豊川良平とは? わかりやすく解説

とよかわ‐りょうへい〔とよかはリヤウヘイ〕【豊川良平】

読み方:とよかわりょうへい

[1852〜1920]実業家高知生まれ本名小野春弥。岩崎弥太郎従弟三菱財閥基礎確立政・財界重鎮として活躍した


豊川良平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 20:35 UTC 版)

豊川 良平(とよかわ りょうへい、1852年2月5日嘉永5年1月16日)- 1920年大正9年)6月12日)は、近代日本実業家貴族院勅選議員荘田平五郎近藤廉平など三菱財閥に多くの人材を紹介し、いとこ岩崎弥太郎を支えた。尚、本名は小野 春彌(おの はるや)だが、豊臣徳川張良陳平をそれぞれ一字ずつ取って改名している。


  1. ^ a b 『会員追悼録』p25日本工業倶楽部, 1925
  2. ^ 『岩崎彌太郎傳(下)』のp.623によると篤治は美和の兄となっているが(この場合篤治は弥太郎の伯父にあたる)、『岩崎彌太郎傳(上)』のp.103によると篤治は慶応元年(1865年)に48歳で病死しており、そこから生年を逆算すると没時の年齢が数え年・満年齢のいずれであっても篤治は美和の弟になる(この場合篤治は弥太郎の叔父にあたる)。また篤治とときの関係についてもときは篤治の姉としている文献と逆に妹としている文献の両方がある。『岩崎彌太郎傳(上)』p.103に記述されている篤治の没年及び没年齢が正しければときは篤治の姉ということになる。
  3. ^ a b c 小林、P.40
  4. ^ 小林、P.41
  5. ^ 『官報』第1256号、大正5年10月6日。
  6. ^ 鵜崎、P.39
  7. ^ 「東への鉄路 ― 近鉄創世記」(著:木本正次1974年ISBN 4313830693 (上巻)とISBN 4313830707 (下巻))
  8. ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
  9. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
  10. ^ 読み物 霞の歴史 - 霞ヶ関カンツリー倶楽部デジタルミュージアム(「② 發智庄平と藤田欽哉と程ヶ谷C.C.有志の人々」の箇所を参照)2022年7月20日閲覧。


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