M20“スーパー・バズーカ”とは? わかりやすく解説

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M20“スーパー・バズーカ”

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 23:33 UTC 版)

バズーカ」の記事における「M20“スーパー・バズーカ”」の解説

2.36インチ(60mm)バズーカ口径拡大型の開発要求に対して、M9の改良型であるT90制式化されM18となる)の基本設計をほぼそのままに、口径3.5インチ(89mm)に拡大したものが開発された。1944年後半には設計終了1945年初頭にはT74の名称で試作品完成したが、程なく戦争終結したため、同年10月M20として制式採用されたものの、量産行われず試作のみで開発計画は一旦打ち切りとなった。 T74(M20)はT90同じく本体アルミニウム用いたため、大口化されたにもかかわらず重量はM9とほぼ同等であり、新開発M28 3.5インチ成形炸薬ロケット弾用いて最大11インチ(約280mm)の装甲貫通力発揮できた。 朝鮮戦争において、第二次世界大戦中にはドイツ重戦車対し多く戦果挙げたはずの2.36インチ60mm)M9バズーカは、T-34-85対す攻撃十分な効果あげられなかった。原理的にはM9バズーカ使用するM6A3対戦車ロケット弾にはT-34装甲充分に貫通する能力があったはずで、「確かに命中しているのに撃破できない」「命中して装甲表面弾かれる」「複数発を命中させても敵戦車平然と行動している」という例が多数報告され、この事実米軍首脳大きな衝撃与えた。 この原因については、大戦後5年経過した在庫ロケット弾炸薬劣化していた、あるいは、2.36インチロケット弾の成形炸薬弾頭はT-34装甲貫通する能力はあったとしても車内人間設備損害与えるには加害範囲小さかったなど、いくつかの説がある。この事態際し試作のみで計画中断とされていたM20取り急ぎ製造され教育部隊への先行配備すら中止して全数朝鮮半島急遽空輸された。 こうして急遽投入されM201950年7月の“大田の戦い”の中、7月20日戦闘初め実戦使用され同日発生した大田市街戦においてはアメリカ陸軍24歩兵師団師団長ウィリアム・F・ディーン少将が、自らM20担いで対戦車戦闘行い兵士たち新兵器威力示したという逸話残っている。 詳細は「大田の戦い」を参照 M20投入により、米韓連合軍はようやくまともな対戦車戦闘が行えるようになり、M20米韓連合軍にとって唯一のT-34撃破しうる対戦車兵器として活躍した開戦当初大きな脅威であった共産戦車は、1950年9月後半ソウル攻防戦の頃には「部隊の中で誰が一番多く撃破できるか」の賭け対象しかないと言われる程までに脅威度低下していた。 朝鮮戦争においては共産軍側も鹵獲した2.36インチ M9/3.5インチ M20の両バズーカ使用しており、これらは国連軍戦車にとって大きな脅威となった中華人民共和国鹵獲したM20リバースエンジニアリングして国産化行っている。 M20原型M20の他、発射本体その構成部品鋳造アルミニウムの一体成形とし約1ポンド(453.6グラム重量削減した軽量型のM20B1、「着火コード接続用の電極露出式のため、汚損破損が多い」という問題対処するため、ロケット弾発火機構をM1バズーカ初期型同様に装填後に発射後端上部スイッチ操作することにより本体ロケット弾電気的に接続される構造変更し分割部の構造強化発射中央部にあった二脚および肩当て前部にある単脚廃止したM20A1が朝鮮戦争停戦後1952年から生産されている。既存のM20B1も発火機構を-A1と同方式改造する改装が行われており、改装された-B1にはM20A1B1の制式名称与えられている。M20および-B1対し、-A1および-B1A1は、発射後端上部レバー付きスイッチボックスがあることで識別できる。 なお、発射筒の前半部分各型で共通のため、M9で問題となった「型が違うと部品共用できず、前線補給処レベルでの修理難がある」という点を解消していた。 M20 陸上自衛隊使用された「89mmロケット発射筒」(M20A1B1)および「89mmロケット弾山形県東根市陸上自衛隊神町駐屯地防衛館の展示品 M20B1 下面より 1950年7月20日大田の戦いにおいてM20撃破された北朝鮮軍T-34-85アメリカ陸軍24歩兵師団師団長ウィリアム・F・ディーン少将仕留めた車両で、砲塔側面にはその旨記念に書き込まれている。 1953年3月25日ドーザー付きM46パットン砲塔バズーカ対策金網張っている海兵隊員戦争終盤のこの当時には国連軍戦車は壕に待機し砲塔け出し砲撃支援任務を行うことが主体となっており、共産軍に鹵獲されたバズーカによる攻撃受けて大きな損害出していた。 ベトナム戦争中の1968年2月M20担いで走るアメリカ海兵隊

※この「M20“スーパー・バズーカ”」の解説は、「バズーカ」の解説の一部です。
「M20“スーパー・バズーカ”」を含む「バズーカ」の記事については、「バズーカ」の概要を参照ください。

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