柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:20 UTC 版)
得意技は内股、背負い投げ、横四方固。特に寝技を得意とした。 当時、高専大会で連覇を続けていた高専柔道の強豪・旧制第六高等学校に通ってその寝技技術を磨いた。「柔道はあくまで武術である。武士が戦場で刀折れ矢尽きたあとは、最後は寝技によって生死を決するのだ」と語ったとされる。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/01 08:59 UTC 版)
組み手は右組みで大外刈、払腰、体落などを得意にしていた。背負投が使われることはそれほどなかった。また、寝技も得意であり、足技で崩してから抑込技によく持ち込んでいた。やや半身の構えから相手を引き付ける柔道スタイルで大柄な外国選手にも太刀打ちできる実力を築いていった。さらに、170cmで125kgの体格ながら、自分より二回り以上大きい中国の劉歓緑(195cm、120kg)やポーランドのウルシュラ・サドコワスカ(193cm、150kg)などの超大型選手の奥襟を強引に掴んで払腰や大外刈で投げ飛ばす豪快なパワーをも有していた。後期になると浮落のような一般にはあまり使われないような意外性を有する技も得意技に加えていった。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/02 08:32 UTC 版)
組み手は左組みで、大内刈や大外刈で一本を取ることが多かった。また相手を崩すとすかさず寝技に持ち込む巧さがあった。さらに、組み手がうまいので相手得意の形になかなか入らせず、また、相手の機先を制して自分の方から技を仕掛けていくので、終わって見れば優位を保持していることが多い。2001年の世界選手権で優勝後は、腕の力を付けるだけでなく腹に力を入れることも覚えたことで体幹がしっかりするようになり、よりうまく力を使えるようになった。相手を一瞬組み止めて、すかさず技を仕掛けるのがもっとも得意な形だという。なお、70kg級は曲者でやりにくい外国選手が多かったものの、「相手にとっては私のほうが小さくてやりにくいはずだ」と思うことで、外国選手への苦手意識を持たないように努めていた。また外国選手は真っ向勝負で組みに来ることが多かったので組み手争いに多くを費やすことになる日本選手よりはやりやすかったと語っている。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 22:25 UTC 版)
現役時代は183cm、130kgの大柄な体格のわりには比較的柔軟で、体捌きや身のこなしは速く、器用に内股や背負投を使いこなしていたが、生来の気の優しさもあり、技の出が遅く、スロースターターだと指摘されることも度々あった。感情を表現するのが苦手なこともあって闘志を表に出さないので、周囲からはのんびりやっているように見られて、やる気があるのかと言われることもあったが、本人に言わせれば常に一生懸命やっていたという。 素早い動きに備えて鷹揚に構えるのが特徴で、組んでどっしり構えるものの、攻撃防御でいざ動くときは大変身軽である。一方で、自分の柔道はタイミングの柔道であり、自分のタイミングにならないとなかなか技を掛けないので指導を取られやすい昔ながらの柔道なので、このスタイルだと世界ではきついとも自覚していた。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 08:17 UTC 版)
現役時代は180 cm、150 kg。いわゆるアンコ型の柔道家であった。 左組手。 得意技は払腰、足技(とりわけ出足払はセンスがあると自認するくらい得意にしていた)。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:07 UTC 版)
長い手足と体幹の強さを活かした左組からの内股や大外刈、出足払などの足技を得意としている。小学生時代に出足払、送足払、燕返などの足技を徹底的に鍛えたことが、後に得意技として活きることになった。また、2016年にはリオデジャネイロオリンピックに出場できなかったことで何かを変えなければならないと思い立ち、どんな状況であっても、どこを持っても技を掛け切ることができるように、本来の組み手とは逆の右組みの技や担ぎ技にも取り組み始めた。2017年に世界チャンピオンになって以降は相手の研究に対処するため、不十分な組み手や不利な体勢からも変則技を仕掛けられるように、払腰や一本背負投などの反復練習にも取り組むなどして技の幅を広げていった。また、稽古で追い込み過ぎないようにオンとオフの切り替えにも注意を払うように心がけた。さらに、70kg級はパワー柔道の選手が多いことから、その対策のために本格的な筋力トレーニングを積んで体幹を鍛えることで、相手と密着した際に潰れずに体を合わせられるようにもなった。加えて、相手を崩してすかさず抑込技や絞め技へ移行するのにも長けている。なお、東京オリンピックに向けて弱点と判断した組み手の強化にも取り組むことになった。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 06:55 UTC 版)
本来右利きであるが左組手である(親が試合で有利となるように矯正させた)。柔道以外は右利きである。小外刈、小内刈、内股、大外刈りなどの足技を得意技としている。通常は小外刈り、小内刈りなどの足技は崩しや第2の技として使われることが多い中、鈴木は一本を取れる決め技として使えるほど足技が冴えている。柔道選手の多くは足先を「逆ハの字」に向けて構えるが、鈴木はほぼ平行に構える。小外刈りなどの足技をかける際は、足先を「かま」のような形状にして相手の足を刈るのが基本であるが、鈴木はこの基本に忠実であり、足の長さも相俟って足技のキレを生む一因となっている。 鈴木は奥襟を取らず、相手を前に引き出して崩し内股をかける。担ぎ技はやらない、とのこと。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/28 20:06 UTC 版)
組み手は左組みで大外刈や体落を得意にしている。また、寝技も非常に巧みであり、とりわけしつこく技を仕掛け続け、相手を崩したらすかさず抑込技に持ち込むパターンを得意にしている。しかし、技に入る際に掛け潰れや掛け倒しが多いこともあり、場合によっては掛け逃げの反則を適用されかねない柔道スタイルとも評されていた。さらに、相四つである左組みの選手には強さを発揮する傾向にあるものの、ケンカ四つである右組みの外国選手を苦手にしていて、相手が右組みの場合は得意の大外刈が距離的に入りにくいこともあってか、格下との対戦でも苦戦するケースが少なくない。但し、同じ右組みでも国内の選手相手にはパワーで優位に立っていることなどもあり、谷本歩実相手にも分の良いところを見せていた。2008年の北京オリンピック代表選考の際には谷本に比べて一本を取れる技がないことが代表に選出されなかった理由の1つと言われているが、実際には国際大会、とりわけフランス国際(2005年、2006年、2008年)では計15試合のうち12試合で一本勝ちするなど決して一本が取れない選手だったとは言えないものの、オール一本勝ちで優勝した2009年のロッテルダム世界選手権の時も含めて左組みに対する一本勝ちが多い傾向にあった。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 10:18 UTC 版)
左組み手からの大外刈りや大内刈りに加えて、三角絞めからの抑え込みをはじめとした寝技を得意にしている。ジュニア時代からのライバルだった上野巴恵とは対照的に、相四つの長身選手の組み手を巧みに捌くことに長けている。東海大学女子柔道部監督だった白瀬英春によれば、田知本はすでにジュニアの段階から立ち技、寝技両面において自分の形を持っているのが何よりの強みになっていたと語っている。田知本自身は自らの柔道について、「自分の長所は前に出てガツガツ攻める柔道。短所は、巧い、だます柔道ができないことです。」と述べている。なお、ロンドンオリンピック後は外国選手に太刀打ちできるように筋力トレーニングで重点的にパワー強化を図って、心技体の全てが成長できたともいう。リオデジャネイロオリンピック前には、東海大学の男子柔道部監督である上水研一朗とともにビデオで全てのライバルを徹底的に研究してその特徴を把握するなど、これで負けたらしょうがないと言い切れるほどの準備をする戦術面での緻密さも持ち合わせている。それにより、リオデジャネイロオリンピックの決勝という大舞台でも、相手の意表を突いた技で緻密さと大胆さを発揮した。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 06:27 UTC 版)
身長146cmと小柄なこともあり、もともとは背負い投げ、そして小内刈、大内刈などを得意技としていた。しかし、背負いが警戒されることをうけ、他の技も習得し頻繁に出すようになった。大外刈、内股、体落、掬投、小外刈と多彩で、この技の多さが一つの武器となっており、選手キャリア中盤以降の時期は背負投げ以外の技で勝つことが多かった。また、抑込技や腕挫十字固などの寝技で勝利することも少なくなかった。全日本代表チームで谷のコーチを務めていたこともある広島大学教授の出口達也によれば、谷の考え方には技という概念はなく、一連の素早い動きの中に技が含まれているに過ぎず、相手に反応できれば結果的にどんな技になっても構わないという。 駆け引きがうまく、試合の組み立ても秀逸。組み手に強く、相手にいいところを取られたら瞬時に技を掛けながら外すなど、危機管理能力が桁外れに高い選手である。判定で負けることはまずない。組み際や相手が立ち上がろうと油断した瞬間を逃さない。なお、1999年あたりからは従来のように絶妙なタイミングから相手を投げるスタイルに限界を感じて、それを補うためにより一層のパワーアップ及びスピードアップの向上に努めた。かくして、全身反応時間の更なる高速化とパワーでも外国選手と太刀打ちできるだけの筋力を獲得した。アテネオリンピックで女子代表チームのコーチを務めていた古賀稔彦は「こんな選手は2度と出てこない」と最大級の賛辞を贈っている。 1992年のバルセロナオリンピックに続いて1996年のアトランタオリンピックでも僅かな差でありながら敗れた後に、世界選手権を含めた他の全ての大会に勝ちながらなぜオリンピックのみは勝てないのかと思い巡らせた結果、負けた試合を精査してそれを修正するよりも、むしろ勝った試合を徹底的に分析して勝ちパターンの把握に努め、それを揺るぎないセオリーにまで高めるべきことに気付いた。また、自らをコントロールできる強さを身に付けるために、オリンピックや世界選手権の2か月ほど前から毎日のように「今日が試合当日」と思い聞かせて一日を過ごすことにしていたので、自らを律して練習に取り組むことができ、普段と同じ領域から試合当日へ入っていけたという。なお、小学生の時は試合で負けた場合でもそれで終わりにせず、直ちに道場に戻って次に対戦した時には新展開で勝つイメージを作るための練習を行うことになっていた。そのような経緯もあってこの時代すでに、「負けて学ぶことは少ない。勝ってさらに高い目標を掲げる」という基本思考が形作られていたという。 今までに負けた試合は10試合ほどであり、寝技ではジュニア時代に3回一本負けを喫したことがあるが、立ち技では一度もない。なお、最大のライバルの1人と見なされていた長井淳子は、田村がもっとも強かった時期は1995年だったと語っている。高校時代に指導していた園田兄弟も、田村のピークは1993年と1995年の世界選手権で優勝した時だったと語っている。アトランタオリンピック後のインタビューでは対戦が予想される全ての選手をライバルと思うようになったと語っていたが、引退後にはライバルという存在に対して、「私の柔道人生の中でライバルは作れませんでした。国内外でいろいろな選手が台頭しては消えていく中で、ライバルと思える選手はいなかった。」と否定的な見解を示した。 オリンピック及び世界選手権では計9度も優勝しているが、オール一本勝ちで優勝したことは一度もない。しかしそれは一本勝ちが少なかったことを意味するものでは必ずしもなく、大阪世界選手権とアテネオリンピックでは1試合を除いて全て一本勝ちで優勝、さらに他の世界大会でも1試合しか一本勝ちができなかったリオデジャネイロ世界選手権を除けば、どの大会も過半数で一本勝ちを収めている。 21世紀以降、外国人の柔道選手はタックル(朽木倒)を多用する傾向が多く、日本人選手が負ける要因のひとつとなっているが、谷はこれにも対処することが上手く、相手のタックルを避けることが出来、これもオリンピック2連覇を可能にした能力の一つとみなされている。 また、国内でも10年近く無敗を誇っていたが、現役晩年時は出産によるブランクの影響と年齢による動きの衰えも見られるようになっているためか、2007年の全日本選抜体重別選手権では福見友子に敗れ、翌2008年の全日本選抜体重別決勝でも山岸絵美に敗れた。 まだティーンエージャーのころから常にマスメディアの注目を浴び続け、その中で勝って当然というプレッシャーの中で、長年、モチベーションを維持して頂点に立ち続ける精神力も桁外れであり、井上康生は「どういう精神構造なのかな。ゆっくり話を聞きたい。真剣にそう思う」と評している。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 03:03 UTC 版)
左組み手から内股、大内刈、小外刈などをよく繰り出す。相手の奥襟を強引に引き付ける力強い組み手を見せるが、前半はあまり技が出ず指導を取られるケースも少なからずあるものの、最後まで逃げの姿勢は見せない。立ち技は比較的切れる方だが、より得意なのは寝技である。特に三角絞めや、その体勢からの抑込技への移行が際立っている。高校時代から寝技の練習をずっとやってきたので、寝技が得意ではない外国選手は日本選手よりやりやすいと述べた。また、苦しい体勢からでも自分有利の組み手に持ち込めるような練習に最近は取り組んでいて、相手をよく見て動きを止めてから組み手をつくっていければさらに強くなれるとも語っている。さらに、第25回全国体育系学生柔道体重別選手権大会での研究発表の場において、「緒方亜香里選手の競技内容についての分析的研究」という卒業論文を発表したが、そこでは「勝つ時は一本勝ちが多いが、負ける時も一本負けが多い。足技が多く、中でも内股を掛ける割合が多い。年々勝つ時の時間が遅くなっている。」と自らの試合内容を分析している。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 18:37 UTC 版)
「寝技師」「寝技職人」「寝技の女王」などと称され、強力な寝技による高い一本勝ち率を誇る。右組みから繰り出される内股、大内刈り、大外刈りといったポイントを狙う大技に加えて、巴投げ、隅返、隅落とし、背負い投げといった寝技移行を狙った立技も織り交ぜて試合を組み立てる。そしていったん寝姿勢に入ると、極めて迅速かつ精緻な寝技の積み上げによって高い確度で一本を取る。寝姿勢に入った瞬間に関節技や絞め技を極めて一本を取る速攻を見せることもあるが、むしろ濵田の寝技の真骨頂はいわゆる「亀」と言われるうつぶせ防御姿勢の相手に対して、右手で相手の背中の帯を掴み自身が下に潜り込みながらひっくり返す帯取り返し(引き込み返し)、そしてその際に伸びた相手の右肘関節を極める腕がらみ(キムラロック)、あるいは抑え込みによる手順を踏んだ一本である。2011年世界選手権女子57kg級金メダリストの佐藤愛子はこの帯取り返しから抑え込みまでの必勝パターンを「尚里(勝利)の方程式」と呼んでいる。また、相手の右腕に隙がある場合は最初から腕がらみを極めながらひっくり返す腕がらみ返しも多用する。通常の柔道の試合では相手が「亀」になった時点で攻撃を諦め審判の「待て」を待つことが多いが、濵田の場合ここからしばしば一本をとるのが特徴である。したがってうつぶせになった対戦相手は恐怖心からすぐに起き上がろうとしたり、なりふり構わず場外に逃れようとするが、それらを一切許さず、執拗に寝技の猛攻をかけ続け、確実に一本で仕留めるさまはメディアからしばしば「アリ地獄」と形容される。 このようなスタイルは、伝統的な寝技の基本に忠実であることに加えて、自身が世界選手権を制したサンボの技術も取り入れた濵田オリジナルのものである。このスタイルについて、寝技の達人として知られる総合格闘家の青木真也は「寝技が強い、ホントに強いという印象、彼女の強さは寝技と立ち技の中間のところ、いわゆる『ギワ』を取るのが本当にうまい。柔道というルールの中で、常人には理解できないほど細分化しすぎるところまでいっていると言っていい」と語っている。また柔道関係者からも「なかなか真似したくてもできない、鋭い嗅覚と相手をおびき寄せる方法とかが研ぎ澄まされている」と容易に習得できるものではないことが指摘されている。北京五輪男子100kg超級金メダリストで総合格闘家の石井慧は「寝技が強いし、受けが強い。阿部一二三選手のようなバーッと投げる派手さはなくても、ああいう柔道が最終的に勝つのかなと思います」と濵田の柔道スタイルを絶賛している。1993年世界選手権男子86kg級金メダリストの寝技師中村佳央も「あれだけの技術を持っていたら相手は怖がってしまう。だから、投げを仕掛けても次の瞬間に失敗したときのことを恐れて逃げの態勢に入る。寝技が強いと、相手を波に乗せないことができる。濵田の(東京五輪)金メダルは、豪快な投げ技だけでなく、寝技でもこうやって勝てるんだということを示した。柔道という競技の幅を広める点からも、意味のある金メダルだ」と濵田の寝技技術が柔道界に少なからぬ影響を与えた可能性を指摘している。 憧れの柔道家として、面識は無いものの、「寝技の神様」として世界に知られる柏崎克彦を挙げている。高校時代、柏崎の1981年世界選手権の試合映像に大きな影響を受け、繰り返し観て研究することでそのスタイルを身に着けていった。このことから「自分の柔道スタイルは柏崎先生がいなければできなかった」と語っている。柏崎本人も、試合会場でたまたま見かけた大学生の濵田の寝技に目を奪われ、「手取り足取り教えた選手の誰より、自分の柔道に似ている」「まるで自分を見ているようだ」と感銘を受けた。また現在の濵田の寝技については「世界で一番上手だ」と評している。 このように世間からは寝技師として見られがちだが、本人は何が何でも寝技に持ち込むといったこだわりは無く、「立ち技でも投げたいし、チャンスになれば寝技で獲りたい」というスタイルだと思っている。「(他の日本代表選手の)みなさんみたいに投げられるなら投げたい」といった立ち技への思いから、得意技を聞かれると必ず「内股」と答えるよう心がけているが、つい口が滑って「寝技」と答えてしまうことがある。 試合に勝っても負けても畳の上では一切表情を変えない武道家らしい所作でも知られている。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 08:18 UTC 版)
柔道の特徴としては、左組み手から相手の奥襟を掴んで頭を下げさせながら、7500ccの肺活量にものを言わせてひたすら前に出て技を繰り出して相手のスタミナを消耗させ3分過ぎに仕留めることが少なくなかったことから、いわゆる「3分間柔道」と呼ばれることもあった。但し、このスタイルには無駄な時間浪費と批判する向きも合った。本人によると、自分の技は一瞬のひらめきで出てくるので得意技は特にないとのことだが、内股、小外刈、小外掛、支釣込足、体落、足車などが試合ではよく使われていた。後期になると掬い投げも多用するようになった。また、支釣込足で相手を崩して抑込技に移行するパターンもよく見られた。支釣込足や膝車では腕挫腕固を併用するパターンもよく見られた。このような関節技を併用した投げは本来ノースコアとなるが小川の場合はスコアが与えられるケースがあった。小川雄勢がこの技を引き継ぎグランドスラム・東京2017男子100kg超級決勝戦で小川直也が見守る中この技を出し技ありのスコアを主審が宣したがビデオ判定でルール通り技あり取り消しでノースコアとなった。寝技は抑込技が中心で、絞め技や関節技はあまり使わなかった。しかしながら大きな大会で抑え込一本確実な状態の横四方固からの腕緘(V1アームロック)、肩袈裟固からの腕挫腕固で勝利している。一方で学生時代に巻込技は使わないように指導されていたこともあって、巨体ながらそれを使うことはほとんどなかった。相手を問わず一本勝ちで勝利することが多かった反面、外国選手との対戦で負けた場合は一本負けが少なくなかったので、受けの点ではやや不安定な面もあった。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 11:44 UTC 版)
左組みからの内股を始めとした足技や、抑込技などの寝技を得意とする。身長が低いために相手を太ももではなく尻に乗せて投げる、「ケツ股」とも呼ばれる独特の形の内股をとりわけ得意技にしている。中学時代は帯取返の打ち込みを時には千本もこなすなどして、内股とともに完全に自分のものにしていった。内股とともに子供の頃からやり込んでいた寝技での一本勝ちも多い。また、幼少の頃から長距離走に積極的に取り組んでいたこともあって、持久力には十分な自信を有している。コマツに入社後は監督の松岡義之に打ち込みやトレーニングなど今までの方法を全て変えられるも、それが好結果に繋がることになった。2017年のグランドスラム・東京では今まで使ってこなかった一本背負投も繰り出せるようになった。2018年より施行の新ルールでは、従来なら効果相当の技でも技ありを取られる可能性があるため、それに対処するための受けの練習にも精力的に取り組むことになった。立って良し、寝て良しの総合力を売り物にしていたが、2017年の世界選手権以降は隙が生じる余地があったことからそれを克服するため、どんな状況でも対応できる強さを築くための土台作りに取り組み、2018年の世界選手権では女子代表監督の増地克之をして、完璧に近い内容と言わしめる勝利を飾った。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:49 UTC 版)
山下は左組み手でケンカ四つ、体型が「(階級の割りには)いわゆる上背がないアンコ型」だったもあり、大きな外国選手と戦う事を考えて、奥襟は取らない柔道であった。「崩し」を重視し、連絡技や寝技との組み合わせで一本を取るスタイルの選手であった。本人は技について、投技では大外刈から相性のいい大内刈、内股といった足技、固技では崩上四方固、横四方固、袈裟固、送襟絞を得意としている。他にも足技では小外刈、支釣込足、手技では体落、掬投、捨身技では谷落と多彩だった。また寝技での勝利も多く(特に横四方固)、とりわけ投技からの移行が巧みであった。 投技 最も好きな技は最初に覚えた技である大外刈で、大事な場面ではこの技を使った。内股は、高校生時代、最初の海外遠征時で海外選手に有効であったことから使用するようになった。相手を前に引き出して崩す型の内股。谷落は、ケンカ四つで奥襟をとられたときの対策として研究し、やがて得意技となった。また実際には使われることはなかったが、選手生活の後半には佐藤宣践の薦めにより浮技なども試行している。 寝技 大学入学当初、寝技は不得意(というより必要でなかった)だったが、佐藤との乱取でコツを掴み、得意にした。選手生活の後半に使用頻度が高まったという。投技から移行した寝技での一本も多かった。下から引き込む寝技は試合では使わず、体型を生かした上からの攻めに徹した。これは「練習中はともかく、試合においては不利な方法は絶対にこれを行わない」という勝負哲学に基づく。絞技・関節技では、亀で逃げる相手への送襟絞、両手絞や腕挫脚固、ケンカ四つで防御する相手への腕挫腕固などバリエーションに富む。何れも試合での連携を重視するかたちで用いられた。 オリンピックには一度しか出場せず早々に引退したものの、通算成績528勝16敗15分という記録から、『世界史上最強の柔道家』に推す声はいまだ多い。小川直也は、世界選手権前の全日本合宿で乱取り稽古をつけてもらったが歯が立たず、「なんでこの人(山下)が代表として出ないんだろう?」と引退を疑問に思った。井上康生も全日本選手権3連覇直後の専門誌による取材に、「いまでも寝技は山下先生が一番強いと思います」と答えている。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 03:35 UTC 版)
梅木は左組み手から相手の奥襟を掴んで得意の大外刈や払腰を仕掛ける。高校では立ち技より寝技の練習に時間を割いていたこともあって、寝技も得意にしている。特に三角絞や三角絞からの抑込技三角固を試合ではよく見せる。かくの如き柔道スタイルは、梅木の高校の先輩でもある緒方によく似ていると梅木本人も自覚している。なお、外国選手は腕力が強いので力で対抗し過ぎないように自分の組み手を作っていくことも一方で心がけている。高校時代にはコーチなどから、「組み手がうまい。相手によって奥襟の取り方を変えるなど、頭を使った柔道をする」と評されていた。大学の総監督である古賀氏は「試合終盤までスタミナが切れず、寝技に持ち込める。国内ならどの選手でも抑え込む力がある」と語っている。他方、立ち上がりが遅く、ケンカ四つの相手には引き手が不十分となり、もたつく傾向にあるとの指摘がなされている。また、梅木は課題として「動きを止めてしまう悪い癖を修正し流れの中での組み手を磨いています」という。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 09:24 UTC 版)
佟文は圧倒的なパワーを武器に、立ち技、寝技どちらもこなす。得意技は一本背負い。しかし、その圧倒的なパワーゆえにスタミナ切れが唯一の欠点とされる。その欠点を補うため、故意に帯を緩く結び帯がほどける回数を増やすことで休憩時間を稼ぐシーンが度々みられた。特に2008年北京五輪の決勝で塚田と対戦した際には合計5度も帯がほどけ、地元中国の会場でありながら会場中からブーイングが起こる事態となった。事態を重く見た世界柔道連盟はこの対戦を機に柔道着の規格を見直し、簡単にほどける帯や滑りやすい道着が禁止されるようになった。なお、2012年ロンドン五輪でも準決勝で計3度も帯がほどけるシーンが見られた。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 12:20 UTC 版)
寝技(とりわけ抑込技の腹包み)を得意としており、中学までは寝技に持ち込んでから抑え込みで勝つことが多かった。立ち技では払腰や内股を得意にしている。最も得意とする払腰は中学1年から使ってはいたものの、掛け潰れることが多かった。しかし、高校3年のインターハイで決まってからうまく機能するようになった。一般的な払腰の入り方と違い、独特のフォームとタイミングに依拠する。本人の説明によれば、釣り手は上に引き上げるのではなく、脇を閉めて手首と肘の力を使ってから引き手と一緒に前に引く。力の強い相手に返されないように、軸足となる左足は相手の両足の外側に位置付ける。そして、相手が一歩前に出てこれないように右足で相手の右膝を抑える。さらに、右足首をきちんと伸ばしてしっかり相手の膝をロックしてから投げる。 また、社会人になってからは大内刈、巴投げ、肩車なども実戦で使えるようになってきた。特に巴投げに関して言えば、通常、右組みの選手は左足から踏み込むが、あえて右足で入るのが自らの特徴だという。こうすることで相手の意表を衝き、防御を困難にさせることも可能となる。この際に両袖を持つと相手をコントロールしやすくなる。そこから両袖を引いて相手を前に引き出す。さらには、相手の足元深くに入り込むことによって、一発で相手を浮かすことができる。 一方で、2014年の世界選手権決勝に示されるように、対戦相手を投げにくいと思った場合は指導狙いでも勝つことに徹する臨機応変さを心がけている。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 17:36 UTC 版)
右組からの内股と袖釣込腰を最も得意とする。とりわけ袖釣込腰に関しては、阿部詩と言えば袖釣込腰だと言えるほど自信を有しているし、周囲もそうみなすだろうと考えている。本人も自認しているように、体幹の強さを活かした爆発的な瞬発力から繰り出される豪快な立ち技を特徴としている。 小学生まではあまり練習にも取り組まず、柔道センスだけを頼りに見よう見まねで技を覚えていたが、中学以降は本格的に取り組むことで結果が伴ってきた。また、兄の一二三が試合で繰り出す袖釣込腰や大外刈などを観察して、「詩日記」と呼ばれるノートに学習内容を書き留めると、それを自己流にアレンジして自分のものにしていった。 細かい組手技術に拘ると技が出なくなるタイプなので、自分の体に染みついた感覚で技を繰り出すことを心掛けている。代表争いを勝ち上がるため技の幅を広げようと中学3年くらいから寝技にも積極的に取り組み始め、隅返からの寝技への移行をヒントに自己流にアレンジした回転式の腕緘を得意技にしていった。また、抑込技での一本勝ちも少なくない。 何も考えず愚直に前へ出る柔道を持ち味にしているが、苦手の角田相手にそのスタイルで対峙すると相手の戦略に嵌ってしまうと考えて、攻めるべき場面と守るべき場面をきっちり使い分ける頭を使った柔道を、世界チャンピオンになってからは心がけるようになった。 また、高校2年までは自分の勝った試合しかYoutubeで見なかったが、その後は角田に負けた試合も敢えて見ることで課題を探り出して、それを練習で克服するように努めている。なお、高校ではウェートトレーニングを一切行っていないという。 ライバルの角田夏実は阿部の長所を次のように指摘した。「阿部は両肩の可動域が広くて瞬発力があるため、どの位置からも得意の袖釣込腰などを仕掛けることが可能で、破壊力も際立っており、体軸のバランスが優れていることから受けも強く、スタミナもあるので長丁場になっても容易に屈せず、他の代表選手も感心させられるほど勝気な性格で強靭な精神力を有している」。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 17:35 UTC 版)
右組み手から大外刈、小外刈、袖釣込腰などをよく繰り出す。特に2010年頃からは小外刈を頻繁に見せるようになった。但し本人によれば、最も得意としているのは大外刈だという。以前は組み手のことをあまり考えたことはなかったが、最近は持ちたいところをいかに持てるようになれるかを色々と研究するようになった。外国の強豪選手相手でも組み勝つケースが多い反面、受けは必ずしも強い方ではない。立ち技はあまり切れる方ではないが、立ち技で相手を崩したりポイントを奪うと、すかさず抑込技に持ち込み一本を取る堅実さを持ち合わせている。寝技は抑込技だけでなく、絞め技や関節技も使いこなせる。日本の女子選手は寝技の巧い選手が多いが、その中でも特に巧い選手である。関節技を得意とするライバルのテルマ・モンテイロでさえも松本との寝技勝負になるとすかさず場外に逃げる姿勢を見せる。なお、強敵としてモンテイロ、オトーヌ・パヴィア、ラファエラ・シルバの名を挙げている。特にモンテイロは肉体的にも精神的に自分に似ており、最も嫌な相手だという。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 17:19 UTC 版)
田代は立ち技、寝技ともに得意としていて、立ち技では左組みからの内股、大内刈、小外刈で一本勝ちやポイントを取るケースが多い。担ぎ技はあまり使わない。寝技では横返しや足三角などからの抑込技に加えて、絞め技や腕挫十字固、腕挫手固といった関節技も駆使するなど比較的バラエティに富んでいる。外国選手には世界チャンピオンのトルステニャクを始めほとんどの選手に勝ち越している一方で、力が強くて不十分な組み手からでも巻き込み技などを仕掛けてくるアグベニューを苦手にしている。その対策として、パワーを養うために73kg級の男子中学生や高校生と稽古を積んでいるが、男子の方は相手が女性と言うこともあって躊躇しがちになるので、そんな時は「関係ねえから、向かってこいや!」と威勢良く言い放つという。なお、過去の対戦経験からアグベニューには力で対抗せずに先手先手に攻めること、特に寝技が狙い目だとの結論に達している。加えて、オリンピックで最も印象に残った試合だと語る北京オリンピックの63kg級決勝で所属先の谷本歩実コーチがやはり苦手にしていたフランスのリュシ・ドコスにちょっとしたスキをものにして内股で一本勝ちした試合も、アグベニュー対策の参考になると語った。ただし、イメージトレーニングではいつも良いイメージが浮かばないという。それに対して、田代の所属先の監督である1984年ロサンゼルスオリンピック65kg級金メダリストの松岡義之に心理戦で相手を撹乱するために自分の組み手になるまでいつもと違ったパターンをいくつか用意しておくようにとのアドバイスを受けた。一方で、以前は指導者の言うことにただ従うのみだったが、世界で勝つためにはそれでは限界があると悟り、異議のある時はきちんと自己主張をするようになった。2014年の世界選手権でジェルビに横返しを切り返されて負けた時、松岡から横返しはリスクが伴うのでやらない方がよいとアドバイスされたがそれには従わず、逆に切り返された時の対処法を身に付けて使い続けることになった。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 22:13 UTC 版)
三井住友海上監督の柳沢久が「何が出るかわからないから面白い、天性の素質を感じる」と語るように、内股や巴投げを始め、大外刈、背負投、袖釣込腰など多彩な立ち技でポイントを取ると、すかさず寝技で仕留めるのが山岸の柔道の特徴だった。得意技の1つだった内股は、非力だったために巧みな崩しや作りで跳ね上げるのではなく、遠心力を利用して相手を振り回す形で投げていた。巴投げも投げた後にすかさず寝技へ移行するために、釣り手を離さないことを絶えず意識していた。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 18:19 UTC 版)
右組み手から内股、大内刈、体落、小外刈、袖釣込腰、さらに左右の背負投など多彩な技を繰り出す。ケンカ四つは得意ではないものの、最近は対応できるようになってきている。立ち技は特別切れるほうではなく、とりわけ足技などはどちらかというと執拗に粘っていって最後に技をきめるタイプ。調子がよい時は無意識のうちに足技がよく出る。さらには、立ち技で相手を崩したりポイントを奪うと、すかさず抑込技に持ち込み一本を取る堅実さを持ち合わせている。寝技は抑込技だけでなく、絞め技や関節技も時々使う。ジュニア時代から周囲にバランスの良さを賞賛されていたように、自分の体がとても使いやすく軽快な動きが取れるという。「柔道はお腹で受ける」が持論であり、小学生の時から割れていたという腹筋がしっかりしているおかげで柔軟な動きが可能となっている。また、長身の外国選手は自らの手足の長さを有効に使いきれているのか疑問であり、自らの方がずっと正確な動きが取れると感じている。さらに、大学生になってからは肩の力を抜けるようになったことで、とりわけ変形の多い外国選手をうまくずらしたり捌いたりすることが出来るようになり、さらに体幹の力が強くなったことで身体の軸がブレなくなった。そして、高校時代までは変則の体落のような前技ばかりだったが、大学に入ってからは小外刈、大外刈などの後技も使いこなせるようになって技の幅が広がった。日本選手が相手になると接戦になることも少なからずあり、一本を取るケースはそれほど多くないが、その反面、外国選手に対する一本勝ちの多さは特筆すべきものがある。その理由として、この階級では非常に力が強いので当然組手も強く、組んだらいけるという感覚を持つことができ、また、相手の襟と袖を掴みさえすれば外国選手を一本で投げれる自信を有していることから、外国選手相手には最初から一本を狙いに行っているが、それに対して日本の選手は受けが強くバランス感覚が良いので一本は取りづらいので、先に先に技を仕掛けて優勢に試合を進めるように心がけているからだという。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 08:22 UTC 版)
右組み手から大内刈、背負投、袖釣込腰などをよく繰り出していたが、技は多彩ではなく、特に切れる方でもなかった。しかし、立ち技で相手を崩したりポイントを奪うと、すかさず抑込技に持ち込み一本を取る堅実さを持ち合わせていた。寝技は抑込技が多かったが、絞め技も時々使っていた。72kg超級時代は重量級としては非常に小柄な体格ながら敏捷性のある素早い動きで相手を翻弄して反則ポイントを誘うことも少なくなかったが、その反面、巨体の選手相手にも豪快な立ち技をきめていたことが度々あった。階級を下げて以降は、状況に応じて相手の重心を崩しやすいように前後左右に動きながら、相手をいなしたりあおったりできる組み手と、これに連動した足捌きの巧さで、自分の得意技に持ち込み、試合運びを有利に展開することが多かった。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 01:39 UTC 版)
「ナイダン・ツブシンバヤル」の記事における「柔道スタイル」の解説
(2008年北京五輪まで)低い姿勢から素早く相手の足を取り、双手刈や肩車を繰り返し狙う。その繰り返し頻度は非常に高く、試合時間中に何回も試みる。そしてそれ以外の技はほとんど出してこない。しかしながら重心の低さやモンゴル相撲の技術を生かし、一度相手を捕まえると一気に相手の体を浮かせて技を決めてしまう。相手にとっては双手刈や肩車が来ると分かっていても捕まると逃げられないことから握力、腕力、背筋力は非常に高いと推測される。 2009年以降のIJFのルール変更に伴い、得意である双手刈などの下半身を執拗に攻めるスタイルから担ぎ技への転向を計り、柔道スタイルを大きく変えた。2012年ロンドン五輪時は一本背負投、小内巻込などやはり相手の下に潜り込んで投げる技を得意としており、ルールが変わってもモンゴル相撲の技術をベースとしている。 ロンドン五輪以降は、横落などの返し技や巻き込み技も使うなどして柔道の幅を広げている。100kg超級に階級を上げてからは日本の原沢久喜から外巻込でポイントを奪い勝利した事もある。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 11:58 UTC 版)
組み手は右組みで内股、袖釣込腰、一本背負投などを得意にしていた。筑波大学に入学後は寝技の練習にも力を入れてこちらも得意にしていった。子供の頃からしっかりと組むオーソドックスな柔道スタイルであったが、2001年に世界選手権代表になり、女子代表コーチである古賀稔彦の指導を受けるようになると、それまで相手に投げられまいとして低い位置で持っていた右釣り手を高い位置に持ちかえるように指導されたことで得意の内股や一本背負投の威力が増すようになり、理想とする一本柔道により近づくようになったという。また、一本柔道を常に追求していたこともあって、柔道人生において9割は一本勝ちをしており、それは生まれ付いての運動神経の良さに加えて、柔道特有の努力を積み重ねた結果だとも豪語している。
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柔道スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 10:05 UTC 版)
左の釣り手と右の引き手で相手の両襟を掴んでからの払腰を得意にしている。国際大会ではほとんど3位以内に入るなど外国選手を比較的得意にしている。高校時代に指導した二瀬寛之も、田知本は外国選手を苦にしないだけのパワーがあると指摘している。一方で、外国選手よりも技術力を有する組み手が巧みな日本選手と対戦した場合は膠着状態になることが少なくない。特に対戦成績で負け越しているケンカ四つの山部相手にその傾向が見られるものの、時に左釣り手を上から持って山部の肘を畳みこみ、相手の右釣り手の動きをけん制するなどの効力が発揮される場合もある。加えて、どちらかというと攻めが遅くスロースターターだとも指摘されている。本人もその点は自覚しており、普段の練習から早めに技を繰り出せるように改善に努めている。
※この「柔道スタイル」の解説は、「田知本愛」の解説の一部です。
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