現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/18 09:01 UTC 版)
4両のうち2両は廃止時に解体されたが、残りの2両と複製された1両を合わせた3両が2010年1月現在でも以下の場所で保存されている。 鉄道博物館(埼玉県さいたま市) 実物。廃止後は町内の神社境内に据え置かれていたが、1963年(昭和38年)にNHK仙台中央放送局へ寄贈され、国鉄大井工場(現・東京総合車両センター)での修復を経て交通博物館において展示されていた。その後、鉄道博物館開館に伴い移設。 大崎市松山ふるさと歴史館(宮城県大崎市松山千石) 復元。小牛田町で梨畑の監視小屋に使われていたものを、1972年(昭和47年)に仙台放送が「鉄道百年祭」で展示するために探し出して、仙台市交通局電車部が復元したもの。「鉄道百年祭」終了後は大年寺山の仙台放送の会社敷地内で保存されていたが、1987年(昭和62年)7月に松山町へ寄贈されて、現在地に移設された。1989年(平成元年)8月15日に有形文化財(工芸品)として町の指定文化財に指定され、2006年の自治体合併によって大崎市へ継承された。 大崎市松山酒ミュージアム(宮城県大崎市松山千石) 複製。大崎市松山御本丸公園(コスモス園)で毎年9月に行なわれるコスモス祭りにおいて、園内での運行に使用されていた上記復元人車が町の指定文化財であったため、代わりとしてJR東日本仙台総合車両所(現・新幹線総合車両センター)が上記復元人車を元にして製作したレプリカであり、1992年(平成4年)9月3日に車両所内で落成記念式が行われた。コスモス祭り開催期間中を除いて酒ミュージアムに展示されている。 鉄道博物館に展示の松山人車軌道車両 大崎市松山酒ミュージアムの複製人車
※この「現存車両」の解説は、「松山人車軌道」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「松山人車軌道」の記事については、「松山人車軌道」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 22:46 UTC 版)
北京坦克博物館とクビンカ戦車博物館に初期型が、オーストラリア戦争記念館(en)とイギリスに後期型が、それぞれ1両ずつ展示されている。また、台湾の陸軍装甲兵学校校史館に1両展示されている。
※この「現存車両」の解説は、「九四式軽装甲車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「九四式軽装甲車」の記事については、「九四式軽装甲車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:52 UTC 版)
ドイツ製のLK IIは4両が現存している。 元の1918年仕様では1両だけが現存しており、スウェーデン軍に「Stridsvagn m/21」と呼称された。スウェーデンのストレングネースのアルセナーレン戦車博物館(前身はアクスバル戦車博物館)で展示されている。 残りの3両のLK IIはアップグレードされており、「Stridsvagn m/21-29」と呼称された。内2両はアルセナーレン戦車博物館で、3両目はドイツのムンスター戦車博物館で展示されている。
※この「現存車両」の解説は、「LK II」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「LK II」の記事については、「LK II」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:16 UTC 版)
日本国内に現存する九七式中戦車の実車は、戦後サイパン島から還送された戦車第9連隊所属の57mm砲搭載型が靖国神社の遊就館 および、静岡県富士宮市の若獅子神社(陸軍少年戦車兵学校跡地)に展示されている。また、2005年に神奈川県三浦市の雨崎海岸の土中より車台部分の残骸が発見され、その後発掘されて栃木県那須郡那須町の那須戦争博物館に移送され、展示されている。 各戦場跡にも多数の残骸が残っているが、特に激戦となったサイパン島では、上記のように里帰りした車両以外にも数輌の残骸が残って観光資源化されている。 新砲塔チハの実車は、比較的多くの車両が以下の博物館等でそれぞれ保存・展示されている。 アメリカメリーランド州アバディーン性能試験場陸軍兵器博物館 - 硫黄島の戦いで鹵獲された戦車第26連隊の車両 インディアナ州クローフォーズビルのロプキー装甲博物館には、一式中戦車の砲塔に酷似した増加装甲付きの改造砲塔の新砲塔チハが展示されている(前述「#新砲塔」の節参照)。 中国北京市中国人民革命軍事博物館 - 国共内戦でも使用され活躍した「功臣号」 天津市平津戦役記念館 錦州市遼瀋戦役記念館 オーストラリアRAAC戦車博物館 ロシアクビンカ軍事博物館 大祖国戦争中央博物館 ほか、57㎜砲塔型と同様に占守島などいくつかの旧戦場において擱座・廃棄された状態の車両が存在する。 若獅子神社のチハ サイパン島のチハ 占守島のチハ
※この「現存車両」の解説は、「九七式中戦車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「九七式中戦車」の記事については、「九七式中戦車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 23:36 UTC 版)
「ブラックプリンス歩兵戦車」の記事における「現存車両」の解説
イギリスのボービントン戦車博物館にはブラックプリンスが1輌展示されている。
※この「現存車両」の解説は、「ブラックプリンス歩兵戦車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「ブラックプリンス歩兵戦車」の記事については、「ブラックプリンス歩兵戦車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 03:24 UTC 版)
フランスのソミュール戦車博物館に、1輌のFCM 36が現存している。
※この「現存車両」の解説は、「FCM36」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「FCM36」の記事については、「FCM36」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:10 UTC 版)
ARL 44は三輌が現存しており、ソミュール戦車博物館、ムルムロン=ル=グランの第501=503戦車連隊、Fontevraud-l'Abbayeの第2竜騎兵連隊にて保存・展示されている。 また、アルザス地方のラ・ヴァンツェノーに2017年に開館した軍事博物館、Musée Militaire Park France((仏語版)には、スクラップ状態で回収されたARL44が収蔵されており、レストアの計画が進められている。
※この「現存車両」の解説は、「ARL-44」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「ARL-44」の記事については、「ARL-44」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:09 UTC 版)
フランスのソミュール戦車博物館、イギリスのボービントン戦車博物館、アメリカ合衆国のアバディーン戦車博物館、ロシアのクビンカ戦車博物館に実車が展示されている。 ソミュール戦車博物館 ボービントン戦車博物館 アバディーン戦車博物館 クビンカ戦車博物館
※この「現存車両」の解説は、「ソミュア S35」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「ソミュア S35」の記事については、「ソミュア S35」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:17 UTC 版)
2020年現在、ロシア連邦のプロコピエフスクおよびカザフスタンのテミルタウにある公園でKTM-2が1両づつ静態保存されている。そのうち後者は廃車後倉庫として使用されていたものを映画の撮影に向けて2007年から2008年にかけて復元した車両で、撮影後は一時的にテミルタウ市電で動態運転が行われたが再度休車となり、2018年から修復のうえ静態保存された経歴を持つ。他にもウクライナのドニプロ市内を走るドニプロ市電では、KTM-2の機器を用いた2軸車「レトロ(Ретро)」による動態保存運転が行われているが、車体はドニプロ市電開業時の車両を基に新造されたもので、KTM-2と異なる形状を有している。 一方、事業用車両としては2019年時点でロシア連邦のロストフ・ナ・ドヌ(ロストフ・ナ・ドヌ市電)に1両が在籍している。他にもウクライナのカーミヤンシケ(カーミヤンシケ市電)にも事業用車両(高所作業車)として1両が存在したが、同年に実施された消火訓練の中で燃やされた。
※この「現存車両」の解説は、「KTM-2」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「KTM-2」の記事については、「KTM-2」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 08:56 UTC 版)
日本国外の以下の博物館が収蔵している他、多数が現存している。 クビンカ戦車博物館(ロシア) 砲搭載型 オーストラリア陸軍戦車博物館(オーストラリア) 砲搭載型 王立オランダ陸軍博物館(オランダ) 機関銃搭載型(実際の本車とは異なる機銃を搭載している。)
※この「現存車両」の解説は、「九七式軽装甲車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「九七式軽装甲車」の記事については、「九七式軽装甲車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:07 UTC 版)
「ルノー FT-17 軽戦車」の記事における「現存車両」の解説
約41輌のFTが各国の博物館に現存している。 ヨーロッパ ソミュール戦車博物館(フランス、ソミュール) 3輌のFTを所有しており、2輌が走行可能。再生不能で静態展示の1輌はアフガニスタンから購入した。アフガニスタンからは他に3輌のFTが購入され、2輌はパットン戦車博物館に、1輌はポーランドに渡った。ソミュール戦車博物館は他にFT TSFを所有している。 フランス軍事博物館(フランス、パリ廃兵院) 1輌のFT。 コンピエーニュの森、Glade of the Armistice(フランス、コンピエーニュ近郊) 1輌のFT。 ボービントン戦車博物館(イギリス) 1輌のFT。非武装の訓練車両。 コブレンツ国防技術博物館(ドイツ) 1輌のFT。 王立軍事博物館(ベルギー)(ベルギー、ブリュッセル) 1輌のFT。 国立軍事博物館(ルーマニア)(ルーマニア、ブカレスト) 1輌のFT。 軍事博物館(ベオグラード)(セルビア、ベオグラード) 1輌のFTが屋外展示。 パロラ戦車博物館(フィンランド、パロラ) 1輌のFTが屋内展示。 クビンカ戦車博物館(ロシア、モスクワ) 2輌のFTが展示されており、1輌は屋内展示、もう1輌は屋外展示となっている。 Musée de l'armée Suisse(スイス、ブルクドルフ) スイス陸軍が1922年にはじめて装備した車両が展示されている。 Museo de Medios Acorazados(スペイン、El Goloso) 修理中のFT-17。 他に、好事家が制作したフルスケールモデルが存在する。 北アメリカ National Armor and Cavalry Museum, Fort Benning(アメリカ、ジョージア州フォート・ベニング) 2003年、アフガニスタン・カブールのスクラップ置き場でロバート・レディング少佐が発見した2輌のFT-17(37mm砲搭載型および8mm機関銃搭載型、各1両)が、アフガニスタン政府の許可を得てアメリカ合衆国に移送され、2両はケンタッキー州フォート・ノックスのパットン戦車博物館の収蔵品となった。2011年の陸軍機甲学校のフォートノックスからフォートベニングへの移転に伴い、パットン戦車博物館の車両も大部分がフォートベニングに移送された。パットン博物館の2両のFT-17のうち、37mm砲搭載型はフォートベニングのNational Armor and Cavalry Heritage Foundationの保管庫に移送され、8mm機関銃搭載型はペンシルバニア州アメリカ陸軍遺産教育研究センター(英語版)に移管された。 ルイジアナ州立軍事博物館(アメリカ、ルイジアナ州ニューオーリンズ) 2005年のハリケーン・カトリーナで水没したが、修復された。 国立第一次世界大戦記念博物館(英語版)(アメリカ、カンサス州ミズーリ) ドイツ軍の火砲でダメージを受けた車両が展示されている。 アメリカ陸軍遺産教育研究センター(英語版)(アメリカ、ペンシルバニア州カーライル) パットン戦車博物館からの移管車両。静態展示。 フォート・ジョージ・G・ミード博物館(英語版)(アメリカ、メリーランド州) ジオラマにて展示。 南アメリカ Museu Militar Conde de Linhares(ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ) 1輌のFT。 Museu Eduardo André Matarazzo(ブラジル、Bebedouro) 1輌のFT。 オーストラリア オーストラリア戦争記念館(オーストラリア、キャンベラ) 1輌のFT。
※この「現存車両」の解説は、「ルノー FT-17 軽戦車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「ルノー FT-17 軽戦車」の記事については、「ルノー FT-17 軽戦車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 16:33 UTC 版)
「タッカー・トーピード」の記事における「現存車両」の解説
プロトタイプ1台を含めて製造された59台のタッカー'48の所有記録は、タッカー・オートモビルクラブ・オブ・アメリカなどコレクター団体等の調査により極めて詳細に記録されており、全くの行方不明となっているのは末期に製造された未完成車8台のうちの6台(#1053-1058)のみである。未完成車のうち2台(#1051、#1052)は在庫の補修部品やリプロダクション部品などを用いて走行可能な状態にレストアされており、行方不明の6台の内1台(#1054)は、このレストアされた#1052のフレームの一部として現存しているともされる。 2016年現在喪失が確認されているタッカー'48は上記の未完成車6台の他、1948年に交通事故で大破し上記未完成車の部品取りにも使われた末に車体の一部のみが残る#1018、レストア作業中保管場所の火災により焼失、ボディ外板の熱変形が著しく復元は不可能と判断された為に後に所有者の希望によりスクラップ処分とされた#1023、1960年にメンフィスのミシシッピ川沿いで完全に破壊された状態で放置されている状況を、タッカー'48を良く知る地元の警察官に目撃されたのを最後に現在は所在不明となっている#1042の3台である。#1038は現存は確認されているものの、元所有者(投資家のバーナード・グリーベルマン(英語版))の経済難により2006年以降複数回オークション経由で売却された為、現所有者の詳細が明らかになっていない。 米国外に持ち出された4台のタッカー'48の内、ブラジルの個人コレクターの手に渡った#1035は、コレクターの死去により他の約50台のコレクション全体と共に管理されていない荒廃状態になっており、現地でレストアの機会を待つ状態であるとされる。日本ではトヨタ博物館が1950年にNASCARグランドナショナルシリーズに参戦した記録を持つ#1004を所蔵しているほか、鹿児島県のハニ・バイエルン創業者が#1020を所蔵している。 他に米国のホットロッド・ビルダーのイダ・オートモーティブがタッカー'48のレプリカ車両を3台製造している。このレプリカ車両は外装はタッカー'48のボディワークを忠実に再現しているが、ボディパネル自体はレジン製で塗装や内装、ドライブトレーンは近代的なホットロッドの製造技術が盛り込まれている。エンジンはキャデラック・ノーススター・V8で、最高時速は120マイル毎時(約190km/h)、0-60マイルは約7秒で走行可能という。 2010年代に入っても個人所蔵のタッカー'48が、所有者の死亡や経済難などの理由によりオークションに掛けられる事があるが、2010年8月は113万米ドル(#1045)、2012年にはバレットジャクソンで291万米ドル(#1043)で落札されるなど、日本円に換算すると数億円に達する極めて高額な価格で取引されている。
※この「現存車両」の解説は、「タッカー・トーピード」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「タッカー・トーピード」の記事については、「タッカー・トーピード」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:53 UTC 版)
1990年代の時点で存在が確認されている車両はなく、復元が計画されることとなる(#復元を参照)。復元計画が公になり広く情報が求められるようになっても、現存車は見つからなかった。 戦後まで残っていた車両としては、豊川が保存していたオートモ号・水冷1,800㏄の車体が確認されている。この車両は1958年(昭和33年)の第5回全日本自動車ショウ(東京モーターショー)と、1959年(昭和34年)4月に上野松坂屋で催された「初期の日本の科学展」で出品されている。 豊川は白楊社閉鎖時は「五年か十年後に」オートモ号を再建する日が来ると考えていたため、エンジン類や資料は豊川家の物置に保管していた。車両は庭に置かれ、1958年時点では「二─三、三十数年の風雪に鉄の車輪も朽ちたが往時のままで現存して」いたとされ、1967年(昭和42年)に刊行された『日本自動車工業史稿』第2巻でも、白楊社の章の結びに豊川の晩年に関連して「今は遠い昔の国産車と化したオートモ号二、三台が分解され、トタンをかぶせ戸外に雨露をしのいでいるのもあわれである。」と記述されているが、それらの車体も失われてしまったようである。1958年には自動車評論家の小林彰太郎も、オートモ号の現存車両が他にないか読者に情報を求めているが、この時も発見されたということは伝わっていない。 豊川が保管し、彼の死後に寄贈された部品など、国立科学博物館はオートモ号の部品数点を保存しており、1990年代後半に復元車が製作された際にそれら部品の中で使える物は復元車に用いられ、その他の物は保存継続となった。それらがオートモ号の現存する全てと考えられている。
※この「現存車両」の解説は、「オートモ号」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「オートモ号」の記事については、「オートモ号」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 00:45 UTC 版)
大量生産されたため、動態車両6両を含む多くの車両が現存している。 ソミュール戦車博物館(A型、動態車両) ムンスター戦車博物館(A型) ジンスハイム自動車・技術博物館(A型) アメリカ陸軍兵器博物館(A型) トゥーン戦車博物館(D型車体+A型砲塔) ブレダ(D型) ソミュール戦車博物館(G型) ボービントン戦車博物館(G型) クビンカ戦車博物館(G型、動態車両) アメリカ陸軍兵器博物館(G型)
※この「現存車両」の解説は、「V号戦車パンター」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「V号戦車パンター」の記事については、「V号戦車パンター」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 00:52 UTC 版)
ボービントン戦車博物館 - 後期生産型。終戦後、ハノーファーの生産工場内に未完成状態で放置されていたものを、試験のために王立電気機械工兵(英語版)が組み立てた車両の一つ。 ダックスフォード帝国戦争博物館 - 初期生産型。ベルギーのヘクテル方面の戦闘で破壊された車両と伝えられ、機関部の左側面に3発の貫通痕がある。以前はロンドン館で展示されていた。 ムンスター戦車博物館 コブレンツ国防技術博物館 クビンカ戦車博物館 ソミュール戦車博物館 ジンスハイム自動車・技術博物館 トゥーン戦車博物館 アメリカ陸軍兵器博物館 ボービントン戦車博物館の展示車両 帝国戦争博物館所有車両。写真はロンドン館で展示されていた時のもの。 ムンスター戦車博物館の展示車両 クビンカ戦車博物館のパトリオット・パーク展示車両 ソミュール戦車博物館の展示車両 ジンスハイム自動車・技術博物館展示車両 トゥーン戦車博物館展示車両 アメリカ陸軍兵器博物館展示車両 コブレンツ国防技術博物館所有車両
※この「現存車両」の解説は、「ヤークトパンター」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「ヤークトパンター」の記事については、「ヤークトパンター」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 23:44 UTC 版)
「エレファント重駆逐戦車」の記事における「現存車両」の解説
生産された90両の内、第二次世界大戦を生き残った車両として、2両の現存が確認されている。 1両は1943年のクルスクの戦いで赤軍(ソビエト連邦)によって鹵獲された車両で、改修前の「フェルディナント」であり、現在はロシアのクビンカにあるパトリオット・パークで展示されている。 もう1両は1944年のアンツィオの戦いに際してアメリカ陸軍によって鹵獲された車両(「エレファント」)で、その後は性能試験を経てアメリカ陸軍兵器博物館の所蔵品となっている。屋外に展示されていたため2000年代になると外装は錆が目立つようになり、2007年から2008年にかけて、塗装の再現、弾痕の強調などを含む展示用のオーバーホールがされており、その模様はドキュメンタリー番組のTank Overhaul(英語版)で取材されている。この車両は2016年末にイギリスのボービントン戦車博物館への貸し出しが発表され、2017年春から2019年1月にかけて同博物館の展示企画である「Tiger Collection」のひとつとして、同博物館が所蔵するティーガーI、ティーガーII(ヘンシェル砲塔、ポルシェ砲塔の計2両)、ヤークトティーガーと一堂に会して展示された。 クビンカ戦車博物館で展示されていたフェルディナント。エレファントに改修される前の車両で、前面に機銃用の穴を持たない。 パトリオット・パークに移されたフェルディナント。 アメリカ陸軍兵器博物館のエレファント。写真の車両は展示用のオーバーホール後の状態。アンツィオの戦いで擱座した要因となったと考えられている左前輪付近の破損などは残した状態で保存されている。 ボービントン戦車博物館に貸し出されて展示されているエレフェント。
※この「現存車両」の解説は、「エレファント重駆逐戦車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「エレファント重駆逐戦車」の記事については、「エレファント重駆逐戦車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 06:13 UTC 版)
IV号駆逐戦車(Oシリーズ) ムンスター戦車博物館 - 以前はフランスのソミュール戦車博物館の所蔵品だった。 IV号駆逐戦車F型 ムンスター戦車博物館 - 前面装甲が60mmの前期生産型。以前はアメリカ陸軍兵器博物館の所蔵品だったが、1960年代にドイツに里帰りした。コブレンツにある国防技術博物館からの貸し出し品。 ソミュール戦車博物館 - 前期生産型。 トゥーン戦車博物館 - 前面装甲が80mmの後期生産型。 IV号戦車/70(V) ブルガリア国立軍事歴史博物館 クビンカ戦車博物館 アメリカ陸軍兵器博物館で展示されていた車両 - 現在はバージニア州で保管されている。 パットン戦車博物館で展示されていた車両 - イギリス・シュヴェリンハム防衛アカデミーからの貸し出し品。現在はジョージア州で保管されている。 カナダ戦争博物館 - 以前はカナダ空軍の基地内で保管されていた。 IV号戦車/70(A) ソミュール戦車博物館 - 1944-45年の間、自由フランス軍によって使用された車両。前面装甲に徹甲弾が刺さったままの状態で展示されている。 ムンスター戦車博物館の試作型 (Oシリーズ) ムンスター戦車博物館のF型。ツィンメリットコーティングが施されている。 ソミュール戦車博物館のF型。 トゥーン戦車博物館のF型。 ブルガリア国立軍事歴史博物館の70(V)。 クビンカ戦車博物館の70(V)。 アメリカ陸軍兵器博物館で展示されていた70(V)。 カナダ戦争博物館の70(V)。 ソミュール戦車博物館の70(A)。
※この「現存車両」の解説は、「IV号駆逐戦車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「IV号駆逐戦車」の記事については、「IV号駆逐戦車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 06:25 UTC 版)
2017年8月現在、2両が現存している。 元クビンカ戦車博物館、現パトリオットパーク アメリカ陸軍兵器博物館
※この「現存車両」の解説は、「ナースホルン」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「ナースホルン」の記事については、「ナースホルン」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:58 UTC 版)
「10.5cm突撃榴弾砲42」の記事における「現存車両」の解説
ジンスハイム自動車・技術博物館の展示車両(F/8型車台)。 クビンカ戦車博物館の展示車両。30mm増加装甲が車体前面にボルト留めされたG型車台の初期生産型。 ソミュール戦車博物館の展示車両。G型車台の前期生産型。 アメリカ陸軍兵器博物館の展示車両。マズルブレーキの無い後期生産型。
※この「現存車両」の解説は、「10.5cm突撃榴弾砲42」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「10.5cm突撃榴弾砲42」の記事については、「10.5cm突撃榴弾砲42」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/24 09:28 UTC 版)
サンクトペテルブルクの「砲兵・工兵・通信軍事史博物館」(砲兵博物館)に、オースチン・プチロフ装甲車が保存展示されている。以前は市内のマーブル宮殿前に展示されていた車両である。この車両は、1917年4月にウラジーミル・レーニンが演説台として使用したものであると言われることがあるが、1917年にはプチロフ型は未生産のため誤伝である。 なお、サンクトペテルブルクのフィンランド駅前のレーニン広場には、レーニンのオースチン装甲車上での演説の模様を再現したとする銅像が建っている。台座がオースチン装甲車の砲塔を模した形状になっている。
※この「現存車両」の解説は、「オースチン装甲車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「オースチン装甲車」の記事については、「オースチン装甲車」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/14 07:37 UTC 版)
「FV4101 チャリオティア」の記事における「現存車両」の解説
少数の車両が現在でも世界各所の軍事博物館に展示されている。 イギリスのボービントン戦車博物館、フィンランドのパロラ戦車博物館等、本車を装備していた国の軍事博物館で展示されている他、イスラエルのラトルン戦車博物館にはPLOより鹵獲された車両が展示されている。
※この「現存車両」の解説は、「FV4101 チャリオティア」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「FV4101 チャリオティア」の記事については、「FV4101 チャリオティア」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 04:35 UTC 版)
「アウトウニオン・レーシングカー」の記事における「現存車両」の解説
当時のレーシングカーが保存されることは非常に稀であり、一線を退いた旧型車両の構成部品は必要に応じて後のモデルの部品として流用されたり、修理に使用されたりすることで失われていた。旧型車両の一部が残ったとしても不要になった車両は開発資金の補填のためにスクラップにされた上で売却されるのが常だった。 第二次世界大戦末期には推定で18台のアウトウニオン・レーシングカーが、アウトウニオンのレース車両製造所があったザクセン州ツヴィッカウ郊外の炭坑内に隠された。しかし1945年に赤軍がドイツに侵攻すると秘匿されたマシンは発見され、戦利品として接収された。ツヴィッカウは戦後の東ドイツ内に位置していたため、アウトウニオンの残された数少ないマシンはソビエト連邦に送られ、研究の為にNAMI (中央自動車研究所)(英語版)をはじめとする科学研究機関や自動車製造業者に分配されることとなった。アウトウニオン社自体も西ドイツに移転することを余儀なくされ、1949年にインゴルシュタットで再結成された新生アウトウニオンは最終的に今日のアウディに発展していった。 今日ではソビエト連邦に接収されたマシンの大部分はスクラップにされていると考えられ、タイプA及びタイプBは現存していないとされる。現存しているのは1台のタイプCと3台のタイプD、そしてヒルクライム仕様のタイプC/Dの混成モデルが1台のみとされる。 唯一現存する1台のタイプCはローゼマイヤーの死後、タイプCが2、3台しか現存しなくなったことを受けてアウトウニオンがドイツ博物館に寄贈したものだった。車体には戦中の爆撃で受けた損傷の跡があり、今でも確認できる。1979年から1980年にかけてアウディはこのマシンのレストア作業を外部に委託する形で行い、車体とエンジン、トランスミッションに保存状態を維持できる範囲でのオーバーホールを実施した。 接収された内の1台は技術分析を目的としてモスクワに送られた。1976年にはジルの工場でスクラップの為の解体作業を待っていたこの車両は、破壊される前にラトビア・アンティーク自動車クラブ会長のヴィクトル・クルベリによってリガ自動車博物館に移された。 ソビエト連邦の崩壊後、アウディの技術者はこの車両が16気筒エンジンのヒルクライム用タイプC/D混成モデルであることを確認し、アウディはこの車両をそのレプリカと引き換えに入手した。オリジナルの車の再生産不可能な部品が全て保存されていること、レプリカは再生産可能な部品とアウディが既に製作していたレプリカマシンの部品を利用して製作することが取引の条件だった。アウディがこの取引で費やした資金額は公開されなかった。1997年にはイギリスのバックステッドに拠点を置くクロスウェイト&ガーディナーと、同じくイギリスのオワーに拠点を置くローチ・マニュファクチャリングがアウディから依頼を受けてこの車両のレストアを行い、同時にレプリカも製作した。アウディ博物館に展示されているオリジナルの車両はモーターショーで展示される他、アウトウニオンのドライバー、ハンス・スタックの息子で自身も長年アウディのレースカーをドライブしたハンス=ヨアヒム・スタックがレースイベントの際にデモンストレーション走行を披露することもある。一方、レプリカ車両は2007年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで初めて公開され、ピンク・フロイドのニック・メイスンの手でデモンストレーション走行を行った。現在このレプリカはリガ自動車博物館に展示されている。 アメリカの自動車愛好家ポール・カラシックはシャシー番号19の車体がロシアにあることを突き止め、入手したそのシャシーに別のタイプDの残骸から回収したエンジンを組み合わせたものをクロスウェイト&ガーディナー社に持ち込んでレストアを依頼した。レストアされた車両は2007年2月にパリのクリスティーズでオークションにかけられることになっていた。 自動車オークションにおける史上最高の落札価格(1200万ドル以上)が予想されたが、この封印入札方式でのオークションでは1人も買い手を見つけることができなかった。シャシーとエンジンが同一の車体からのものではなかったこと、シャシーとエンジンの型番がこの車両であるとされていたオリジナルのマシンのものと一致しないことが発覚したのが原因だった。 この車両は2009年8月に再びオークションにかけられ、オークションハウスのボナムス(英語版)は落札額を最低550万ポンドと見込んだ。入札額は600万ポンドで滞り、このオークションは流札となった。
※この「現存車両」の解説は、「アウトウニオン・レーシングカー」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「アウトウニオン・レーシングカー」の記事については、「アウトウニオン・レーシングカー」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/24 15:16 UTC 版)
極少数生産でありながら、現存車両が存在する。2001年末にカレリア地峡にて、冬戦争で使用されたと思われるT-46が発見された。いくつかの部品が欠損していたものの、ロシアに持ち帰って復元された。その後、モスクワ・ポクロンナヤの丘 勝利記念公園に寄贈され、一般公開されている。
※この「現存車両」の解説は、「T-46 (戦車)」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「T-46 (戦車)」の記事については、「T-46 (戦車)」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/30 19:12 UTC 版)
「レイランド・ナショナル」の記事における「現存車両」の解説
現在では極少数のナショナルが運行されている。最後の主要な運行事業者であるチェースタウン(Chasetown)のチェース・バスサービス社(Chase Bus Services)はアリーヴァ社(Arriva)へ車両を売却し、アリーヴァ社は2007年4月28日にナショナルの運行を全て停止した。最後まで残ったナショナルは2台を除き全車がレイランド・510型エンジン搭載車であった。 数多くのレイランド・ナショナルが現存している。 ワーキントン工場は現在は閉鎖されているが、建物の一部はエディ・ストバート(Eddie Stobart)の倉庫の一部として使用されている。
※この「現存車両」の解説は、「レイランド・ナショナル」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「レイランド・ナショナル」の記事については、「レイランド・ナショナル」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 20:30 UTC 版)
「軽駆逐戦車ヘッツァー」の記事における「現存車両」の解説
大量生産されたため、第二次大戦期のドイツ軍駆逐戦車中最も多くの車両が現存している。また中にはスイスのG-13を改造した車両も存在するほか、個人所蔵の車両も多い。 クビンカ戦車博物館 フライング・ヘリテージ・コレクション ムンスター戦車博物館 トゥーン戦車博物館 アメリカ陸軍兵器博物館
※この「現存車両」の解説は、「軽駆逐戦車ヘッツァー」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「軽駆逐戦車ヘッツァー」の記事については、「軽駆逐戦車ヘッツァー」の概要を参照ください。
現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:01 UTC 版)
アメリカのアバディーンにある陸軍兵器博物館およびフィリピンのレイテ島南部ラグナ州サン・パブロ市ビラ・エスクデロにある博物館に、太平洋戦争中に鹵獲された甲後期型が屋外展示にて保管されている。また乙型が三式中戦車(チヌ車)とともに陸上自衛隊土浦駐屯地内武器学校に保管されている。現存する乙型は世界にこの一輌のみである。 1965年、新宿京王百貨店で行われた「太平洋戦史展」に出展された記録があるが、どの個体であったかは不明。 土浦駐屯地の乙型は隊員教育の一環として自走可能状態までレストアされており、2007年(平成19年)10月14日の開庁55周年記念駐屯地祭で公開された。エンジンや電気系統などは現代の物を使用しており軽快に走行する。砲身は木製の精巧なダミーではあるが上下に可動し、砲塔前面の増加装甲が再現されている。車内の石綿の内貼りは1980年(昭和55年)の再生時に既に撤去済みである。
※この「現存車両」の解説は、「八九式中戦車」の解説の一部です。
「現存車両」を含む「八九式中戦車」の記事については、「八九式中戦車」の概要を参照ください。
- 現存車両のページへのリンク