チャイコフスキーとは? わかりやすく解説

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チャイコフスキー【Pyotr Il'ich Chaykovskiy】

読み方:ちゃいこふすきー

[1840〜1893ロシア作曲家国民楽派に対してロシア西欧派を代表。西欧音楽ロマン派技法ロシア土壌の上発展させた。作品に、ピアノ協奏曲交響曲悲愴」、バレエ音楽白鳥の湖」「眠りの森の美女」「胡桃(くるみ)割り人形」など。

チャイコフスキーの画像
モスクワにあるチャイコフスキー像

チャイコフスキー

【英】:Tchaikovsky, Pytr Il'ich
[ロシア]  1840~1893

2005年7月 執筆者: 実方 康介

 ロシアウラル地方ヴォトキンスク鉱山技師の父の元に生まれた家族職業音楽家はいないが、父がフルート演奏し、母もピアノを弾くなど音楽的な素養があった。1859年から法務省官吏になるが63年には辞職このころ新設されペテルブルク音楽院所属しており、院長アントン・ルビンシュタイン管弦楽法学んだ卒業アントンの弟、ピアニストニコライ・ルビンシュタイン招きモスクワ音楽院講師となったニコライとはその後親友として交流した
 1870年代結婚1877年)の失敗から精神的に安定となるなど危機的な状況迎えた。しかし創作力旺盛1868年の「ロメオとジュリエット」に始まって、「ピアノ協奏曲第1番(1874-75)」、「交響曲第4番(1877)」などの傑作生み出され名声もたらした

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏

管弦楽ピアノ


チャイコフスキー

名前 Chaikovski; Chaikovskii; Tchaikovsky; Tschaikowsky

ピョートル・チャイコフスキー

(チャイコフスキー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 04:47 UTC 版)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー: Пётр Ильич Чайковский [ˈpʲɵtr ɪlʲˈjitɕ tɕɪjˈkofskʲɪj] 発音を聞く[ヘルプ/ファイル]ラテン文字表記の例PyotrあるいはPeter Ilyich Tchaikovsky1840年5月7日ユリウス暦では4月25日) - 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日))は、ロシア作曲家


注釈

  1. ^ なお正教会埋葬式においては、遺体や遺体の額に巻かれているイコンに接吻する事は一般的な習慣で、特別な事例ではない。
  2. ^ Wikipedia 英語版「チャイコフスキーの死」の項目 では、これほど断定的には述べていない。チャイコフスキーの死にはさまざまな説が唱えられているが、いずれも決定的な証拠はないとしている。

出典

  1. ^ Poznansky, Alexander (March 1992), Tchaikovsky: The Quest for the Inner Man, Schirmer Books, ISBN 0028718852, http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9E0CE7DF153EF936A35752C0A964958260 
  2. ^ Чайковский - Словарь Русских фамилий (ロシア語)
  3. ^ Holden, 4.
  4. ^ Pyotr Tchaikovsky, a Ukrainian by creative spirit”. The Day. 2021年1月18日閲覧。
  5. ^ a b Brown, The Early Years, 19
  6. ^ Poznansky, Eyes, 1; Holden, 5.
  7. ^ a b c 井上(1991)、1104頁
  8. ^ a b c 森田(1982)、1471頁
  9. ^ Holden, 202.
  10. ^ Wiley, Tchaikovsky, 6.
  11. ^ Brown, The Early Years, 27; Holden, 6–8.
  12. ^ Brown, The Early Years, 25–26; Wiley, Tchaikovsky, 7.
  13. ^ Brown, The Early Years, 31; Wiley, Tchaikovsky, 8.
  14. ^ a b ロバート・ジーグラー、スミソニアン協会監修、金澤正剛日本語版監修『世界の音楽大図鑑』、河出書房新社、2014年10月30日、183頁
  15. ^ a b c サハロワ(1991)
  16. ^ Holden, 15; Poznansky, Quest, 11–12.
  17. ^ Holden, 24–25; Warrack, Tchaikovsky, 31.
  18. ^ Poznansky, Eyes, 17.
  19. ^ 黒川祐次 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』中央公論新社〈中公新書; 1655〉、東京、2002年(日本語)、139頁 ISBN 4-121-01655-6
  20. ^ a b c d 井上(1991)、1105頁
  21. ^ ロバート・ジーグラー、スミソニアン協会監修、金澤正剛日本語版監修『世界の音楽大図鑑』、河出書房新社、2014年10月30日、182頁
  22. ^ a b c 森田(1982)、1472頁
  23. ^ 中河原理『名曲鑑賞辞典』東京堂出版、1981年4月25日、110頁。 
  24. ^ 森田(1982)、1473頁
  25. ^ 伊藤(2005)、172頁
  26. ^ 伊藤(2005)、180頁
  27. ^ 伊藤(2005)、179頁
  28. ^ Steinberg, Concerto, 486
  29. ^ ムスティスラフ・ロストロポーヴィチガリーナ・ヴィシネフスカヤ著、クロード・サミュエル編 『ロシア・音楽・自由』 田中淳一訳、みすず書房、1987年、89頁。
  30. ^ Poznansky, Eyes, 216.
  31. ^ バラ関連ポータルサイト「NOIBARA」”. 2020年9月16日閲覧。
  32. ^ (2266) Tchaikovsky = 1937 VM = 1937 VQ = 1943 UH = 1951 AY1 = 1955 QY = 1962 WM2 = 1973 QH = 1974 VK”. MPC. 2021年9月25日閲覧。



チャイコフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 14:54 UTC 版)

チャイコフスキーとロシア5人組」の記事における「チャイコフスキー」の解説

ピョートル・チャイコフスキー」も参照 チャイコフスキーは1840年現在のウドムルト共和国当時ロシア帝国ヴャトカであった小さな町ヴォトキンスク生まれた早くから才能見せた彼は5歳ピアノレッスン開始し3年もしないうちに先生同程度手際よく音楽理解するまでになった。しかし、両親彼の音楽的才能にかける情熱はまもなく冷めてしまう。1850年一家はチャイコフスキーをサンクトペテルブルク帝国法律学校へとやること決める。この学校主な対象貴族上流階級ではなく、彼は公務員としてのキャリア歩みはじめる。受け入れ最少年齢12歳であったため、チャイコフスキーはサンクトペテルブルクにある帝国法律学校予備学校の寮に入ることになった。これは一家が住むアラパエフスク(英語版)の家からは約1,300キロメートル離れていた。受け入れ年齢到達したチャイコフスキーは帝国法律学校入学7年間の修習課程始まった学校では音楽優先事項ではなかったが、チャイコフスキーは級友連れだって日常的に劇場オペラ座足を運んでいた。お気に入りロッシーニベッリーニヴェルディそしてモーツァルトであった学校には音楽授業を受け持つためにピアノ製作者のフランツ・ベッカーが時おり訪れていた。チャイコフスキーがここで受けた正式な音楽指導これだけだった。1855年からは父のイリヤ・チャイコフスキーが出資してニュルンベルク出身著名なピアノ指導者ルドルフ・クンディンガーの指導受けられるようになった息子音楽キャリアを積むことに関して父がクンディンガーに尋ねると、彼はピョートル優れた演奏家ましてや作曲家なりそう可能性は全く見られない応じた。チャイコフスキーは課程修了し法務省の職に応募するようにと言われのである1859年5月25日卒業したチャイコフスキーは公務員階級中でも低い所に位置する名義参事官就任した6月15日にはサンクトペテルブルク法務省登用される。6か月後には副手その2か月後には係長へと昇進している。続く3年間の公務員生活はこの役職留まることになる。 1861年、チャイコフスキーはロシア音楽協会主催ニコライ・ザレンバ講師据えた音楽理論講義出席し1年後にはザレンバを追ってサンクトペテルブルク音楽院へと入学している。心の中では「公務員ではなく音楽家になる運命であると自分確信できるまで」官職辞めない決めてのことである。1862年から1865年にかけてザレンバの下で和声対位法フーガ学びルビンシテインには管弦楽法作曲指導仰いだ1863年にはついに公務員の職を辞して音楽勉強全力を注ぐようになり、1865年12月晴れて卒業迎えている。

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チャイコフスキー

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エフゲニー・ムラヴィンスキー」の記事における「チャイコフスキー」の解説

1956年および1960年ドイツ・グラモフォンにより録音されたチャイコフスキーの交響曲が有名である。1956年には交響曲第5番第6番モノラルで、1960年には第4~6番の3曲をステレオレコーディングしている。特に1960年録音ムラヴィンスキーレニングラードフィルコンビ実力西側諸国にも知らしめた名盤とされており、幾度も再発売されている。後期の3交響曲演奏頻度高く数多くライヴ録音残されている。特に交響曲第5番ムラヴィンスキー生涯通じて最も多く演奏した曲目であり、ムラヴィンスキー演奏活動のほぼ全年代にわたる録音部分録音含め18種と大量に残されており、ムラヴィンスキー解釈変遷をたどることができる。 他にも幻想曲フランチェスカ・ダ・リミニ』や『くるみ割り人形』、『イタリア奇想曲』、『眠れる森の美女』、『弦楽セレナーデ』等の録音残している。 また、ピアノ協奏曲第1番リヒテル他、有名ソリスト共演した録音残されている。

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チャイコフスキー

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ハーメルンのバイオリン弾きの登場人物」の記事における「チャイコフスキー」の解説

実在する音楽家のはずなのだが、ハーメルの「花のワルツ」に感受性刺激されフルート後ろスタンドのように現れ憑依し憤怒形相格闘技駆使してバルーン倒した必殺技は「チャイコフスキーキック」「チャイコフスキーパンチ」「チャイコフスキースープレックス」。

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