2000年代以降の長野県政とは? わかりやすく解説

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2000年代以降の長野県政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:26 UTC 版)

長野県」の記事における「2000年代以降の長野県政」の解説

田中康夫県政関連 脱・記者クラブ宣言2001年平成13年5月15日当時知事田中康夫県庁にある記者クラブ独占的に利用する記者室廃止して誰でも利用できるプレスセンター設置する発表し2001年平成13年7月2日に「仮設 表現道場」を設置波紋広げたその後2002年平成14年4月1日に「表現センター」と改称県庁5階北側設置されたが、2006年平成18年)に廃止した。 脱ダム宣言 長野県原産地呼称管理制度制度の概要詳細について内部リンク参照 改名構想知事時代田中が「長野県」から「信州県」へと改名するとした構想。特に観光面で「信州呼ばれることが多いことから、観光産業への効果など謳われた。これには依然として長野市松本市との対立意識が残ることがその根底にある。当初新聞紙上には載ったが、実際動きあったか不明のまま立ち消えとなる。 山口村越県合併問題山口村(現・岐阜県中津川市山口地区)の越県合併合併告示当初より反対であった合併協議会賛成得て反対続け、「山口村長野に残るべき」と述べた結果的に合併承認し越境合併実現したが、田中自身最後まで反対意思曲げことはなかった。 山口村越県合併問題で、山口村村民村役場村議会県議会対立したことで、「反・田中派」の追い風乗り後任知事である村井県政が始まるきっかけのひとつになった田中県政については独善独裁的という見方もある一方でそれまで長野県政の悪弊(たとえば、県議会多数占め自民党が、少数会派意見無視して乱開発などを進めていく手法)を打破したという点では評価する向きもあり、賛否分かれる村井仁県政関連田中県政全清算」宣言2006年平成18年)の知事選田中破った村井仁は、田中政治姿勢を「独裁者だ」と選挙中から痛烈に批判し続け当選後には田中の全政策を完全否定・完全清算することを宣言した村井明言していたものは、田中が「開かれた県政目指す」として県庁1階移したガラス張り知事室の廃止・脱ダム宣言取り消しであった。 「脱ダム委員追放 冬季五輪使途不明金疑惑調査委員会解散1998年平成10年)に行われた冬季五輪使途不明金調査委員会を、「特定の個人特定のグループの罪をあばくことは建設的でない」という理由解散させる調査委員会今後財政悪化原因第三セクター鉄道に関する調査を行う予定であり、存在している可能性のある行政癒着発見妨げることとなった田中によって開かれた県政閉ざされつつあることが浮き彫りになった一件である。 リニア中央新幹線ルート策定問題南アルプスを貫く「Cルート」の採用有力視される中、「大きな県だから、(リニア県内駅は)2つでも3つでもいいのではないかBルートの北の所に駅がなければ意味がない」と述べ、「我田引鉄彷彿とさせる」との議論呼んだその後飯田下伊那地方Cルート実現求める声が高まってきたことなどを受け、2010年平成22年5月には初めBルート採用明記しない決議採択した。この問題2011年5月13日後任阿部知事が「南アルプスルートを採択することが適当」と表明したことをもって一応の決着となった村井県政田中県政比較して、「閉ざされ県政」「県政後戻り」などと批判される一方で議会や県職員との対立避け姿勢全国のほとんどの都道府県知事がこうしている(いわゆるオール与党体制))を評価する向きもあり、田中県政同様に賛否分かれている。 阿部守一県政関連 信州事業仕分け知事阿部2009年平成21年内閣府行政刷新会議事務局次長として事業仕分けかかわった経験を基に、県事業効率化国・市町村などとの役割分担公開された場において議論する信州事業仕分け」を2011年平成23年1月15日から16日2日間にわたって実施した。これは県知事選挙での政権公約でもあった。取り扱われた計29件の事業のうち、インターネット活用した生涯学習情報提供システム事業信州「食」の魅力向上事業一部交通安全啓発活動事業総合型地域スポーツクラブ育成支援事業の4件が「不要」と判定され、残す25件のうち全体の約7割となる21件が「要改善」と判定された。 リニア中央新幹線建設工事に伴う諸問題リニア中央新幹線工事にともない発生する795立方メートル残土のうち350立方メートル活用先が2019年9月時点決定しておらず、阿部知事期限設けず情報提供受け付けている。また活用先が決まるまでの仮置き場も現時点では不十分であり、候補地受け入れるなどしている。リニア中央新幹線工事や、残土置き場設置工事などでの重機などによる騒音苦情発生しており、対応にあたっている。 静岡県工区発生した大井川水系大規模流水発生については阿部知事心痛しており、JR東海水資源保全要望するなどしている。一方で川勝平太静岡県知事工事着工反対していることに関しては、阿部知事は「住民我慢強いている。なんとしても2027年までの開通をしてもらいたい」と静岡県知事諌める立場とっている。

※この「2000年代以降の長野県政」の解説は、「長野県」の解説の一部です。
「2000年代以降の長野県政」を含む「長野県」の記事については、「長野県」の概要を参照ください。

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