川村禎三
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川村 禎三(かわむら ていぞう、1922年7月14日 - 2003年1月16日)は、日本の柔道家(講道館9段)。
注釈
- ^ 安部は当時の高等師範学校での稽古を「相手は必ず上級生で、歩合稽古をやっていたら大変な叱りを受けた」「捨て稽古で攻めるのみの稽古を強いられ、大変な厳しさがあった」と述べ、「川村といえども稽古の厳しさには参っていた」と述懐している[1]。
- ^ 試合は結局、ヘーシンクが内股で逆転勝を収めて金メダルを獲得した。
- ^ 国際柔道連盟(IJF)独自の審判規定の制定に携わり、川村の作った原案が1967年の第4回世界選手権大会の総会で承認され、その後の国際ルールの礎となった。
- ^ 体重別階級制の導入については、IJF加盟国からの強い要望もあり1969年の総会で5階級の導入が決定されたが、その後レスリングと同様に10階級の採用を主張する東欧諸国に対し、“過度の細分化は柔道の特徴を失う”と川村が反論し、1978年の総会で7階級の導入が決定された経緯がある[1]。
- ^ この時に川村と同じく9段に昇段したのは、羽鳥輝久、宮川善一、醍醐敏郎、橋元親、湊庄市、高嶋吉次郎、安部一郎、大沢慶己、夏井昇吉の9名。
出典
- ^ a b c d e f 安部一郎 (2003年3月1日). “故 川村禎三九段の死を悼む”. 機関誌「柔道」(2003年3月号)、68-69頁 (財団法人講道館)
- ^ a b c d 嘉納行光、川村禎三、中村良三、醍醐敏郎、竹内善徳『柔道大事典』佐藤宣践(監修)、アテネ書房、日本、1999年11月21日(原著1999年11月21日)。ISBN 4871522059。"川村禎三 -かわむらていぞう"。
- ^ a b c d 工藤雷介 (1965年12月1日). “七段 川村禎三”. 柔道名鑑、92頁 (柔道名鑑刊行会)
- ^ 川村禎三 (1992年6月1日). “講道館創立百十周年記念九段昇段者および新九段のことば”. 機関誌「柔道」(1992年6月号)、43-44頁 (財団法人講道館)
- ^ 「98年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、及び外国人の受章者一覧」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
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