ろ‐かく〔‐クワク〕【×鹵獲】
【鹵獲】(ろかく)
戦場において、商取引なしに物資や兵器などを入手する事。
捕虜から没収する場合と、死体から漁る場合と、撤退時に放棄された物資を回収する場合がある。
鹵獲される物資の大半は食料・弾薬・歩兵の個人装備などといった雑多な消耗品である。
戦車などの兵器は戦闘によって破壊されるため、兵器が稼動状態のまま鹵獲されるのは比較的珍しい。
鹵獲兵器として最も代表的なのは海戦で拿捕された艦艇である。
しかし、軍艦は沈没が確定するまで降伏しないのが通例であり、実際に拿捕される艦は多くない。
陸戦では占領した基地の在庫が最も多く、捕虜の武装解除時に没収する装備がその次に多い。
墜落した航空機はほぼ確実に大破するため、空戦によって何かを鹵獲する事はまずない。
歩兵が航空基地の占領を目論んだ場合にも、自力で飛んで撤退が可能なため、軍用機の鹵獲は極めて困難である。
鹵獲された兵器は、既知のものであれば自軍の兵器として流用される。
何らかの疑問点があれば後送してリバースエンジニアリングにかけられる。
そうした利用価値すらないものである場合、前線で発覚したなら破壊・放棄され、後送後であれば倉庫に死蔵される。
今日、我々が博物館などで目にする旧時代の兵器の多くも、軍から譲渡された鹵獲品である。
戦争犯罪としての鹵獲
戦時国際法では鹵獲しても良い物資を敵国の国有財産のみに限定している。
また、これを鹵獲する権利も国家の軍隊に対してのみ認めている。
従って、一般市民に対する掠奪行為や鹵獲品の横領は戦争犯罪である。
とはいえ、戦時国際法の例に漏れず、この原則は実際の戦場においてしばしば黙殺される。
特に消耗品は戦場での監査に不備が生じやすく、後から入手経路を追跡調査するのも困難である。
もしもその事実が発覚すれば軍法会議の対象となるが、憲兵が鹵獲品の明細を完全に把握するのは不可能である。
例えば、ある兵士が支給品以外の食べ物や服、銃などを所持していたとする。
この場合、その物資の入手経路としては以下のようなものが考えられる。
以下のいずれであるかは必ずしも問われないし、入手した事実そのものも報告されない事が多い。
鹵獲
鹵獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:03 UTC 版)
「メッサーシュミット Bf109」の記事における「鹵獲」の解説
イギリス、アメリカ合衆国、スウェーデン、ソ連、フランスなどに鹵獲された機体があった。その他、上記運用国でも互いに鹵獲機を運用していた。
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鹵獲
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「RQ-170 (航空機)」の記事における「鹵獲」の解説
2011年12月6日にイラン軍は、「戦闘機・地上からの攻撃ではなく、電子的に侵入し着陸させて奪った。損傷はほとんどない」という声明を発表し、鹵獲されたRQ-170を放映した。同12日、オバマ米大統領もそれを本物であると会見で認め、正式に返還を求めた。 RQ-170の鹵獲は、GPS信号の上書き偽装によって、RQ-170がホームベースに帰着したと誤認識させる事で成功した。 2014年11月12日、イランは鹵獲したRQ-170をコピーしたと思われる新型無人航空機"シームルグ" (Simurgh)の映像を公開した。革命防衛隊の司令官は、「米国の偵察機よりも飛行速度、機体重量などの性能を改良した」と主張している。一方、アメリカ国防総省は「米国の技術に匹敵するはずがない」としている。 2016年にイラン・イスラム革命防衛隊は、シームルグの武装攻撃型"サーエゲ"を公開した。2018年2月にはシリア領内から離陸したサーエゲと思われるイラン製無人攻撃機が、イスラエル領空内でイスラエル航空宇宙軍のAH-64D攻撃ヘリコプターによって撃墜された。
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鹵獲
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1943年4月21日、いわゆるロングストップヒルの戦い(英語版)の予備的段階の最中、タイガー131はジェベル・ジャファ(Djebel Djaffa)で撃破・鹵獲された(4月24日とする説もある)。戦闘中、タイガー131は第48王立戦車連隊(英語版)A大隊第4中隊所属のチャーチル歩兵戦車と対峙し、6ポンド戦車砲による砲弾3発を受けた。最初の1発は砲身に当たり、跳弾してショット・トラップとなり砲塔リングが損傷して旋回不能に陥り、さらに操縦手と前方機銃手を負傷させた。2発目は砲の俯仰装置を破壊し、3発目は装填手ハッチに命中して砲塔内に破片を散乱させた。その後、乗員は負傷者を連れて脱出したものの、車輌自体はほとんど無傷のまま残されていた。この時の乗員らの氏名や、彼らがその後どうなったのかは不明である。車輌はイギリス陸軍によって鹵獲された。タイガー131は、イギリス軍およびアメリカ軍にとって、無傷で鹵獲することに成功した最初のティーガーIであった。 ノエル・ボーサム(Noel Botham)とブルース・モンタギュー(Bruce Montague)による2012年の著書によれば、タイガー131の英国本土輸送を監督したダグラス・リダーデール工兵少佐(Douglas Lidderdale)は、ウィンストン・チャーチル首相による特命の元、連合国軍がタイガー戦車の情報を獲得するべく展開していた秘密作戦の一環としてその任務に従事していたのだという。この出来事については書籍の出版に先立ち、同年の『デイリー・メール』紙の記事でも触れられている。 これは事実だと考えられていたが、後にボービントン戦車博物館側によって否定されている。リダーデール自身が残した手紙や手記の中で、タイガー戦車の鹵獲に自分が居合わせなかったと明確に書いていた為である。
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鹵獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:15 UTC 版)
8月27日、U-570は午前中の大半を潜水して航行していた。航海4日目ともなり酷い船酔いにかかった乗組員(数名は我慢できないほどの)は、この潜航で一息入れることができた。10:50時頃に北緯62度15分 西経18度35分 / 北緯62.250度 西経18.583度 / 62.250; -18.583の地点で浮上すると、アイスランドのカルダザルネース(Kaldaðarnes)から飛来し、浮上地点近海の哨戒任務に当たっていた英第269飛行隊(269 Squadron)のロッキード ハドソン爆撃機にレーダーで探知された。 司令塔に上がろうとしていたラームロウは、接近するハドソン機のエンジン音を聞いて急速潜航を命じたが、艦が完全に水没する前に4発の250-ポンド (110 kg)爆雷が投下され、その中の一発はU-570から僅か10ヤード (10 m)の至近で炸裂した。 U-570は直ぐに再浮上し、10名ほどの乗組員が甲板上に出てきた。ハドソン機は機銃の砲火を開いたが、潜水艦の乗組員が白旗を掲げると射撃を中止した。後に英海軍情報部門が行った捕虜となった乗組員に対する尋問の報告書によると、爆雷の炸裂によりU-570はもう少しで転覆する状態に陥り、全ての電気系統が落ち、計器類は砕け、漏水を引き起こし、艦内の空気を汚染した。経験の浅い乗組員はこの汚染は漏れ出したバッテリー溶液が海水と混合して発生した塩素ガスであると信じ込み、パニックに陥ったエンジン区画の機関員はガスから逃れるために艦の前方へ避難した。電源の回復(潜航中の動力源である電気モーターと照明用)は容易であったろうが、これを行うエンジン区画には誰も残っていなかった。艦は海中の暗闇の中で死に体となった。ラームロウは、そのまま潜水していると空気の汚濁により致命的な状況になると確信して浮上を命じた。対空機関砲への要員配置ができないほど海上が荒れていたので、更なる爆雷攻撃という新たに起こりうる致命的な状況を未然に防ぐために白旗が掲げられたが、潜水艦の乗組員はこのハドソン機が搭載した全ての爆雷を投下してしまっていたことに気付いていなかった。 ハドソン機が上空を旋回している間にほとんどの乗組員は甲板上に留まり、援軍要請の無線連絡により爆雷を満載したもう1機のハドソン機と英第209飛行隊(209 Squadron)のPBY カタリナ飛行艇が合流した。U-570の乗組員は状況をドイツ海軍最高司令部へ無電で連絡し無線装置を破壊、エニグマ暗号機を粉々に粉砕して艦の機密書類と共に海中へ投棄した。後日、デーニッツ提督は日記に、連絡を受けてこの海域にいるUボートにU-570の援護に向かうように命令を発し、U-82がこれに応えたが連合国軍の空中哨戒によりU-570の元には到達できなかったと記した。 平文で送信されたU-570の無電は英海軍ウェスタンアプローチ管区の指揮官パーシー・ノーブル(Percy Noble)提督に傍受され、すぐさま小規模の艦隊を現場に急行させるようにという命令が発せられた。午後の早い時刻に残燃料の不足のためハドソン機はアイスランドの基地に帰投せざるを得なかった。非常に長い航続距離を有するカタリナ機は、連合国軍艦艇到着までのU-570監視と日没までに艦艇が1隻も到着しない場合にはU-570の乗組員に艦を放棄させてから撃沈するように命じられたが、現場に最初に到着した艦艇 - 対潜トローラー(anti-submarine trawler)の「ノーザン・チーフ(HMT Northern Chief)」- によりこの事態は回避された。このカタリナ機は、Uボート上空を13時間も旋回した後でアイスランドへの帰途についた。 U-570の乗組員は自艦上で一夜を過ごした。「ノーザン・チーフ」からは、自沈の動きがあれば発砲し、生存者も海中から救出しない旨を信号で警告されていたためにU-570乗組員による自沈は試みられなかった。夜の間に更にトローラー4隻と駆逐艦の「バーウエル(HMS Burwell)」、「ナイアガラ(HMCS Niagara)」が現場に到着した。夜明けに英軍側とドイツ軍側の間で一連の回光通信機によるやり取りが行われた。この時ドイツ軍側は、艦の浮揚を維持させておくことが困難なため退艦することを繰り返し要求したが、英軍側は潜水艦の乗組員が退避の際、彼らが何の策も講じずに故意に艦を沈没させることを懸念していたため、潜水艦の保全と沈没を回避できる事が明らかになるまで退避の許可を出すことを拒絶した。。夜が明けて、小型の水上機(英第330飛行隊のノースロップ N-3PB)が上空に飛来した時に事態は更に混乱した。潜水艦が降伏していることに気付かずにN-3PB機はU-570に対し小型爆弾を投下し、「ノーザン・チーフ」に機銃掃射を加えた。これに対し「ノーザン・チーフ」も応戦、各艦とN-3PB機、何れにも被害は無く「バーウエル」が無線でN-3PB機に立ち去るように命じた。 天候が悪化し、潜水艦に曳航索を結びつける幾度かの試みは失敗した。ドイツ側の乗組員が曳航作業を妨害していると信じられたことから「バーウエル」の艦長は機関銃による警告射撃を命じたが、不測にも数名のドイツ側の乗組員に命中して負傷させてしまった。英軍水兵の小部隊が曳航索を取り付けるために潜水艦に移乗し、ドイツ側の乗組員は退艦させられた。艦はU-570を曳航してゆっくりとアイスランドへ向け航行を開始し、ハドソン機とカタリナ機が常時入れ替わりながら上空からこれを援護をした。8月29日の夜明けにソゥルラゥクスホプン(Þorlákshöfn)に到着すると、浸水が甚だしく沈没する危険が考えられたため潜水艦は座礁させられた。
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鹵獲
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