廃兵院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 工学 > 航空軍事用語 > 廃兵院の意味・解説 

【廃兵院】(はいへいいん)

戦場において、失明四肢切断麻痺戦争神経症など重度傷害負いそのままでは社会復帰難しくなった傷病兵職業訓練施したり、恩給支給したりして、生涯にわたって面倒を見るための福利厚生施設

日本では19041905年日露戦争契機創設された。
この戦争では、満州朝鮮半島にて激烈な地上戦展開され数万単位負傷兵祖国帰還したが、なかでも失明四肢欠損など重度傷害負い社会生活困難になってしまった兵士たち処遇問題となった
そこで1906年「廃兵院法」を公布施行フランスの廃兵院等をモデル整備乗り出した
当初は、東京にあった陸軍病院一部施設重度負傷兵まとめて収容することで対応していたが、後に単独施設となり、全国各地設置されるようになった

その後大正12年陸軍管理下から外され内務省に、昭和11年には新設され厚生省(現:厚生労働省)に移管
この間昭和9年に「傷兵院」と改称された。

昭和20年大東亜戦争終戦と軍の解体に伴い各地にあった傷兵院は国立病院国立療養所改編され、現在は「独立行政法人国立病院機構傘下医療施設として運営されている。

関連乃木希典


廃兵院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/29 15:25 UTC 版)

廃兵院(はいへいいん)は、戦争または公務のために傷痍を受け、あるいは疾病にかかったことで、後遺症後遺障害を抱えることとなった軍人に対して恩給を支給し、この功勲ある者を充分に待遇保護するために設けられた施設である。


  1. ^ 『官報』第7076号、1907年(明治40年)2月2日。
  2. ^ 『官報』第7480号、1908年(明治41年)6月4日。
  3. ^ 1936年(昭和11年)足柄下郡(現小田原市)に再移転した。
  4. ^ 傷兵保護院の千葉療養所が開所式『東京朝日新聞』(昭和13年12月3日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p363 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  5. ^ 軍事保護院”. アジ歴グロッサリー. アジア歴史資料センター. 2021年4月8日閲覧。


「廃兵院」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「廃兵院」の関連用語

廃兵院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



廃兵院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
航空軍事用語辞典++航空軍事用語辞典++
この記事はMASDF 航空軍事用語辞典++の記事を転載しております。
MASDFでは航空及び軍事についての様々なコンテンツをご覧頂けます。
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの廃兵院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS