エルンスト・マッハ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 07:56 UTC 版)
脚注
参考文献
- 野家啓一 著、廣松渉ほか編 編『岩波哲学・思想事典』岩波書店、1998年。ISBN 978-4000800891。
関連項目
外部リンク
- Ernst Mach (英語) - スタンフォード哲学百科事典「エルンスト・マッハ」の項目。
- 『マッハ』 - コトバンク
- 『エルンスト マッハ』 - コトバンク
注釈
- ^ 遷音速での飛行機の空力特性など、対気速度そのものよりも音速との比が重要な場合について使われる値である。
- ^ 尚、当時、分子なるものが存在するかどうかについて、科学者たちの見解は一致を見ず、科学界の大御所のマッハの見解は大きな影響力を持ち、それを支持する科学者が多数であった。ただし、[要出典]ボルツマン流の世界観を支持する科学者もおり、科学界は混乱していた。だが、20世紀初頭にアインシュタインがブラウン運動の研究で分子の存在を示したことで、一旦、当時の科学者の間では見解が落ち着き、1916年にマッハが死去したので、収束した形になった。その後、一応「原子」と呼ぶことができる存在があるようだ、と科学者たちから認識されたが、だがその後、当時原子と呼ばれ分割不可能なように信じられた存在も内部構造があるということがわかり、、《直接知覚できない最小単位》を前提にして組み立てる仮説(=原子論や素粒子論)のような方法で知識を構築することが果たして妥当かどうか、という認識論上の懐疑は、数十年を経て、再認識されるようになっており、認識論上はマッハの考え方の価値は現在でも(肯定的に)評価されている[要出典][誰によって?]。物理学的には、形而上学的概念であろうとなんだろうと測定値は事実であり、また、《直接知覚できない単位》といったようなものについて「モデル」として捉える、という手法で問題は起きておらず、形而上学的概念だというレッテルがあったとしてもそれは物理学の問題ではない。また「原子より小さい素粒子が見つかったから」といって以前と同じ議題を持ち出すといったような論法は、ある種の無限退行とも言える。
出典
- ^ 谷徹「現象学と経験の可能性の条件」
- ^ 『日本大百科全書』(小学館)の「唯物論と経験批判論」の項目を参照。
- ^ 『日本大百科全書』(小学館)の「観念論」の項目も参照。
- ^ レーニン 『唯物論と経験批判論 上』 新日本出版社〈新日本文庫〉、1979年、48頁。
固有名詞の分類
思想家 |
ダーフィト・シュトラウス 覚鑁 エルンスト・マッハ 絶海中津 ルドルフ・シュタイナー |
オーストリアの物理学者 |
フリードリヒ・ハーゼノール クルト・ビンダー エルンスト・マッハ リヒャルト・フォン・ミーゼス ヴィクトル・フォン・ラング |
オーストリアの哲学者 |
オットー・ヴァイニンガー フリードリヒ・ハイエク エルンスト・マッハ ルドルフ・シュタイナー ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン |
チェコの哲学者 |
ヴィレム・フルッサー エルンスト・マッハ ヤン・パトチカ フリッツ・マウトナー ベルナルト・ボルツァーノ |
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