釜山橋頭堡への補給
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:34 UTC 版)
「釜山橋頭堡の戦い」の記事における「釜山橋頭堡への補給」の解説
朝鮮戦争開始時、北朝鮮軍はソ連から供与された100機以上のレシプロ作戦機を展開させていたが、緒戦段階からアメリカ軍の航空勢力が優勢で、7月にはアメリカ軍に制空権を握られていた。これは海上の制海権も同様で戦争全般において制空権・制海権ともに国連軍の手にあった。 制空権・制海権を確保した国連軍は膨大な補給品を湯水のように流し込んだ。7月中に揚陸された物資は31万容積トン、7月下旬に釜山に入港した貨物船は230隻(1日平均16隻)になった。緊急で必要になったM20 スーパー・バズーカ(3.5インチロケットランチャー)や空軍用の新型ロケット弾などはアメリカ本土から空輸された。 ただし、第8軍が開戦から釜山橋頭堡確保までに消費した弾薬は、日本防衛用に日本本土に備蓄していたもので、続く激戦のため9月上旬には一門あたりの1日の使用量は25発から50発に制限された。欧州戦線で一門あたりの1日の補給量が少なくて100発、多いと200発だったアメリカ軍にとって、この補給量は少なすぎた。アメリカ本土からの弾薬船が釜山に到着し始めたのは8月末頃からで、弾薬の不足はすぐには解決しなかった。
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