三省堂 大辞林 |
映画情報 |
U・ボート
| 原題: | Das Boot |
| 製作国: | 西ドイツ |
| 製作年: | 1981 |
| 配給: | 日本ヘラルド映画 |
| キャスト(役名) |
| Jurgen Prochnow ユルゲン・プロホノフ (Der Alte) |
| Herbert Gronemeyer ヘルベルト・グリューネマイヤー (Leutnant) |
| Klaus Wennemann クラウス・ヴェンネマン (LI) |
| Martin Semmelrogge マルティン・ゼメルロッゲ (IIwo) |
| Bernd Tauber ベルント・タウバー (Obersteuermann) |
| Martin May マルティン・マイ (Ullmann) |
| Erwin Leder エルウィン・レーダー (Johann) |
| Claude Oliver Rudolph クロード・オリヴァー・ルドルフ (Ario) |
| Joachim Bernhard (Bibelforseher) |
| Jan Fedder (Pilgrim) |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| 1941年、ナチス占領下のフランスの港町ラ・ロシェルの酒場。ドイツ兵たちで賑わうその中に陸での最後の夜を楽しむUボートの乗組員たちがいた。最年長の30歳である艦長(ユルゲン・プロホノフ)をはじめ、乗組員たちは皆20代前半。初めてUボートに乗り込む報道部記者ヴェルナー(ヘルベルト・グリューネマイヤー)は22歳の若さだ。翌日の早朝U96で出発した乗組員は、艦長を含めて総勢43名。艦長は、まずこのU96が水深何メートルまで可能かをテストした。水深計は160メートルを指した。夜、ヴェルナーは興奮さめないまままに乗組員たちの話に耳を傾けていた。そんな日々が何日か過ぎた。そして、やっと攻撃命令が来た。敵の艦隊を攻撃するため、U96潜航を開始。緊張したムードが艦内に溢れる。乗組員たちは肉体的にも精神的にも限界にまで達する。魚雷が発射し、駆遂艦が姿を現わす。敵の爆弾で艦内に破片が飛ぶ。そして、水深230メートルに達した時プレッシャーバルブが力尺きた。しかし150メートルまで浮上し、発射した魚雷が敵方を壊滅した。そしていよいよ難関ジブラルタル海峡通過。予想通りU96は致命的な攻撃を受け、砲台は飛ばされ、状況は最悪となった。皆が息をのんでみつめる中、水深は230、260と沈んでいった。遂に280メートルの海底に達し、皆の失望の表情が艦内に満ちた。艦長は、しかしなおも希望を捨てず、修復作業を命じる。そしてU96は見事浮上した。翌朝、死線を乗りきった乗組員たちの眼前にラ・ロシェルの港が見えてきた。乗組員たちの出迎えのパレードが行なわれる。しかし、その時、上空に敵方の爆撃機が近づき攻撃をはじめ、一瞬の間にそこは修羅場と化した。艦長は、U96が沈んでゆくのを見とどけると、そのまま息をひきとるのだった。 |
ウィキペディア |
Uボート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/27 13:27 UTC 版)
Uボート(ドイツ語: U-boot、英語: U-Boat)は、第一次世界大戦から第二次世界大戦の時期のドイツの潜水艦の総称である。
ドイツ潜水艦隊の華々しい活躍により、Uボートの名はドイツ潜水艦の代名詞として広く普及した。第一次大戦では、約300隻が建造され、商船約5,300隻を撃沈する戦果を上げた。第二次大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻のUボートの損失を出した。
|
||||||||||||||||||||
- ^ タイムズ紙1914年4月25日号でUボートの呼称が確認でき、第一次大戦の早い段階で認知されていたことがわかる。
- ^ Uボート入門p6
- ^ Uボート総覧p175
- ^ Uボート総覧p176
- ^ http://www.uboat.net/boats/u534.htm
- ^ Uボート総覧p183
- ^ a b Adolf Hitler's 'lost fleet' found in Black Sea(英語) - デイリー・テレグラフ誌、最終更新日2008年8月28日
- ^ 「ヒトラーの失われた艦隊」と呼ばれるUボート3隻が黒海海底で発見される - GIGAZINE, 2008年02月05日 14時17分00秒
固有名詞の分類
Uボートに関係した商品