展示車両(F/8型車台)。 クビンカ戦車博物館展示車両。30mm増加装甲車体前面ボルト留めされたG型車台初期生産型ソミュール戦車博物館展示車両G型車台前期生産型アメリカ陸軍兵器博物館展示車両マズルブレーキの無い後期生産型

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オースチン装甲車」の記事における「現存車両」の解説

サンクトペテルブルクの「砲兵工兵通信軍事史博物館」(砲兵博物館)に、オースチン・プチロフ装甲車保存展示されている。以前市内マーブル宮殿前に展示されていた車両である。この車両は、1917年4月ウラジーミル・レーニン演説台として使用したのであると言われることがあるが、1917年にはプチロフ型は未生産のため誤伝である。 なお、サンクトペテルブルクフィンランド駅前レーニン広場には、レーニンオースチン装甲車上で演説模様再現したとする銅像建っている。台座オースチン装甲車砲塔模した形状になっている

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FV4101 チャリオティア」の記事における「現存車両」の解説

少数車両が現在でも世界各所軍事博物館展示されている。 イギリスボービントン戦車博物館フィンランドパロラ戦車博物館等、本車装備していた国の軍事博物館展示されている他、イスラエルラトルン戦車博物館にはPLOより鹵獲された車両展示されている。

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アウトウニオン・レーシングカー」の記事における「現存車両」の解説

当時レーシングカー保存されることは非常に稀であり、一線退いた旧型車両構成部品必要に応じて後のモデル部品として流用されたり修理使用されたりすることで失われていた。旧型車両一部残ったとしても不要になった車両開発資金補填のためにスクラップにされた上で売却されるのが常だった第二次世界大戦末期には推定18台のアウトウニオン・レーシングカーが、アウトウニオンレース車両製造所があったザクセン州ツヴィッカウ郊外炭坑内に隠された。しかし1945年赤軍ドイツ侵攻すると秘匿されたマシン発見され戦利品として接収された。ツヴィッカウ戦後東ドイツ内に位置していたため、アウトウニオン残され数少ないマシンソビエト連邦送られ研究為にNAMI (中央自動車研究所)(英語版)をはじめとする科学研究機関自動車製造業者に分配されることとなったアウトウニオン自体西ドイツ移転することを余儀なくされ、1949年インゴルシュタット再結成された新生アウトウニオン最終的に今日アウディ発展していった。 今日ではソビエト連邦接収されマシン大部分スクラップにされていると考えられタイプA及びタイプB現存していないとされる現存しているのは1台のタイプCと3台のタイプD、そしてヒルクライム仕様タイプC/Dの混成モデルが1台のみとされる唯一現存する1台のタイプCはローゼマイヤーの死後タイプC2、3台しか現存しなくなったことを受けてアウトウニオンドイツ博物館寄贈したのだった車体には戦中爆撃受けた損傷の跡があり、今でも確認できる1979年から1980年にかけてアウディはこのマシンレストア作業外部委託する形で行い車体エンジントランスミッション保存状態維持できる範囲でのオーバーホール実施した接収され内の1台は技術分析目的としてモスクワ送られた。1976年にはジル工場スクラップ為の解体作業待っていたこの車両は、破壊される前にラトビア・アンティーク自動車クラブ会長のヴィクトル・クルベリによってリガ自動車博物館移された。 ソビエト連邦の崩壊後、アウディ技術者はこの車両16気筒エンジンヒルクライムタイプC/D混成モデルであることを確認しアウディはこの車両をそのレプリカ引き換え入手したオリジナルの車の再生産不可能な部品全て保存されていること、レプリカ再生産可能な部品アウディが既に製作していたレプリカマシンの部品利用して製作することが取引条件だった。アウディがこの取引費やした資金額は公開されなかった。1997年にはイギリスのバックステッドに拠点を置くクロスウェイト&ガーディナーと、同じくイギリスのオワーに拠点を置くローチ・マニュファクチャリングがアウディから依頼受けてこの車両レストア行い同時にレプリカ製作したアウディ博物館展示されているオリジナル車両モーターショー展示される他、アウトウニオンドライバー、ハンス・スタックの息子自身長年アウディレースカードライブしたハンス=ヨアヒム・スタックレースイベントの際にデモンストレーション走行披露することもある。一方レプリカ車両は2007年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード初め公開されピンク・フロイドニック・メイスンの手デモンストレーション走行行った。現在このレプリカリガ自動車博物館展示されている。 アメリカ自動車愛好家ポール・カラシックはシャシー番号19車体ロシアにあることを突き止め入手したそのシャシー別のタイプD残骸から回収したエンジン組み合わせたものをクロスウェイト&ガーディナー社に持ち込んでレストア依頼したレストアされた車両2007年2月パリクリスティーズオークションかけられることになっていた。 自動車オークションにおける史上最高の落札価格(1200ドル以上)が予想されたが、この封印入札方式でのオークションでは1人買い手を見つけることができなかった。シャシーエンジン同一車体からのものではなかったこと、シャシーエンジン型番がこの車両であるとされていたオリジナルマシンのものと一致しないことが発覚したのが原因だった。 この車両2009年8月に再びオークションかけられオークションハウスのボナムス(英語版)は落札額を最低550ポンド見込んだ入札額は600ポンド滞り、このオークションは流となった

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現存車両

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/24 15:16 UTC 版)

T-46 (戦車)」の記事における「現存車両」の解説

極少生産ありながら、現存車両が存在する2001年末にカレリア地峡にて、冬戦争使用されたと思われるT-46発見された。いくつかの部品欠損していたものの、ロシア持ち帰って復元された。その後、モスクワ・ポクロンナヤの丘 勝利記念公園寄贈され一般公開されている。

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現存車両

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/30 19:12 UTC 版)

レイランド・ナショナル」の記事における「現存車両」の解説

現在では極少数のナショナル運行されている。最後主要な運行事業者であるチェースタウン(Chasetown)のチェース・バスサービス社(Chase Bus Services)はアリーヴァ社(Arriva)へ車両売却しアリーヴァ社は2007年4月28日ナショナル運行全て停止した最後まで残ったナショナルは2台を除き全車レイランド510エンジン搭載車であった数多くレイランド・ナショナル現存している。 ワーキントン工場は現在は閉鎖されているが、建物一部はエディ・ストバート(Eddie Stobart)の倉庫一部として使用されている。

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現存車両

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 20:30 UTC 版)

軽駆逐戦車ヘッツァー」の記事における「現存車両」の解説

大量生産されたため、第二次大戦期ドイツ軍駆逐戦車中最も多く車両現存している。また中にはスイスのG-13を改造した車両存在するほか、個人所蔵車両も多い。 クビンカ戦車博物館 フライング・ヘリテージ・コレクション ムンスター戦車博物館 トゥーン戦車博物館 アメリカ陸軍兵器博物館

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現存車両

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:01 UTC 版)

八九式中戦車」の記事における「現存車両」の解説

アメリカアバディーンにある陸軍兵器博物館およびフィリピンレイテ島南部ラグナ州サン・パブロ市ビラ・エスクデロにある博物館に、太平洋戦争中鹵獲された甲後期型屋外展示にて保管されている。また乙型三式中戦車チヌ車)とともに陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校保管されている。現存する乙型世界にこの一輌のみである。 1965年新宿京王百貨店行われた太平洋戦史展」に出展され記録があるが、どの個体であったかは不明土浦駐屯地乙型隊員教育一環として自走可能状態までレストアされており、2007年平成19年10月14日開庁55周年記念駐屯地祭公開された。エンジン電気系統などは現代の物を使用しており軽快走行する砲身木製精巧なダミーではあるが上下可動し、砲塔前面増加装甲再現されている。車内石綿内貼り1980年昭和55年)の再生時に既に撤去済みである。

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