2000年代以降の長野県政
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「長野県」の記事における「2000年代以降の長野県政」の解説
田中康夫県政関連 脱・記者クラブ宣言2001年(平成13年)5月15日、当時の知事・田中康夫が県庁にある記者クラブが独占的に利用する記者室を廃止して、誰でも利用できるプレスセンターを設置すると発表し、2001年(平成13年)7月2日に「仮設 表現道場」を設置、波紋を広げた。 その後、2002年(平成14年)4月1日に「表現センター」と改称、県庁5階北側に設置されたが、2006年(平成18年)に廃止した。 脱ダム宣言 長野県原産地呼称管理制度(制度の概要)詳細については内部リンクを参照 改名構想知事時代の田中が「長野県」から「信州県」へと改名するとした構想。特に観光面で「信州」呼ばれることが多いことから、観光産業への効果などが謳われた。これには依然として長野市と松本市との対立意識が残ることがその根底にある。当初新聞紙上には載ったが、実際の動きがあったかは不明のまま立ち消えとなる。 山口村越県合併問題旧山口村(現・岐阜県中津川市山口地区)の越県合併を合併告示当初より反対であった。合併協議会の賛成を得ても反対し続け、「山口村は長野に残るべき」と述べた。結果的には合併を承認し、越境合併は実現したが、田中自身は最後まで反対の意思を曲げることはなかった。 山口村越県合併問題で、山口村村民、村役場、村議会、県議会と対立したことで、「反・田中派」の追い風に乗り、後任の知事である村井県政が始まるきっかけのひとつになった。 田中県政については独善・独裁的という見方もある一方で、それまでの長野県政の悪弊(たとえば、県議会の多数を占める自民党が、少数会派の意見を無視して乱開発などを進めていく手法)を打破したという点では評価する向きもあり、賛否は分かれる。 村井仁県政関連 「田中県政完全清算」宣言2006年(平成18年)の知事選で田中を破った村井仁は、田中の政治姿勢を「独裁者だ」と選挙中から痛烈に批判し続け、当選後には田中の全政策を完全否定・完全清算することを宣言した。村井が明言していたものは、田中が「開かれた県政を目指す」として県庁1階に移したガラス張り知事室の廃止・脱ダム宣言の取り消しであった。 「脱ダム委員」追放 冬季五輪使途不明金疑惑の調査委員会の解散1998年(平成10年)に行われた冬季五輪の使途不明金調査委員会を、「特定の個人、特定のグループの罪をあばくことは建設的でない」という理由で解散させる。調査委員会は今後、財政悪化の原因や第三セクター鉄道に関する調査を行う予定であり、存在している可能性のある行政の癒着の発見を妨げることとなった。田中によって開かれた県政が閉ざされつつあることが浮き彫りになった一件である。 リニア中央新幹線ルート策定問題南アルプスを貫く「Cルート」の採用が有力視される中、「大きな県だから、(リニアの県内駅は)2つでも3つでもいいのではないか。Bルートの北の所に駅がなければ意味がない」と述べ、「我田引鉄を彷彿とさせる」との議論を呼んだ。その後、飯田下伊那地方でCルート実現を求める声が高まってきたことなどを受け、2010年(平成22年)5月には初めてBルート採用を明記しない決議を採択した。この問題は2011年5月13日、後任の阿部知事が「南アルプスルートを採択することが適当」と表明したことをもって一応の決着となった。 村井県政は田中県政と比較して、「閉ざされた県政」「県政の後戻り」などと批判される一方で、議会や県職員との対立を避ける姿勢(全国のほとんどの都道府県知事がこうしている(いわゆる「オール与党」体制))を評価する向きもあり、田中県政同様に賛否は分かれている。 阿部守一県政関連 信州型事業仕分け現知事の阿部が2009年(平成21年)内閣府行政刷新会議事務局次長として事業仕分けにかかわった経験を基に、県事業の効率化や国・市町村などとの役割分担を公開された場において議論する「信州型事業仕分け」を2011年(平成23年)1月15日から16日の2日間にわたって実施した。これは県知事選挙での政権公約でもあった。取り扱われた計29件の事業のうち、インターネットを活用した生涯学習情報提供システム事業、信州「食」の魅力向上事業の一部、交通安全啓発活動事業、総合型地域スポーツクラブ育成支援事業の4件が「不要」と判定され、残す25件のうち全体の約7割となる21件が「要改善」と判定された。 リニア中央新幹線建設工事に伴う諸問題リニア中央新幹線の工事にともない発生する795万立方メートルの残土のうち350万立方メートルの活用先が2019年9月時点で決定しておらず、阿部知事は期限を設けず情報提供を受け付けている。また活用先が決まるまでの仮置き場も現時点では不十分であり、候補地を受け入れるなどしている。リニア中央新幹線の工事や、残土置き場の設置の工事などでの重機などによる騒音の苦情が発生しており、対応にあたっている。 静岡県工区で発生した大井川水系の大規模流水の発生については阿部知事も心痛しており、JR東海に水資源の保全を要望するなどしている。一方で川勝平太静岡県知事が工事着工に反対していることに関しては、阿部知事は「住民に我慢を強いている。なんとしても2027年までの開通をしてもらいたい」と静岡県知事を諌める立場をとっている。
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