豊川家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 05:34 UTC 版)
豊川家は元来小野姓であり小野春弥が豊川良平と改名したことにより豊川家が誕生し創業より三菱を助けた。良平の妹・従子は近藤廉平(元日本郵船社長、男爵)に嫁いだが、近藤廉平・従子夫妻の長女・栄は大久保利通の子大久保利武侯爵の妻、三女・貴子は上杉憲章伯爵(旧米沢藩14代当主)の後妻、次男・廉治は樺山愛輔の長女・泰子と結婚した。樺山愛輔の次女・正子は終戦連絡中央事務局次長や貿易庁長官などを歴任した白洲次郎に嫁いだため、岩崎家は豊川家・近藤家(岩崎彦弥太の三女の夫の祖父である近藤賢二の一族とは無関係)・樺山家を通じて白洲家とも縁続きとなった。また良平の長男は初の国産車を開発した豊川順弥であり、次男・二郎は兄・順彌の事業を手伝い、三男・良幸は各務幸一郎(各務鎌吉の兄、明治生命・日窒元取締役、早稲田大学各務記念材料研究所)の養子となりアルプス登山世界初ルート(現カガミルート)を開拓し、五男・斎は斎藤実(元海軍大将、内閣総理大臣、子爵)の養子となった。
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