増地克之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 08:58 UTC 版)
増地 克之(ますち かつゆき、1970年9月29日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。
注釈
- ^ 井上康生との準決勝戦はしばらく増地の優勢で試合が進んだが、新日鐵監督の岡泉淳の“行けっ”という掛け声に背中を押され不用意に前に出た増地が、逆に小外掛で有効を奪われ痛恨の逆転負けを喫した。増地は後に雑誌のインタビューで「1度くらいは全日本で優勝したかった」と述べ、「(井上との試合は)いま思い出しても悔しい」と本音を語っている[1]。
- ^ その後2012年大会で棟田康幸が14回目の出場により記録を更新し、現在は同選手の15回出場が最多記録となっている。
- ^ 妻の千代里も柔道家であり、オリンピックや世界選手権のメダルを獲得するなど女子軽量級の第一線で活躍した経歴を持つ。増地とは筑波大学時代の同級生でもあった。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 生島淳 (2007年6月22日). “転機-あの試合、あの言葉 第54回 -増地克之-”. 近代柔道(2007年7月号)、50-53頁 (ベースボール・マガジン社)
- ^ “小川直也、安定した実力でV5果たす”. 激闘の轍 -全日本柔道選手権大会60年の歩み-、114-115頁 (財団法人講道館・財団法人全日本柔道連盟). (2009年4月29日)
- ^ 筑波大学柔道部
- ^ 柔道創始者“直系”の筑波大、東海大破り国公立大初V/柔道 サンケイスポーツ 2015年6月29日
- ^ “全柔連強化委員長に金野氏就任 新体制、女子代表監督は増地氏”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2016年9月14日) 2016年9月14日閲覧。
- ^ 柔道日本男子監督は鈴木桂治氏「勝つことにどん欲に」 サンケイスポーツ 2021年9月28日
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